「氷見市史3資料編一」

pp.347-348






235加越登記(続群書類従 二二下
 

 同六月廿四日に、森山城主神保安芸守・子息清十郎、五千余の人数を以、氷見口へ相働候処に、青野城主に被入置候前田惣兵衛・片山内膳・高畠九蔵・菊地伊豆守父子、其外二千余騎ニ而罷出、民家焼せ申ましきと仕候処、はやくさり合て戦候得共、森山勢多勢にて候へは、加州勢突崩れ候、加州衆に小塚藤十郎と申足軽大将、高き所へ取上て、こみ返し〈手強く鉄炮うたせ候故、あまり大崩は不仕候、乍去、神保父子大音をあけて下知仕候ハ、誰にても目をかけるな、菊池父子と見は組打に仕候得、日本一の忠功ならむと、一入強く懸り候、殊に神保旗本を以横合に進し故、青野勢弥敗軍の色付候得は、菊池をうたせてハ、武門の恥辱成と下知して、菊池を押隔て、爰を最後と被働候、しかる処に、村井又兵衛利家公の御名代として、城々へ仕置の為に、馬印まてにて上下三百余にて被打廻候か、折節青野へと心さし被参候、此よしを見て、扨々天道の恵みかなと被申、三百の人数を一手にして、馬印をふりて横鑓に突懸候、青野勢悉く色を直し進懸候、兼而村井手並を森山衆存候故、うちての小つちの馬印を見、肝をつふし候由承り候、如斯候故、神保敗軍仕候、中坂と云所まで二里の間追打に五百はかり首を取、あまり長追してハ切所なとにて被返合、引取しほあい大事と、又兵衛下知被仕候故、引取申候、此趣并能首八十三残首ハ注進にて金沢の御城へ為登申処、利家公御機嫌能事不大形、第一村井能時分に参合候事、利家公武運天道の御引合也、如何に参合候共、又兵衛剛強になくんは、いたつら事にて可有に、其身大剛のもの故、青野城の助に成と御感悦被成候、いつれも御褒美被遣中に、又兵衛にハ金子百両、御腰物吉例と被仰、青の御馬まて被下候、


作成:2001/12/01

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