ANOTHER PLANET





一 異変



「チャン、どうしたんだ、ぼうっとして」
 同僚のハルが声をかけた。
「自動制御とはいえ、スクリーンから目を離すなんてお前らしくもない」
 そのスクリーンには無数の宝石を散りばめたかのような星々が散らばっている。
 チャンの目はまだ虚ろに曇っていた。
「おい……」
 続けて言葉をかけようとしたハルに気づかず彼は呟いた。
「時間がない……」
 そしてはっとしたように振り返り、
「ハル、どうかしたのか?」
 と不思議そうに同僚に尋ねた。
「どうかしているのはお前のほうだ。勤務中に居眠りするなんて、疲れているのか?」
 チャンは二、三度首を左右に振った。
「いや、何でもないんだ。済まない」
 時計は正午を示していた。眼下に広がる月を見やってチャンは立ち上がり、不安げに彼を見るハルに微笑んでみせた。
「心配するな。最近寝不足でな。それより、昼食のお誘いに来てくれたんだろう。今日はおごらせてもらうよ」
 同僚の屈託のない笑顔に、一応ハルは頷いてみせた。
 此処は宇宙ステーションの司令塔だ。宇宙ステーションの位置は月と地球間の引力が中和する場所にあった。その管理プログラムは全て司令塔のマザーコンピューターに接続され、宇宙ステーションそのものを動かしているといってもいい。
 チャンとハルは軍隊の一員であり、その任務は主に防衛に関する事柄だ。現在の仕事は緊急事態に対応するための監視だった。
 もっとも稼働してから三年、一つの異常もないこのステーションでは、軍部はいたって平和であった。
 二人は昼食時で賑やかなカフェの窓際に座った。
 チャンは情報処理を専門にする二十五歳のもの静かな青年だ。非番の日には軍の資料室にこもって文献を読んでいるのが好きだ、と本人は言う。彼の黒い瞳は知的でその情報処理能力には定評があるが、彼が何を考えているのか分からない同僚には変わり者だと思われている。
 ハルは軍の精鋭部隊長で、同僚のなかではいちばんチャンと親しいと言える。よく女性にもてるが、パーティーに誘われても断ることが多い。彼は女性との付き合いよりも同僚と話をするのが好きなのだ。また彼は人一倍他人思いであり、最近のチャンの様子がおかしいのを誰よりも気に掛けている。
 軍服を着た二人の長身の客に他の一般客は一時声をひそめたが、カフェはまたすぐに喧騒を取り戻した。それを待っていたかのようにハルは切り出した。
「何か心配事があるんじゃないのか? 最近は資料室にも行っていないそうじゃないか。作業中にもぼやっとしているし、一体どうしたんだ」
 チャンはそれには答えず、メニューを差しだした。
「さあ、何にするんだ。俺はもう決めたぞ。同じランチメニューでいいなら注文するが」
「あ、ああ」
 ウェイターが簡単に注文をとり、それをもう一度繰り返して立ち去った後、ハルは根気強く尋ねた。
「お前がよく一人で考え事をするのは知っている。だが今度は何かが違う、俺にはそんな気がするんだ」
 チャンは顔を上げるとハルの青い瞳をじっと見つめた。
「心配には及ばない、といっても信じてもらえなさそうだな」
 運ばれてきたコーヒーを無造作に口に運びながらハルは頷いた。
「実はな、こんな事をお前に話していいのか判らないんだが、実は軍の内部に───」
 チャンの押し殺したような言葉にハルは身を乗り出した。
「スパイが……」
「何だって?」
「しっ、他に聞こえたらどうする。だが俺は情報を手に入れた」
 彼の黒い瞳にいたずらっぽい表情が浮かんだ。
「お前、今度結婚するんだってな」
 ハルは呆気にとられ、そして顔を紅潮させた。
「なぜ知っている。誰がそんなことを……」
「いったろ、スパイがいるんだ。安心しろ、知っているといってもごく少数だ」
 そしてチャンは微笑んでいった。
「おめでとう、良かったな」
 声には心からの優しさがこもっていたが、ハルは不思議に感じた。普段のチャンは滅多にこういった感情を表に出さないからだ。
 チャンはぼんやりと窓の外に目をやった。
 ───時々その目に翳りが生じるのは俺の勘繰りすぎなのか?
 ハルが同僚の顔を見つめたとき、空が微妙に曇った。二人ははっと顔を見合わせる。
 宇宙ステーションの気候は常にコンピューター管理で、それゆえ雨が降ることはなく、雲すら生じることはありえない。また監視用に外界に向けられているスクリーン映像を除けば、宇宙ステーション内は時間ごとに入ってくる太陽光の加減で昼夜が巡ってくる。
 その「人工の空」が「自然現象」のように曇った。
 二人は弾かれたように立ち上がった。同じように空を見た客の何人かも、この異常事態にざわめきはじめた。
「お客様、ご注文のランチメニューですが、もうしばらくお待ちいただけますか?」
 先程のウェイターがやって来て慇懃に二人に告げた。だが二人は首を振った。
「悪いが、急用ができたんだ。その注文は取り消しておいてくれ。これはコーヒー代と、君へのチップだ」
 ハルはウェイターが持っていたトレーに紙幣を二枚置くとチャンを促し、店から足早に出た。後からウェイターが追いかけてくる。
「お客様、お釣りを……」
 チャンが舌打ちしながら手を振り、要らないという意思表示をしたとき、空からの強い閃光がウェイターを直撃した。二人が声もなく立ちすくむなか、ウェイターの形をした人影はゆっくりと崩れ落ちた。後には燃えかすがくすぶり、か細い煙が上がっていた。
「稲妻が───、そんな馬鹿な……」
 そう呟いたハルの袖をチャンが引っ張り空を見上げさせた。冷たい粒が顔に当たる。その粒は次第にその数を増し、辺りは一面雨煙に包まれた。
 その日、宇宙ステーション内には戒厳令が敷かれた。



二 翳り



「一体どうなっているんだ!」
 次々と軍に入ってくる情報に軍部の副司令官は帽子を床に叩きつけた。
「副司令官、地球との連絡がとれません」
「何故だ!?」
「太陽の黒点が影響しているのでしょう。最近のデータでは太陽活動が活発化して、黒点の数が増しているという報告もあります」
 外から帰ってきて、雨に濡れた衣服をタオルで吹きながらチャンが言った。
「いつ回復するのだ」
 副司令官はまるでこの事態がチャンのせいであるかのように言う。ハルはむっとしたがチャンは平然と答えた。
「そうですね、おそらく一週間はかかるかと思いますが───」
 周囲がざわめく。一週間、またはそれ以上通信が途絶えたことは今までにもあった。だがそのときは別に問題はなかった。それは宇宙ステーションが完璧で、地球とは完全に別の惑星として機能していたからだ。
 しかし今回は違う。ステーションの機能は原因不明の異常のまえに無力のままだ。
「おい、お前は情報処理の専門家だろう。何とかしないか」
 パニックを起こしている副司令官は責任をチャンに押しつけようとしている。思わず反論しようとしたハルを押し止めてチャンは敬礼した。
「最善を尽くします」
 副司令官は荒々しく司令塔を出ていった。 ハルは同僚をみやって肩をすくめた。
「どうするつもりだ、情報部長としては」
 同じようにチャンも肩をすくめてみせた。そして不安げに彼を見つめている部下に指示を与えた。
「まずは太陽のデータを細かく調べろ。それから地球との交信の回復を───」
 幾つかの指示を出してから、チャンは会議室の一つにハルを招き入れて扉を閉めた。
「時間がない、事は一刻を争う。ハル、ここでの話は一切他言無用だ」
 ハルはチャンの強い眼差しに頷くだけだ。「お前は軍の精鋭部隊の隊長として知る権利がある」
 ハルはとっさに聞き返した。
「何を知る権利だ」
「今度の異常事態の原因だ」
「何だって?」
「大きな声を出すな」
 チャンはハルの口に手を当てた。
「軍の内部に『外部』との接触者がいる」
「『外部』? おい、さっきのスパイの話は冗談だったんだろう」
「それとは別口だ。相手は……」
 チャンは言いづらそうに顔をしかめた。
「相手は、異星人だと思われる」
 ハルは笑いだそうとしたがチャンの真剣な顔に気押されてできなかった。
「馬鹿なことを……」
 それだけをやっと口にしてハルは黙り込んだ。チャンはスクリーンのスイッチを入れ、見るように促した。
「何だこれは」
 ハルの問いにチャンは苦笑して応じた。
「つい、二時間前までは何ともなかったんだがな」
 二人が見入っている画面に映し出されているのは宇宙ステーション自体の機密事項とも言える管理プログラムであった。だがそのプログラムは所々文字が欠落しており、暗号も二人が見ているすぐ前で次々と消えていく。文字が画面の上から下へとばらばらになって落ちてゆくのだ。
「おい、止められないのか?」
 ハルはチャンに問いかける。と、画面の文字が落ちる速度が遅くなった。
「俺ができるのはここまでだ。しかしこのままでは全てのプログラムが作動しなくなる。そうなれば───」
 宇宙ステーションは“死んだ惑星”となって宇宙空間を漂うだけだ。数百万の人間の亡霊とともに。
「どういうことなんだ。何だってこんなことになっている。ステーションのプログラムはこんなに簡単に崩れてしまうものなのか?」 チャンは首を振った。
「これはコンピューターウィルスの一つ『カスケード』。このウィルスは全く初歩のもので、本来だったら管理プログラムのブロックに引っ掛かってコンピューターに入り込むなんて不可能だ」
「それなら───」
「誰かが直接この宇宙ステーションのマザーコンピューターにアクセスしたんだ」
 淡々と話すチャンの横で文字はゆっくりと落ちてゆく。一つ一つ、雪のように。
 異常事態を知らせるブザーが鳴りだした。赤いランプが点滅し、チャンの横顔を照らしだしはじめた。
「……何故、異星人が関わっていると分かるんだ」
 ハルは呻くようにチャンに尋ねた。
「地球人がアクセスするのは不可能だから」
「不可能?」
 チャンはハルを見つめる。
「そう、不可能なんだ。何故なら、政府はこの宇宙ステーションの開発技術を全て異星人から直接輸入したから」
 ハルは息を呑んだ。
「それは、公表されていない真実か?」
 チャンは答えず先を続ける。
「つまり、このコンピューターはそのまま巨大なブラックボックスで、地球人がアクセスする経路を知っているはずがないんだ。ウィルスの進入経路がマザーコンピューターに直結しているとすれば、今回の異常事態を収拾するにはワクチンも直結させなければいけない」
 緊急通信が入った。
“チャン少将。宇宙ステーション内の空調機能が低下しています。太陽光の吸収ができません”
「了解。地球との連絡は? オーケー、そのまま続けてくれ。太陽光のストックはあとどれくらいだ」
“二十四時間です”
 二、三のやりとりをしてから、チャンは通信を切った。
「どうすることもできないのか? 俺たちはただ手をこまねいて宇宙ステーションと心中するしかないのか!?」
 ハルはチャンに詰め寄った。
「ハル、君にやってもらいたいことがある」 チャンの声はあくまで冷静だ。
「さっき俺はこのステーションの管理プログラムを指示する全権を委任された。司令官は目下地球での会議に出席中でここにはいないし、尊敬すべき副司令官殿は、病気で早退したそうだ」
「早退? 何をふざけたことを! チャン、お前はこの異常事態の全責任を負わされることになるんだぞ!」
「誰が責任を負っても一緒だ。何もしなければ二十四時間で宇宙ステーションは太陽光の調節ができなくなる。全面凍結か、一瞬にして燃え尽きるかはわからんが」
 二人は沈黙した。先に口を開いたのはハルだ。「俺は何をすればいいんだ」 チャンは唇を引き締めて頷いた。
「精鋭部隊には、即刻スパイを見つけてもらうべく囮になってもらう」
「囮、とはどういうことだ」
 チャンは説明をしはじめた。
 まず、スパイがいることを前提にして精鋭部隊が乗り出すことを軍隊内に知らせる。それからスパイの正体が判明した、と情報を流す。最後に、ワクチンの直結経路が判明したことを全体に発布するという具合だ。だが、とチャンは付け加えた。
「精鋭部隊には大変な苦労を強いることになる。今の宇宙ステーション内の状態では動き回ることさえ困難だ。雷の例一つ取っても危険が伴うことは避けられない」
 ハルはチャンの瞳がまた翳っているのに気がついた。
「おい……」
 何か言おうとしたハルの機先を制してチャンは首を振った。
「全権を委任されているとは言え、親友を命の危険にさらさなければならないとはな」
 呟くような一言にハルは驚かされた。同僚がこれほど自分のことを思ってくれていたとは───。
 目が覚めたようにチャンはまた話しはじめた。
「軍隊一優秀な精鋭部隊が乗り出す上に、ワクチンが直結できるという情報を流せばスパイは動揺して確認作業をするか、又は異星人とコンタクトを取ろうとするだろう。その時はどうしてもコンピューターに何らかの痕跡を残す。その痕跡をたどれば、本当の直結回路までスパイが導いてくれる」
 幾つかの綿密な打ち合わせをして、二人は会議室から出た。通路を歩きながらチャンはいう。
「まだ、地球との交信は復活していない」
「それで?」
「上層部はじめ司令官は地球で会議中だ。副司令官は自宅で療養中だし」
 ハルはチャンの言いたいことに気がついて同僚の顔を見た。
「お前、誰から全権を委任されたんだ」
「さあ、誰だろうな。どうだ、指令に従う気がなくなったか?」
「いや」
 ハルは即答した。
「誰が出した指示であれ、今できることがそれしかないのであれば従うだけさ。もっとも他に方法を見つけたら、自分で行動させてもらう。それでいいだろう」
 歯切れのいい口調にチャンは小さくため息をついた。
「指令に従う気が無くなった、と言ってくれたほうが良かったんだが」
「まあ、やれるところまでやってみようぜ。何もしないでいるよりは気が楽だ」
 二人は通路の分かれ目で立ち止まった。
「お互い、全力を尽くそう」
 ハルが差し出した右手をチャンは一瞬ためらってから握った。
「済まない。お前の───、婚約者のためにも生還してくれ」
「ああ、心配するな。そっちこそチャンスは一度だけなんだから失敗するなよ」
「それは大丈夫だ」
 そう言いきったときの同僚の目の翳りをハルは見逃さなかった。
 それからチャンは片手を上げ、コントロールルームに入っていった。
 通路に立ち尽くしたまま、ハルは自分の考えを振り払うように首を二度強く左右に振った。
 ───まさか?
 いや、彼は彼なりに宇宙ステーションを護ろうとしているのだろう。そう思いたい気持ちと、わずかな不安に駆られながらハルも自分の部屋へと戻った。



三 疑惑



「隊長、どういうことですか。緊急事態だということは分かりますが、何のための出動要請がきたんですか?」
 ハルは答えずにさっきのチャンの様子のことを考えていた。
 ───『時間がない』と彼は言った……。
「隊長!」
 部下の声がハルの耳に響く。
「出動要請は副司令官からだ」
 と、彼は答えた。
 構うものか、どうせこの事態に対応できずに逃げだした臆病者だ。権威を借りるぐらいどうってことはないだろう。
「どうなっているんだ。宇宙ステーションのコンピューターは絶対に大丈夫だと聞いていたのに。三年間何の異常もなかったんだ。どうして今更……」
 部隊の構成員から口々に不満の声が飛び出す。それを手を上げて制してからハルはそこにいる八名に向かってはっきりした口調で告げた。
「我々の任務は、まず異常事態の原因となっていると思われる太陽光調節装置の点検からだ。だがそこに行くには屋外へ出なくてはならない」
「屋外というと?」
「二人には宇宙空間へ行ってもらう」
 ハルは二人のメンバーの肩に手を置いた。彼らは早速装備を着けるために部屋を後にした。「後の六人は───」 ハルは一呼吸置いて言った。
「残りは私と一緒に宇宙ステーション内を捜査する。異常事態の原因が調節装置以外だったら、他は何だと思う?」
 彼はメンバーの一人に聞いた。
「そうですね、コンピューター自体に原因があるか、または誰かが悪意を持って───」
「そんな奴いるかよ」
 他のメンバーが否定する。
「だが、いないという確信がない間は我々が調べなくてはならない。コンピューター自体に原因があるかどうかは既に調査が始まっている。後は我々がそういった人物がいるかどうかを調べるだけだ」
「きっと宇宙人が侵略しようとしているんだぜ」
 一人のメンバーの言葉にハルは一瞬凍りついた。
「どうしたんです、冗談ですよ」
 ハルの表情を見たメンバーが笑いながら言う。頷きながらもハルは言うべきことが喉につかえているような気持ちを味わっていた。 インターホンが鳴り、宇宙空間へ向かう二人のメンバーが準備の完了を告げた。ほぼ同時にチャンからも通信が入った。
“ハル隊長、軍の内部に密通者がいるということが判明した”
「何だって?」
 ハルが反応するより早く他のメンバーが応対した。
“捜査をお願いしたい。情報部も現在正確な情報を手に入れるべく目下検索中だ”
 ───なかなか手回しがいいな。
 ハルは内心同僚のやり方に舌を巻いた。
“密通者が今回の異常事態の鍵を握っている可能性がある”
「密通者ってどういうことですか?」
 一人が尋ねた。
“軍部に反抗する勢力の活動が活発化しているという情報がある。おそらくそのうちの一つの構成員だと思うんだが───”
「幾つかをリストアップしてくれ。それをこちらで検証して捜査しよう」
 ハルが言うとスクリーンに幾つかの暗号が映し出された。
“解読方法はFコードでお願いする”
 そういうと通信は切れた。
 軍部には幾つもの解読法があり特殊な任務についているもののみしかコードは伝えられていない。無論精鋭部隊のメンバーはそれを読み取るのに何ら問題はなかった。
 ハルは一つの人物名に目を止めた。他のメンバーから声が上がった。
「隊長、この名前は……」
 ハルも首を傾げた。
 ───これは副司令官の名前じゃないか?
 二人のメンバーから通信が入った。
“シャトルの発射指示をお願いします”
 ハルはチャンに確認をいれた。
「太陽光調節装置の点検に行かせる。必要がなければ呼び戻すが」
“いや、行かせてくれ。実際に異常が出ているようだ。指示を出して結構だ”
 メンバーの一人がハルのサインを確認して発射スイッチをいれた。───六十秒からカウントダウンが始まる。
「スリー、ツー、ワン、ゴー!」
 少しの振動とともに探査シャトルは宇宙空間へと向かった。それから打ち合わせが始まる。
「副司令官と同姓同名の人物が軍の内部にいるということはありませんよね」
「一応確認をしてみるが……」
 ハルはチャンに通信をつなごうとしたが、何らかの妨害電波が入って上手く行かなかった。
「駄目だ。大分コンピューターもやられているらしいな」
 ───だが一体彼はどういうつもりなんだろう。囮とはいえ副司令官にスパイの嫌疑をかけるなんて……。
「やむを得ない。調べるしかないだろう。よし、私とそれからあと二人は同行してくれ。あとは他の人物の特定を急げ」
 たぶん、他の人物は実在しないだろうけれど、とハルは心のなかだけで付け加えた。
 軍の情報はそういうものだ。一つ明らかな暗号があれば、あとはでたらめな情報を混ぜて、盗聴に備えるのが普通だ。
 ハルは再度チャンに連絡を取ろうとしたが無駄だった。
 ふと脳裏にチャンの翳りを帯びた表情がよぎった。
 ───お前、何を考えているんだ?
 ハルはさっき自分が振り払った疑念がまたわき上がってくるのを感じた。
 ───もし、チャンが言っていたスパイというのが彼自身だとしたら……。
 情報処理に長けている彼なら宇宙ステーションの機能を無力化させ、現状況での実質の最高権力者である副司令官を陥れ、精鋭部隊を情報操作で動かすことも可能だ。
 副司令官がスパイだ、というよりは説得力がある。
 しかし、ハルは友人を信じたかった。そんな筈はない。彼は権威などには全く興味のない男だ。
 ───それならなぜ上層部からと偽って自分が全権を掌握したんだ……。
 ハルは内心の葛藤に苦しめられた。
「隊長、行きましょう」
 メンバーの言葉にハルは顔を上げた。
「気分でも、悪いんですか?」
「いや、大丈夫だ。行くぞ」
 わざと快活に振る舞ったが、さっきのように首を横に振るだけでは友人への疑惑は消し去れなかった。



 外はまだ雨が降り続いている。
 時折雷鳴が轟くなか、防護服に身を包んだハルを含めた三人は、白い息を吐きだしながら副司令官の役宅へと急いでいた。
 コンピューター管理の車は動かなかった。異常が車の機能にまで及んでいたのだ。
 チャンから通信が入った。
“異常の原因はコンピューターへのウィルスの侵入と判明した。おそらく先程の人物の手によるものと考えられる。至急重要参考人として連行してくれ”
「待て!」
 ハルは通信が切れる前に叫んだ。
「本当に副司令官を参考人として捕縛していいのか?」
 沈黙が数秒続いてチャンの低い声がハルの耳に届いた。
“先程の人物を連行してくれ。……これは命令だ”
 通信が切れ、ハルは大きく息をついた。
 ───命令、か。
 念のためもう一度通信を試みたが、チャンからの応答はなかった。
 意を決したようにハルは歩きはじめた。
 もう役宅はすぐ目の前だった。
「只今より、宇宙ステーション本部副司令官ジリアン・ライトの身柄を重要参考人として拘束する」
 その言葉で一人の隊員は電子錠を手にし、もう一人は銃を取り出した。ハルは身分証明書を取り出し、門の前に立った。
“そのまま待機、五分後に捕縛せよ”
 機械の無機的な声が全員の耳に入った。
「待機だって?」
 電子錠を手にしたまま一人が言った。
「おそらく何か考えがあるんだろう。時計を合わせる。五分後に行くぞ」
 いつの間にか雨は雪になっていた。
 三人の吐く息は白さを増した。息づかいだけが人影のない道に響く。
 何度となくハルはため息をついた。



四 不審



「副司令官、応答願います」
 冷静なチャンの声が通信機を通して響く。ジリアン・ライト宇宙ステーション本部副司令官は不機嫌そうに答えた。
「何だ。何かいい解決法が見つかったのか」
 高圧的に彼は言った。
「ええ、コンピューターの異常はウィルスによるものと判明しました。ワクチンもつい先程開発に成功しました。間もなく宇宙ステーションの機能は回復に向かうものと思われます」
「そ、そうか。ご苦労だったな」
 彼は咳払いをしながら言う。
「では私も少ししたら本部に戻る」
「体調がお悪いのではないのですか?」
 チャンの口調には明らかに皮肉が込められていたが副司令官は気付かなかった。
「いや、大丈夫だ。一度通信を切る。すぐに向かうから報告書を出しておいてくれ」
「了解」
 チャンは通信を切って目をつぶった。
 ───もうすぐだ。間に合うといいが。
 通信が切れたあと、副司令官はコンソールに手を置き何やら操作を始めた。
 そして操作が完了したあと、副司令官は困惑した表情で立ち上がり、部屋をうろうろと歩き回った。
 突然チャイムが鳴った。反射的に副司令官は銃の安全装置を外した。
 そしてインターホンのスイッチをいれる。画面には三人の軍人が映っている。
「何事だ、騒々しい。わざわざ迎えにきたのか?」
 無言で立ち尽くす軍人たちに舌打ちし、副司令官は門を開けた。
 ドアを開け三人の顔を見て、改めて彼は舌打ちをした。
「これはこれは軍の精鋭部隊長自らのお越しとは───」
 副司令官とハルとは何かと反発する者同士だった。お互いに好意を抱くなかではない。ハルはそれでも少しためらってから口を開いた。手には逮捕状を持って───。
「ジリアン・ライト宇宙ステーション副司令官殿。軍令により貴官を拘束します。これから以降貴方の発言の内容は貴方自身に不利に扱われることがあります。最も繰り返す必要はないでしょうが」
 副司令官はせせら笑った。
「これは何の冗談だ? 説明してもらおう、何の容疑で私を拘束するのだ」
「貴方にはスパイ容疑がかけられています。心当たりが有るのでは?」
 既に三人は彼を取り囲んでいた。
「馬鹿な! さてはお前ら、クーデターを起こす気だな? 言え、誰の命令だ!」
 ハルは硬い表情のまま部下に命じた。
「拘束しろ。このまま本部に連行する」
 一人が素早く電子錠を副司令官の手に掛けた。
「何をする……!」
 彼の口元に麻酔が吹き掛けられる。
「精鋭部隊もおしまいだぞ……」
 ハルが彼の握っていた銃を取り上げた。と同時に副司令官は床に転がった。
 隊員の一人が首を傾げながらいった。
「隊長、一体どうなっているんですか? 我々が出動したのは副司令官の要請だったはずでしょう。その本人を逮捕するなんて……。本当に副司令官が───」
「それ以上いうな」
 ハルは部下を厳しく制した。
「我々の任務は彼を連行することだ」
 ハルの視線の先に転がる副司令官は短い寝息をたてていた。
 そこにあるコンピューターが動いているのに気付いたのは、もう一人の部下だった。
「コンピューターの機能が回復している。少し前に本部から通信が入っています。そして次に───、これは……?」
「地球への送信らしいな。だが、これは通じていない。まだ、黒点の影響が有るんだな。でもコンピューターの異常は治ったらしい」
 二人の部下がコンピューターに向かっている後ろ姿を見ながらハルは考えていた。
 ───本部からの通信がつながったのは運がよかったのか? 俺の通信機が誤作動を起こしたのか。
 試しにハルはチャンに連絡を取った。今度はすぐに返信が来た。
“こちら本部。首尾はどうだ?”
 チャンの声は心なしか疲れているようだ。「ああ、これから連行する。五分ほど前、副司令官と話をしたのか」
 それは確認だった。チャンは即答する。
“打ち合わせどおりだ。ワクチンが見つかって機能が元に戻った、と知らせたんだ。その後すぐ、彼はウィルスの侵入経路をチェックした。それを追って、ワクチンを使いウィルスを『やっつけた』という訳さ”
 隊員の一人が本部と通信をつないだ。画面がチャンの姿を映しだす。
「大方の機能は回復した。精鋭部隊の二人も調節装置の修理を終えて戻ってきている」
 ハルは同僚の目に映る翳りがいつもより濃くなっているように感じた。
「本部の車はまだ制御できないんだ。ご苦労だが彼をそのまま連行してきてくれ。本部で待っている」
 チャンが画面から消えると隊員の一人が副司令官の身体を担ぎ上げた。
「じゃ、行きますか」
 二人が先に立った。ハルはその後ろをゆっくりと歩く。ハルは自分の通信機のスイッチをまだ切っていないことに気付いた。さっきコンピューターが報告の途中でつながったので通信機は用済みだった。切ろうとしたハルの耳にチャンの呟き声が聞こえた。
“あとは『奴』を消すだけだな……”
 咄嗟にハルは通信を切った。
 ───ウィルスは片づけたはずなのに、あいつ、何を「消す」つもりだ?
 一方チャンは通信機が切れる音を聞いて愕然とした。
「しまった……」
 慌ただしくコンピューターに飛びつき、幾つかのパスワードを打ち込む。ハルがもしそのパスワードを見たなら、自分の知っている解読コードには当てはまらないと気付いたかもしれない。
 しばらくのあいだ、チャンの部屋にはキーボードを叩く音が消えなかった。



 副司令官をとりあえず取調室に使われる部屋のベッドに寝かせると、ハルをはじめとする精鋭部隊九名は彼の部屋に集まった。
 円形のテーブルを囲んで、皆、口々に今回の出来事について話していた。
「調節装置はどうだった? 異常は何だったんだ」
「異常はなかった」
「どういうことだ」
 ハルが尋ねる。
「ええ、調節装置自体には何の異常も認められませんでした。おそらく装置を動かしているコンピューターの故障が影響を及ぼしていたのだと思います」
「でもチャン少将は実際に異常が出ていると言っていたじゃないか」
 別の一人が抗議する。
「きっとコンピューターが狂っていたからセンサーが作動したんじゃないかな」
「異常がある、という誤作動を起こしたということか」
「随分と危険な状態でシャトルを発射させたんだな。よく行って帰ってこられたものだ」 屈強な戦士の彼等が身を震わせた。
「副司令官は俺たちが邪魔だったんじゃないか?」
 一人が言う。
「それなら副司令官がスパイだって言うのも分かる気がする」
 他のメンバーも頷いた。
「憶測で物を言うな」
 ハルの語気は強かった。驚いたメンバーは一様に口をつぐんだが、一人が叫んだ。
「何も知らされない、何も分からない、何一つ自分たちの意志で行動できない、こんな状況じゃ不満がないほうがどうかしている!」
「おい、言い過ぎだぞ」
 他のメンバーが彼をいさめたが、ハルは咎めなかった。
「隊長は何か知っているんですか? 今回のことに限って、隊長は何一つ納得のいく説明をしてくれていないじゃないですか」
 八人の隊員は一斉にハルに視線を向けた。彼の言うことには一理も二理もある。皆、この事態に何らかの不満を感じていることは明らかだった。
 ハルは黙って目を閉じていた。
 今回の計画はほぼチャンの言葉から発せられたものだ。だからこそハルは疑わしい点も含めて友人の言葉に従っていた。
 だが、と彼は思った。
 友人を信じる余りに部下を危険な目に合わせた上、これ以上真実から遠ざけられる理由はないのではないか、と。
 もはやチャンの言葉を、友人だからというだけで鵜呑みにすることはできなかった。自分が納得していないのに部下に納得させようとしてもそれは無理な話だ。
 他に方法があれば自分で行動させてもらうとハルは別れ際に友人に言った。それっきり通信以外ではチャンに会っていない。
 ハルは立ち上がった。
「隊長!」
 メンバーがハルを取り囲んだ。
「取調室に行ってくる。私も聞きたいことがあるんだ。おそらくお前さんたちと同じことだろうよ」
 苦笑した隊長に、メンバーは顔を見合わせた。そして一人が口を開く。
「隊長が気付いていたかどうか分かりませんが、隊長が出ていったあと、言われたとおりもう一度リストを解析したんです」
「だが、他に知っている名前はなかっただろう」
 一緒に解析をしていたメンバーが言う。
「ああ、Fコードではな」
 解析したとき、彼は自分が以前多用していた「Kコード」を当てはめたのだという。
「すると『K』でも副司令官の名前は出てきました」
「あり得ることだ。解読法は意外と違うようで似ているからな」
 メンバーの一人が頭のなかで幾つかの暗号解読コードを思い浮かべながら頷いた。
「リストの最後尾に、もう一人知っている名前があったんです」
 部下は、ハルが知りすぎるほど知っている名前を口にした───。



五 スパイ



「お目覚めですか、副司令官閣下」
 部屋に入ってきたチャンに、声をかけられた男は動揺した目をして起き上がった。
「チャン少将、これはどういうことだ」
「どう、とは?」
 チャンの声は氷のように冷たかった。
「これだ!」
 彼は電子錠がかけられた両手首を上げた。「一体私が何をしたというんだ。突然精鋭部隊の連中がやって来て問答無用で私を拘束しおった」
「私が命じたんです。副司令官ジリアン・ライトを拘束せよ、とね」
 副司令官は口をぱくぱくさせた。
「な、何故だ。スパイの容疑とか言っていたが私に覚えはない」
「言い訳はそれくらいにしていただこう。貴方がしょっちゅう『外部』と連絡を取っていたことは調べがついている」
「『外部』だと?」
 副司令官は笑いだした。
「『外部』とは何処のことだ? 地球にいる司令官か? それとも他のどこか別の星か」
「ええ、そうです。貴方は異星人とコンタクトを取っていた」
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
 副司令官はベッドに転がった。チャンは少し距離を置いて設置してあるデスクの椅子に腰掛けた。
「馬鹿な事、と言いきれるのか? 今回のコンピューター事故が異星人の介入無しに行われたとでも?」
 彼は答えない。
「地球へのコンタクトだと? よく言う。あれは───」
取調室のインターホンが鳴り、チャンは口を閉じた。ハルが入ってきて、同僚と参考人とを交互に見た。そしてチャンに向き直る。
「チャン、聞きたいことがあるんだ」
 チャンは黒い瞳をハルに向けた。
「クーデターの算段か。ご苦労なことだ」
「黙れ、すぐに戻る」
 副司令官の言葉をぴしゃりと打ち消しておいて、チャンはハルと連れ立って隣室に入った。
「どうした。何があった」
 チャンの質問にハルは憮然として答えた。「それはこちらが聞きたい。そろそろ詳しいことを教えてくれてもいいだろう。今度のことは疑問が多すぎる。チャン、お前に関してもだ」
「『Kコード』のことか。俺の名を見つけたんだな。あれは軍の正規の書類だから仕方がないんだ」
「お前も参考人なのか?」
「正規の書類は改ざんすればすぐに判る。本来の解読法である『K』に近い『F』の場合は俺の名は消える、と思ったんだが、別に見つけられても構わなかった」
 チャンはハルから目をそらすことなく答える。
「外の様子はどうだ。もうコンピューターの異常は無いはずだが」
 ハルは黙って頷いた。
 雨は止み、雲も姿を消した。気温も平均に戻り、まもなく宇宙ステーションは夕焼けに包まれようとしていた。いろいろなステーションの様子を報告しながら、ハルは時計を見た。まもなく針は六時を指そうとしていた。 ハルは同僚の表情をうかがった。瞳の翳りは見えなかった。
 チャンは報告にいちいち頷いて、満足そうに笑った。
「これで、大丈夫だな。もちろん、詳しい調査はまだ必要だろうが……」
 今回の件での死傷者も確認しなければならないな───、とチャンは付け加え、そのときハルはまた同僚の目の翳りを見た。
「なあ、聞いていいか」
 ハルは切りだした。知りたいことが山積みにされている。だが、チャンは首を振った。「ハル、済まないが時間がない。俺はやらなくてはいけないことがある。まだ、事態は収束していないんだ」
 そう言い残してチャンは取調室へ戻ろうとした。その行く手をハルは阻んだ。
「何をする。ハル、どいてくれ」
 押し退けようとするチャンの手をハルは掴んだ。そして、
「お前が、密通者じゃないのか?」
 と尋ねた。
 チャンは小さいが、はっきりとした声で答えた。
「今回の件を引き起こしたのはジリアンだ。いや、単独犯ではないが」
 ハルはチャンの手を放さなかった。
「答えるんだ、『お前は』スパイではないのか?」
 その手を振りほどいてチャンは取調室への扉の前に立った。精鋭部隊で鍛えているハルがまるで子供のように押し退けられた。
 ───彼にこんな力があったとは……。
 唖然とする彼にチャンはいった。
「確かに俺は参考人ではあった。だがハル、信じてくれ。俺はこの星に対して裏切り者であったことは一度も無い」
ハルはチャンに掴みかかった。
「それじゃお前は一体何者なんだ。目的は何だ。精鋭部隊を危険にさらし、ステーションでの権力を一手に握ったのはなぜだ?」
「口論している暇はない。取調室の内容はこの部屋で聞けるからそれで判断してほしい」 ハルは食い下がるようにチャンに聞いた。
「一つだけでいい。答えてくれ、お前は何者なんだ」
 チャンは振り返っていった。
「俺は、この宇宙ステーションの管理プログラムを創った『異星人』さ」
「何、だって……?」
 ハルが聞き返したときにはチャンの姿は取調室の向こうに消えていた。
「おい、待て」
 ハルは扉をたたいたが今度は開かない。中からしっかりと錠が下ろされている。
 ハルは中に入ることを諦め、仕方なく取調室の内部を映すカメラを作動させた。まもなく二人の人物が画面に現れた。
「私の交信記録をもう一度洗いなおせば私の潔白は明らかだ。異星人との密通? そんなあらぬ疑いをかけて俺を罠にはめようとしてもそうはいくか」
 ジリアン・ライトがわめくように言う。
「知っていますよ、閣下。貴方が送った通信は全て地球へのものだった。そう、司令官への通信でした。調べはついています」
 部屋を出ていったときに見せた怒りをあらわにしたような口調とは変わり、笑顔すら浮かべてチャンは答えた。
「もうすぐ司令官が帰ってくる。そうすればこんな茶番は終わりだ。クーデターなど成功するものか」
「それはこちらの台詞〔せりふ〕だ」
 チャンは射るような視線を突き刺した。思わず画面を見ていたハルも鳥肌が立ったほどだ。
「クーデターは成功しないんだ、ジリアン。君や、君が頼りにしている司令官の思惑は崩れたんだよ」
 ───どういうことだ。司令官まで関わっているのか?
 ハルは息を詰めて画面を見つめていた。
「ステーションを地球から独立させることで住人は『人質』になり、住人の安全保障と引換えに、異星人の科学力を独占して地球から利潤を巻き上げようとした」
 司令官は飲まれたように動けない。顔は青ざめ、わなわなと震えている。
「あんな初歩のウィルスを使ったのは間違いだったな。せめてまだ解読されていないものを扱えば成功したかもしれないが」
 チャンは薄く笑みを浮かべている。
「だ、だがあのウィルスはマザーコンピューターに直結させてあったんだ……」
 副司令官は消え入るような声で言う。その瞬間チャンは銃を抜き、相手の左胸に照準を合わせた。
「さあ、これで君は自分がスパイだということを白状したわけだ。証人もいる」
 チャンはカメラに目を向けた。翳りを含んだ瞳が一瞬ハルを見つめる。
「やめるんだ、チャン!」
 咄嗟にマイクに向かってハルは叫んだ。
「殺さないでくれ! 私は何も知らなかったんだ。ただ司令官に言われるままにウィルスを操作しただけだ。現在の情報部の技術ではブラックボックスであるマザーコンピューターにアクセスすることは不可能だし───」
 そこまで言ってジリアンはチャンを恐怖のこもった目で見た。
「お前は一体───」
 チャンは笑いもせずに安全装置を外した。ハルは扉を破るために電子センサーの錠に銃口を向けた。その時ハルの部下が飛び込んできた。部下は画面に映っている光景に息を呑む。
「隊長、これは……」
「どうしたんだ?」
 銃を向けたままハルは聞いた。
 視線を奪われたまま部下は答える。
「ついさっき地球との交信が回復しました」
「太陽の黒点の影響が消えたのか?」
「そんなものは最初から無かったんです」
 彼の話によればそれもコンピューターの誤作動だったのだという。
「それから今、地球からの緊急報告があって───」
 彼は一回言葉を切った。そして告げる。
「司令官の乗った宇宙船が消息を絶ったそうです」
 ハルは引き金をひき、消音銃の乾いた音がした。
 正確にセンサーを撃ち抜き、ハルは中に飛び込んで副司令官をかばうように二人の間にはいった。
「どけ、そいつで最後なんだ!」
 鋭くチャンは叫んだ。
「司令官の宇宙船が消息を絶った」
 ハルは短く言った。チャンは銃を下ろそうとしない。
「お前がやったのか」
 チャンはその問いに答える代わりに淡々と語りはじめた。
「あいつは我々の星を破壊した張本人だ」
 五年前、地球の宇宙ステーション開発グループは秘密裏にチャンの生まれ故郷である惑星『ティクラ』と技術提携を結び、宇宙ステーションの命とも言うべき管理プログラムを完成させた。そして三年前に宇宙ステーションが軌道に乗ったあと、開発グループはプログラムのいわゆる“ブラックボックス”部分を解明するために他の異星人と謀り、『ティクラ』の抹殺を計画する。
 その計画の中心となった人物が現在の宇宙ステーション司令官で、当時は宇宙防衛庁長官だった。
 惑星『ティクラ』は二年前のある夜、突然レーダーに膨大な数のミサイルを確認した。ミサイルは防護壁を打ち破り、まるで隕石のように地表に降り注いだ。そして僅か一時間で『ティクラ』をあらゆる生命体も住めない死の惑星へと変えてしまった。
「最初にティクラから地球の情報を集めるためにスパイとして送られてきたとき、情報がいちばん集結する軍隊に入ったのは正解だった───」
 チャンの声に怒りがこもった。
「軍の情報処理を手掛けているうちに、俺はティクラの消滅を知った。だがもう遅すぎたんだ。奴らは、ブラックボックスを手に入れればそれでよかった。ティクラの技術を利用するだけ利用して、後は口封じのために惑星そのものを……!」
 光線がハルの頬をかすめ、逃げだそうとしていた副司令官の肩を撃ち抜いた。彼は苦痛にうめき声を上げ床を転がり回る。
「やめろ!」
 ハルはチャンの腕を掴んだ。
「なぜ止める!?」
 ハルの手を振り払いながらチャンはまた床に銃口を向ける。それでもハルはチャンの腕を放さなかった。
「殺しては駄目だ。こいつは裁判にかける。さっきの映像が証拠になる。きっと罪を償わせることが───」
「裁判にかけたってティクラが戻ってくるわけじゃない!」
 チャンが叫ぶのと同時に銃声が響く。だがハルの渾身の力がチャンの手を上に上げさせていた。
「邪魔するな! 一緒に死にたいのか」
 チャンが腕を振るとハルの身体は壁に打ちつけられた。驚いたハルの部下がチャンに銃口を向けた。
「撃つな!」
 部下を制してからハルは立ち上がった。そして力を込めて言う。
「確かに裁判にかけて彼らの非道を明らかにしても、破壊された星は戻らない。だが彼を殺しても同じことだ。それは分かっているだろう」
「あ、ああ……、瞳が赤に───」
 部下がチャンの変化を指さし、恐ろしさで銃を取り落とした。だがハルは動かない。
「こんなつまらない男を殺したって、何が変わるわけでもないんだ」
 チャンは銃を床に向けたままハルのほうを見た。
「頼む、お前に余計な罪を犯してもらいたくない。後のことは俺に任せてほしい」
 ハルはチャンを見つめて語りかける。チャンは突然銃の引き金から手を放し、肩を震わせた。
「あのころ計画を発動させたメンバーが、今日は全員司令官とともに宇宙ステーションへやって来る。全員を宇宙船ごと抹殺してしまえば我々の復讐は終わる」
それを聞いてハルはチャンに詰め寄った。
「おい、それじゃ宇宙船はまだ───?」
 チャンは頷いた。
「仲間が操縦している。後、十分で自爆装置が作動するように仕掛けがされているんだ」
「やめさせることはできないのか?」
 チャンは答えない。一筋の涙が頬を伝って落ちる。
「チャン───」
「───俺は一年間の諜報活動を終えたら一緒になる約束をしていた婚約者をティクラに残してきていたんだ。一週間でも早く帰っていたら、少なくても一緒に死ねたのに……」
 チャンはもう一度銃をしっかりと両手で握りしめた。まるでそこにいない恋人の手を握りしめるように───。
「彼女のいないこの世界で、復讐することだけを考えて生きてきたんだ───」
 ああ、それで俺の結婚の話をしたときにあんな表情を───。
 ハルは自分の婚約者のことを考え、胸が締めつけられる思いがした。もし自分が婚約者を殺されたら、復讐に走ることもあるかもしれない……。
 でも、ハルはチャンをただの殺人者にしたくなかった。彼が自分の計画を話したときに見せた、あの優しさ。あれはおそらく友を心配する本心からの優しさだっただろう。
 チャンは銃を再度副司令官に向けた。怯えた目で彼はチャンを見上げ、悲鳴を上げてハルにすがりつく。
「や、やめてくれ───」
「お前など生きている資格はない。心配するな、あと少し経てばお前の尊敬してやまない司令官殿も追いつくだろう」
翳りを帯びた瞳がまた赤く輝きはじめた。
「ハル、退くんだ。お前がいても、俺は構わず撃つ。もう、時間がないんだ。俺は仲間たちとともに死ぬ、復讐を果たしたあとで」
「復讐が何だというんだ!」
 ハルの叫びにチャンは冷たく応じる。
「お前には分かるはずだ。最愛のものを失ったら、どうするか───」
 それでもハルは退かなかった。
「駄目だ。こいつを殺させるわけには行かない」
「こんな奴をどうしてかばう!」
 いらついたようにチャンは怒鳴った。
「かばってなどいない。俺が護っているのはこの世界の『法』だ。スパイを現行犯で射殺していいという法はない。ただ憎しみだけで邪魔者を排除してしまうのは、それこそ宇宙開発グループの奴らと変わりがないじゃないか」
「退け!!」
チャンは引き金を引いた。と同時にハルの部下がハルを守るように間に割って入り両手を広げた。
 ガチッ。
 撃たれることを覚悟で目を閉じていた部下は驚いて目を開いた。
 ガチッ、ガチッ、とチャンは引き金を引き続けた。そしてため息まじりに悲しく微笑んだ。「『法』のためか……」と小さく呟きながら。
 ハルはチャンの銃が作動しなかったのはエネルギー切れなどではないと分かっていた。 ハルはチャンに歩み寄った。ハルは身構えもせず、チャンの肩をたたく。チャンは副司令官を見つめ身じろぎもしなかった。ジリアン・ライトはほっとしたように座り込んだ。チャンの動きは急速だった。ハルが止める暇もなかった。チャンは突然副司令官の胸ぐらを掴み立ち上がらせると、その頬を思い切り拳で殴り飛ばしたのだ。
 彼の身体は弧を描き、壁にぶつかって動かなくなった。
「済まない、みんな───」
 俯いてそういうと、チャンは取調室を出て隣室へ行き、本部のマイクを取り上げて宇宙船へと通信を送った。
「計画は失敗だ。ステーションへ無事に帰還してくれ。いや……、失敗ではないのだろう。奴らを正規の『法』で裁くことができるのだから───」



六 もう一つの惑星



 司令官を含め、宇宙開発グループの面々は宇宙ステーションに着いたと同時に軍隊に囲まれ、逮捕された。
 彼らはやはりクーデターだの、陰謀だのと口々に言ったが、信頼ある軍の情報部が詳しく検索したデータを地球に送ったところ、中央裁判所からの審判が下されることとなった。副司令官ジリアン・ライトはチャンに殴られた傷が元で、ほぼ三ヵ月は流動食で過ごさざるをえないという警察病院からの診断で、厳重な監視のもとで療養するという。無論治れば待っているのは裁判だった。
 チャンの仲間は五人いた。その五人は宇宙船をステーションに帰還させたあと、しばらく滞在し、別の便で地球へ帰った。
 五人のうち一人は女性だった。彼女は涙を流しながらチャンに食ってかかっていたが、やがてチャンの言葉に納得すると黙って定期便に乗り込んでいった。
「奴らは宇宙ステーションの機能を無力化させ、ステーションの状態がぎりぎりのところで司令官が帰ってきて、機能を回復させ、そのまま地球との連絡を絶ち、独立しようとしていたんだ」
 仲間を見送りながらチャンは語った。
「独立したら、後は人質と、勿論地球の安全とを引換えに利益を独占しようとしていたんだ」
「利益って一体何なんだ。宇宙に進出するなら地球にこだわる必要はないと思うが」
「『石油』だよ」
 ハルは耳を疑う。
「エネルギー源としたらもっと効率のいいものがたくさんあるじゃないか。今では太陽光だって十分エネルギーに変換できるし」
 チャンは最後の一人が乗り込むのをじっと見つめて手を振った。
「『石油』は地球にしかない、しかも限りある資源だ。宇宙ではそれが貴重なんだ」
「石油はもう大分前に枯渇したと聞いているが……」
「最近のデータではまだ大分残っているという情報が入っているんだ」
「ならどうして掘り出さないんだ」
「さっき自分でいっただろう」
 二人は通路を歩きながら話していた。緊急事態のなかで同じように話をしながら同じ場所を歩いてから、早くも一ヵ月が過ぎようとしていた。
「それこそ今は必要が無いからさ。他のエネルギー源もある。いちばん重要なのは地球に掘りだす技術が無いってことさ。石油が残っているのはほぼ地球の核の部分に近いところだからね」
 チャンは一ヵ月、ほぼ不眠不休で動きつづけた。ハルも同様だった。宇宙開発グループのメンバーはほとんどが地球で重要な役職を担っており、重要人物を摘発するのは当初考えていた以上に困難だったからだ。
 最初は混乱を招く恐れから「異星人」とのことは隠そうとしたが、それでは真実が伝えられないと言ったのはチャンだった。
 そして思ったよりも地球の人々は既に異星人の存在を受け入れていた。チャンと副司令官とのやり取りが映っているフィルムが公表され、それが軍の正式な発表であることを知り、全く疑わしい点がないことがわかると、今まで信じていなかった人々も受け入れるようになった。
 それでもチャンは自分以外の「ティクラ」の住人は決して表にだそうとしなかった。様々な取材攻勢にも一人で応対した。最初は好奇の目で見ていた多くの人々が真剣にチャンの話に耳を傾けるようになった。
「……石油は地球の『歴史』が創りだした産物だ。古代の動物・木々の成分が溶け込んだ生命の水といってもいい。宇宙空間にはまだ知られていない物質もあるが、石油はそれらのなかでもかなり優れたものだ。そして活用する技術もティクラを始めとする幾つかの別の惑星では進んでいた。地球から輸入した石油を使って、新しい合成物質を作り、抗生物質より安全な薬もできた」
「そして石油の価値に再び気付いた宇宙開発グループが、技術を異星人から輸入し、そういった石油製品を独占しようとしたんだな」
 チャンは頷く。
「そして奴らはティクラの時と同じように、技術を利用するだけ利用してまた別の星の力を借り、証拠を抹殺しようとしていたんだろう。そう、異星人の力を借りたという証拠をね」
 ハルは通路を曲がりながら一通の封筒を差し出した。
「これから裁判の証人で地球にいくんだ。そのついでというわけではないんだが───」
「受け取っておくよ」
 チャンの瞳に一瞬翳りがよぎった。それがなぜなのか今ではハルにも分かっていた。
 すぐにチャンは笑顔になる。
「俺もこっちの仕事が片づいたらすぐに地球へいく。結婚式には絶対に参加するからな。───感謝している、ハル。ティクラを代表して礼を言わせてほしい」
チャンは頭を下げた。ハルは首を振った。
「やめてくれ、そんなこと。それだったら地球の重大犯罪者を摘発した礼を、俺が地球を代表してしなくてはいけないじゃないか」
 二人は声をあげて笑った。
「初めのうち、お前を疑って悪かった」
 ハルの言葉をチャンは一笑した。
「俺はスパイなんだぞ。疑わしくて当然だろうが」
「その事なんだが、スパイという点で罪に問われることはないのか?」
 チャンは悲しげに微笑んだ。
「スパイっていうのは諜報活動で、報告する相手がいなければ成り立たないのさ」
 二人は曲がり角で立ち止まった。
「ところで、どうしてワクチンの直結経路を知っていたのにすぐにワクチンを使わなかったんだ?」
「それは……」
 チャンは真面目な顔をしていった。
 ───ティクラを滅亡に追い込んだ地球人が何不自由なく暮らしていることが腹立たしかったのだ、と。
「それにジリアン一人を摘発しても後は雲隠れ、それでは同じことの繰り返しだからな」
「そうだな」
 ハルは相づちを打ったがそんな簡単なことでは無いことにも気付いていた。
 この惑星では一般人に対して情報が余りに秘密にされすぎる。もし利用するだけ利用して用済みになったら抹殺する、という上層部の思惑が知られていたなら、チャンの故郷はどうなっていただろうか───。
 取り返しのつかない過去だとは分かっている。でも考えないわけにはいかなかった。二人はこれからやるべきことがまだ山積みになっていることを感じていた。

「それじゃ、また地球で」
「ああ、またな」
 一ヵ月前に同じ場所で手を握ったことをハルは思い出した。だが今日は宇宙ステーションの運命を背負った重たさはない。そこにあるのは信頼できる友人との嬉しい再会の約束だけだった。(了)




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