「大丈夫? 足フラフラだよ」
「けっこう飲んだかなぁ。ぜんぜん平気だよ、オレは」
そう言いつつ俺の足は完璧な千鳥足だ。
彼女に手を引いてもらわないと、まっすぐ歩けない。
「とりあえず、どっか泊まれるとこ探そうよ」
彼女は気負いもてらいもなく、そう言った。
つきあい始めて3ヶ月。
なかなか自然な関係を作れている、と俺は思っている。
ホテル街をしばらくさまよい「空室」の文字を探す。
「ルシャトー、サイレントアイ、どこもいっぱいだぁ」
ホテルがなかなか見つからない決まりの悪さに俺はおどけてそう言った。
「しょうがないか、土曜だもんね」
彼女の笑顔にも、なんとなく落ち着きがない。
そのまま俺と彼女は黙り込んでしまった。
やっぱり、ホテル街でホテルを探し回るのは、気まずい。
そんな気まずい雰囲気の中、同じような境遇のカップルと何度かすれ違う。
それが、さらにばつの悪さに拍車をかける。
「もう少し早めに行動してれば……」
と、俺が言いかけたところで、さっき会ったカップルに角を曲がってまた会った。
向こうも気付いたらしく、一瞬目があった後、慌ててそらす。
気まずい。気まずすぎる。
心の中で「この状況はダメだ……。全然ダメだ」と思わずにはいられなかった。
しばらく歩き、何個目かの角を曲がり、細い路地に入ったところで、「空き室あり」が点灯しているホテルを見つけた。
彼女の顔を見ると、彼女もホッとした表情をこちらに向けていた。
路地に他のカップルがいないことを確認しつつも、ついつい早足になる。
外観は良い意味でちょっとレトロ、赤いランプが少し毒々しい。
「やっとあった」
俺は照れ隠しに笑いながらそう言った。
ラブホテル特有の狭い入り口に入ろうとしたときに、ホテルの看板が目の前にあった。
【ホテル「よしえ」宿泊7000円〜】
スナックみたいな名前だ、と俺は思った。
そのまま、自動ドアを抜け、建物の中へ。
受付の前に部屋の写真が一覧できるパネルがあった。
その前に立って、空き部屋を確認する。
パネルに光が灯っている部屋は3部屋しかなかった。
「どこでもいい?」
と彼女に言いながら俺は一番安い部屋に目星をつけた。
部屋のボタンを押すと背後で受付の窓がサッと開いた。
「はい8500円」
無愛想な声だった。
振り向くと眉の辺りが幸薄そうな中年の女性が、受付の窓からこちらを見上げていた。
女性は中で何か別の仕事をしていたらしく、つっけんどんな態度だ。
忙しいんだから、早くして。
そう表情が言っていた。
俺は財布から一万円札を出し、お釣りと鍵をもらった。
エレベーターに向かう途中で、
「あの人がよしえかな」
なんて軽口を彼女に叩いた。
ドアを開けて部屋に入る。
少し古いが清潔な部屋だった。
鏡張りでもないし、もちろんベッドも回転しない。
心地よいBGM、悪くない。
「なかなかの部屋だね」
俺はそう言うと、ベッドに腰を下ろして、枕元のコンソールをいじってみる。
彼女はシャワー室を見ているようだ。
照明のスイッチがここで…、音楽のボリュームが…。
その時、コンソールに見かけない「装置」があるのに気付いた。
いや、「装置」自体は普通に見かける、ありふれたものだ。
しかし、こんな「装置」がラブホテルにあるのを俺は見たことがない。
コンソールには「カセットプレイヤー」が内蔵されていたのだ。
プレイヤーの窓から中のカセットを覗くとテープが回転しているのが見える。
……どうやら、この部屋に今流れているBGMはこのテープからのものらしい。
「はは、おかしいよ。これ見ろよ。いまどき有線じゃなくてカセットテープだ」
「ホテルの見かけどおりこの辺は時代を感じるね」
隣に腰掛けた彼女が言った。
ふとカセットを取り出してみようかという気持ちがわいた。
コンソールの停止ボタンを押し、さらにもう一度停止ボタンを押すと、カセットプレイヤーの扉がおもむろに開いた。
カセットを抜き出し、ラベルを見る。
「よしえセレクションAut.2000」
なんだこれは?
なぜだかわからない。だけど、その時、頭に一瞬浮かんだのは受付のおばちゃんの顔だった。あの幸薄そうな痩せ気味の顔だ。
「このホテルのオリジナルセレクションなんだ。結構気が利いてるね」
横から彼女がそう言った。
この『ホテル』のオリジナルセレクション?
気が利いてる? うん、気が利いてる。
そうだよな、この『ホテル』の気遣いだよな。
なにか釈然としない気持ちを抑えつつ、
「そうだね、オリジナルセレクションなんて、こういうところだと珍しいのかな? ははは」
完全に、完璧に珍しいことは承知の上だが、ここで言い切ってしまうと、「ホテルいっぱい行ったことあります」と宣言したようなものだ。俺はすこし婉曲的な言い回しをしてみた。
「他にはカセットないの?」
彼女が聞いてきた。
俺はそこらを探したが、それらしいものは見あたらなかった。
「見あたらないなぁ。まぁ、曲は悪くないからこのままでもいいんじゃない?」
俺はそう言ってカセットテープをプレイヤーにかけた。
そして部屋に「よしえセレクションAut.2000」が流れ始めた。
「シャワー浴びてきなよ」
俺がそう言うと、彼女はバッグを持ってシャワー室に入っていった。
なんとなく手持ちぶさたになった俺は、テレビをつける。
くだらない深夜番組がいくつか放送されている。
しかし、内容なんて頭に入らない。
今日はどんなふうにしようかなぁ。
あいつもけっこうエッチだからなぁ。
すでに頭は浮き足立っている。
シャワーの音を聞きながら想像を膨らませつつ、テレビのチャンネルを変えていった。
そんな中、音楽番組に目が止まった。
普通の事務所のようなスタジオから放送されている。
それだけでもおかしな印象なのに、その手の番組にしてはめずらしく、中年の女性がDJをやっていた。
事務所と中年の女性と音楽番組。
その奇異な組み合わせが、チャンネルを変える手の動きを止めたのだ。
深夜番組も手を変え品を変えよくやるよ……。
中年のおばちゃんも全然DJらしくない。
DJというよりは……、そうだな、まるでホテルの受付のおばちゃんだ。
受付のおばちゃん?
俺は立ち上がってテレビに近づいた。
俺はなんだかわからない気持ちになった。
よく見れば、DJは、さっきの受付のおばちゃんだったのだ。
なんだこれは?
少しの混乱の間も、MCは続く。
そのとき、「DJ」兼「受付のおばちゃん」はこともなげに言ってのけた。
「よしえのミッドナイトグルーヴも佳境に……」
やはりこいつがよしえか!
なにか合点がいった。
しかし、やはりなにか釈然としない物がある
なぜよしえがテレビモニターの中に?
よしえはいったい何者?
いや、受付のおばちゃんがよしえ?
俺、酔ってる?
今日のプレイは?
受付のおばちゃんがテレビに?
これテレビか?
なにこれ?
酔った頭は素早く回転しない。
色々な疑問が浮かんでは消えていく脳に、よしえのこなれたトークが入ってくる。
曲紹介はよどみない。
話題は60年代のジャズやら80年代のテクノやら。
よしえの知識は相当なものだ。
録画なのだろうか?
何かの趣味か?
俺、酔ってる?
ほんとによしえなのか?
よしえが、ほんとに受付のおばちゃん?
あいつもスケベだよなぁ。
そもそもよしえって何?
よしえの明瞭なしゃべりとは逆に混乱は加速し、色々な考察が頭の中をよぎる。
そのときモニターの中の部屋にブザーが鳴った。
「ちょっとそのままジャスタモメント!」
そう言ってよしえは壁の方に振り向き、
そこにある小窓を開け、その向こうの暗闇に向かって言った。
「はい9500円」
その声はあのときの無愛想な声だ。
その時、俺は悟った。
これはライブだ。生中継だ。
今このホテルの一階では、(なぜだかわからないが)受付のおばちゃん「よしえ」がDJ番組をライブで放送している!
しかしライブであることがわかったところで根本的な所はなにも解決してなかった。
よしえはいったい何者なんだ!?
その時、彼女がシャワーから出てきた。
その音を聞いて、思わずテレビを消してしまった。
まるでエッチな深夜番組をこっそり観ているところを親に見つかった時のように。
そう、俺は「なにか見てはならないもの」を見ていたのだ。
呆然と何も映ってないモニターを見つめる自分に、彼女が心配そうに声をかける。
「どうしたの? なにかあったの?」
「いや……」よしえが……
そう言おうと思ってなぜかためらった。
得体の知れない状況(それは「よしえ」と言い換えてもいいかもしれない)を俺がまだ理解してなかったからかもしれない。
なんとなく言葉にすると奇妙な事態の奇妙さを認めるようで、俺は
「……なんでもない」
と続けた。
混乱する頭を鎮めるためにも、熱いシャワーを頭から浴びた。
少し飲み過ぎただけだ。
しばらくそのままの姿勢。
よしえ? 誰?
その疑問は頭の深いところにこびりついて取れない。
浴室は広々としていて、シャンプーやボディーソープは少し遠くに置いてあった。
わざわざ浴槽から出ないと使えない。
浴槽のわきにそれらを置いて頭を洗う。
混乱をかき消すように髪を洗った。
その夜は不可解な気分のまま彼女を抱いた。
なんだかよしえの気配に悩まされ気が散った。
いつしか俺を深い眠りが包んだ。
翌朝、目が覚めた。
かけっぱなしだったBGMがかすかに鳴っている。
目覚めにしっくりくる曲で心地よい。
頭の奥にしこりがあり、昨日の酒が少し残っているようだ。
それとともに違和感が体の中にチクリと感じられた。
そうだよしえだ。
身体をくの字にして、となりに寝ている彼女を見ながら、昨夜のテレビを思い出す。
なんだったのだろう。
俺はもう一度テレビをつけて確かめたくなった。
彼女を起こさないようにテレビをつけた。
サンドストーム、砂嵐。
そこによしえは映っていなかった。
チャンネルを一通り変えてみたが、昨日見たような番組はない。
酔っぱらっていたからかそれとも夢か。
俺は酒を追い払うためにシャワーを浴びようとした。
シャワー室に入り、蛇口をひねる。
しばらくして熱いお湯が出てきた。
シャワーを頭から浴びながら、シャンプーを探す。
ない。
昨日たしか手の届くところに置いておいたはずなのに。
見ればシャンプーやボディソープは元の場所に整理されて置かれていた。手の届かない位置に。
最初は違和感。
続いて恐怖感。
なぜシャンプーの位置が変わっているのか。
昨日、俺は確かにシャワーの近くにシャンプーを置いたはずだ。
俺は子供のようにシャワー室で後ろを振り向けずにいた。
シャワー室から部屋に戻るのにかなりの勇気が必要だった。
動けば殺られる。
そんなカウボーイも真っ青なプレッシャーをはねのけて、俺はシャワー室の扉を開けた。
「おはよ」
「うわぁ!」
突然の声にびっくりする。
彼女が起きていたのだ。
「ハハハ、そんなにびっくりした?」
彼女は悪戯っぽい笑顔を浮かべている。
俺はその場に座り込んでしまった。
「ど、どうしたの? 顔色悪いよ。大丈夫?」
確かめていいものやら。
もし、彼女も動かしてないとしたら?
俺は彼女に尋ねることを躊躇した。
しかし、何かにすがる思いで、俺は尋ねた。
「シャンプー……」
今シャワーを浴びてきたのに、俺の喉はカラカラに乾いていた。
「シャンプー……とか、昨日、俺がシャワーを、シャワーを浴びてから、片づけた?」
彼女はキョトンとした目をして答えた。
「ううん。片づけてないよ。わたしシャワー浴びた後」
俺は唾を飲み込んだ。
「浴室に入ってないし」
めまいがした。
何かの間違いだ、自分に言い聞かせる。
しかし、いったい誰がシャンプーを元の場所に戻したのか?
浮かぶのは、受付のおばちゃんの顔。
よしえの顔。
そんなはずはない!
その時に違和感を感じた。
そうだ、部屋で昨日と変わってるところは他にある?
シャンプーは考え違いだ。
そうさ、俺が自分で片づけたんだ。
この部屋には昨日と違うところなんてどこにもないんだ。
でも、この違和感はなんだ?
俺は必死で探した。
「どうしたの? 何探してるの?」
「よしえだよ! よしえ」
彼女は気味悪そうに僕を見た。
「何か変なんだよ、このホテルは! 昨日もテレビによしえが!」
「ちょっと落ち着いてよ。冷静に話して」
そう言われて、取り乱している自分に改めて気付いた。
冷静に、そうだな。
よく考えればこんなに慌てている自分がおかしかった。
彼女と迎えた朝、静かなBGM。
慌てたり取り乱す状況じゃない。
ゆっくりコーヒーでも飲みながら、今日の予定を立てるのがお似合いだ。
慌てる状況じゃない。
状況じゃない。
BGM?
俺は何かにはじかれたようにカセットプレイヤーの停止ボタンを二回押した。
カセットテープを取り出しラベルを確かめる。
「よしえセレクションAut.2000ver.2」
ver.2!
バージョンアップ?
しばらく俺は自分の口元に張り付いた笑みを取り去ることができなかった。
気味が悪い、とかいうレベルではなかった。
「ラブホテルの受付のおばちゃんがDJで、しかも部屋に侵入した」
言葉にしてみれば、簡単だった。
言葉にしてみれば、警察沙汰だ。
単なる異常な事態で片づけられる。
簡単だ。
すごく簡単だ
しかし!
やはり俺には訳が分からない!
後日談:その後、なんとなくその彼女とは別れてしまいました。(了)