終電に乗れたので、終バスに間に合う時間に最寄り駅に着くことができた。いつもは結構タイミングが悪くて電車が着くとバスが行ってしまう、ということが多かったので、バス停に黙って(ま、バスが喋るわけないんだけど)待っているバスを見て、僕は走ってバスに飛び乗った。
バスも僕を待ちわびていたかのように、すぐに発車した。
いつも通い慣れた道でも深夜十二時ともなれば様相が違って見える。月も出ていないし、何十メートルかおきの外灯も所々点滅していたりして、いつもより暗い闇の部分が多い気がした。
僕が乗ったとき、乗客は他に見あたらなかった。一番前の椅子に腰をかけて、乗ったきり後ろを振り向くこともなかったので自分が一人でいることに何の疑いも抱かなかった。
運転手は律儀にカセットテープを回す。ほら、あの広告混じりに次の停車場の名前を告げるエンドレスなテープ。立派な心がけというか、何というか。ちょっと僕に行き先を聞いてくれればいいんだろうけど。
でも自分からそんなこというのもどうかと思うし、運転手の方だってそこできっちり仕事を終えないと、一日が終わった気がしないかもしれないじゃないか。
そんなとき、音がした。
ぴんぽーん。
僕は最初自分が一人だということを失念していた。だから何とも思わなかった。バスは停車場に着き、ブザーと共に扉を開けた。
誰も降りる気配がない。僕は振り向いた。誰もいない。丁度扉が閉まるところだった。
何時の間に降りたんだろう。気づかなかった。まあいいか。
しかし僕のその気休めは三つ目のバス停を過ぎたところで効果を失ってきていた。
テープが回る。降車を知らせるベルの音。ブザー。扉の開閉音。
次の停車場を知らせるテープ。僕の家までバス停はあと三つあった。
ぴんぽーん。
子供だ、子供が悪戯しているんだ……。そうか、よくある話じゃないか。席に座っていたって別に見えなくても不思議じゃない。はは、そうに決まってる、よな?
ブザー。扉の開閉音。振り向けない。誰も降りる気配がない。
テープが回る。あと二つ。ぴんぽーん。ブザー……。扉が開く、そして閉まる。
あと一つ。
僕は全身汗びっしょりになっていた。汗が目に入る。鞄を抱きかかえたまま、拳を握りしめる。
テープが回る。降車ボタン、押さなくちゃ。押す。ベルの音……、鳴らない。バスは……、停まらない。停まらない?
「すいません、お、降りたいんですが……」
僕の方をちら、と見て運転手は黙ったままバスを停めた。ブザーの音。扉が開いた。
ずっと力が入っていたらしい。身体が自分のものじゃないようだ。一度つまずく。そしてその拍子に呪縛が解けたように足が軽くなった。
転がるようにバスを降りる。扉が閉まる。バスは何事もなかったように走り去っていった。
灯りがぼんやり遠くに見えた。僕が降りるはずのバス停よりはまだちょっと前だったらしい。僕が気分悪そうだったからさっさと降ろしたんだろう。
ぴんぽーん。
え? 気のせいだろう。
空耳だったか分からないけれど、赤いテールランプが停車場で停まるのが見えた。目を凝らす。誰も、降りない。
僕は耳を塞いだ。
ぴんぽーん。
聞こえるはずがない。バスはもう、降りたじゃないか。
僕のすぐ横をバスが通り抜けていった。
振り返る。
「最終バス」
バスの後部のランプにそう書いてあった。
赤いテールランプがバス停に停まる。人がまばらに降りてきた。後部座席には人の影がある。まだ先のバス停で降りるのだろう。
何人か降りてきた人の方へ思わず駆け寄りたくなったが、僕はきびすを返した。バス停は家とは逆方向だったし、遠目だったけれど僕の知り合いは乗っていなかったからだ。
僕は自分が乗ってきたバスの後ろ姿を思い出そうとした。
家に着くまでずっと考えたけど、何て書いてあったのか思い出せなかった。そしてそれ以来「最終バス」には乗らなかった。単に機会がなかったせいもある。正直に言えば「最終バス」は懲り懲りだった。
そのうち僕は引っ越して、駅のすぐ傍のアパートに住むようになり、バスにすら乗らなくなった。
それでも。
ぴんぽーん。
僕は未だにあの夜の夢を時々見ては、遠くに去っていく赤いテールランプの儚さを思い出すのだ。
The End