「戦国武将」
pp. 73-84,255-256
別冊宝島編集部 編
宝島社文庫 発行
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( pp. 73-84 )
第一章 戦国伝説を創った男たち
ふたりの傾き者 麻生未央
前田慶次郎を評して人間を人間たらしめている条件を、よく承知している男
と書いているが、それはまさに隆慶一郎、その人自身だった。
(以下省略)
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(pp. 255-256)
第三章 戦国武将英雄伝
猛将十傑 前田慶次
▼天下無双の傾奇者
漫画で有名になったこの男ほどエピソードに事欠かない者はいない。領主格の器量がありながらそのすべてを捨て、己の信じるままに生きた。加賀の太守前田利家の甥であるが、その下にいることをよしとせず、寒い日に利家を水風呂へ入れて出奔。京都に上り、そこで豊臣秀吉公認の「傾奇者」として大いに名を売る。
やがて上杉家家老の直江兼続と意気投合した慶次は越後へ向かい、佐渡本間一族との戦いに参加して功を上げた。松風という名馬を操り、戦場では朱柄の槍を手に鬼神のごとく戦ったという。慶次が単騎敵中に斬り込めば、あとにはただ累々たる屍の山が残るのみであった。一方で風流人であり、千利休とも親交が深かったという。
▼上杉家客分として活躍
関ヶ原でも上杉景勝に従って西軍に与する。その背には「大ふへん者」と大書した旗が。これを見た上杉家臣が「大武辺者とは何事」と怒るが、慶次は「どうして『大不便者』と読まずに『大武辺者』と読むのか」と人を喰った返答。だが、東軍の最上・伊達勢との戦いでは大いに活躍。関ヶ原の戦いで西軍が敗れ最上領から引き揚げる時、慶次は殿軍を引き受け、見事に上杉軍を撤退に導いた。
関ヶ原戦後、上杉家は百二十万石から三十万石に減封される。多くの家臣が去ったが、慶次はわずか五百石の捨てで上杉家にとどまった。隠居して「ひょっと斎」と号したが、晩年の消息は不明。直江兼続と共に米沢に移り、そこで没したとも、京で没したとも言われている。
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