「氷見の山城」
pp.40&43
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末森記
同六月廿四日に、守山に有之神保安芸守・子息清十郎五千騎を引ぐし、氷見口へ相働候処に、阿尾の城に加州より被入置し前田宗兵衛・片山内膳・高畠九蔵・菊地父子、其外宗徒の兵二千余騎、民屋を焼せじと帰けるに早取付、切合突合おめき叫んで敵味方入乱れ戦し処に、守山勢多勢なれば阿尾の勢つき立られ引色になる処に、鉄炮大将小塚藤十郎などおめき叫んで鉄炮を高き所へ引上せ、込返し〈打せければ、守山勢鉄炮に当り少々ひかへたる其間に、片山、菊池父子など下知して押返し、守山勢を突立打立、互に首を取もあり被取もあり、両方六七十騎うたれにけり。神保旗本千騎鑓を入来て、誰にも目かくるな、謀反人菊池父子討取候はヾ不残忠功と、声々に呼はりけり。阿尾の勢ども之を聞、菊池討せては面々の恥辱なりと、かけ廻て下知して、足懸り能き所へ菊池父子差上せ、おめきさけんで戦ふ処へ、又阿尾の勢突立られて、善き兵共四五十騎討れにけり。守山勢は弥気を得て揉にもうで戦ふ。阿尾の勢危くみゆる処に、村井又兵衛尉利家卿の名代に、取手共の城々、爰かしこ堅固に守候へと、仕置のために馬印までにて上下三百余騎にて参りしが、折節阿尾へと急ぎ来り候処に、此由をみて、扨も天のあたへかと云もあへず、三百余騎をまん丸に備、馬印をふり立、横鑓に懸れかゝれと下知して、我身は真先に馬上に鑓を持て懸りける。又兵衛大剛のものなれば、阿尾勢も是に力を得て取て返す。守山勢、度々手柄を尽したる打出の小槌の馬印を見て、すはや村井かと思ふにより、さしもにきほひたる勢なれども、村井に突立られて、一さゝへもさゝへず崩れしを、長坂と云処まで二里の間追討に討つ程に、五百余騎討取、勝時を作り、懸れや々々余り長追して節所に行懸り引しほ大事と、又兵衛前後を廻り下知して引取けるい、村井弥威いやましに成、肩をならぶるものなかりける。彼首共の内名ある者共八十三騎、残首共は注文迄利家卿へさゝげ物に仕たりければ、村井加様の働今にはじめず候といへども、殊更よき時分阿尾へ行合、城に置く者討せず候事大慶不過之候。以来は構へて守山勢出たりとも、此方へ注意なく阿尾城を出づべからずと、阿尾の兵共へ被仰遣。則村井又兵衛尉には黄金百両・刀則吉、吉例とて青の御馬を給はりけり。
作成:2001/12/01
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