束は酒とともに





プロローグ



 男が一人、ある高層ビルの一室から眼下に広がる街並みを見下ろしている。五十代に差し掛かろうとするその容貌はしかし、両目の放つ強い輝きによって十歳は若く見える。この男が内に秘めている表情を露わにすることはめったにない。だがそんな彼でさえ今待っている存在に対しては、更にもう一枚心にヴェールを掛けなければならない。
 その男ビクトールは無表情のまま待ち続けている。
 この街「オルバース」の市長の座にあって十年が過ぎようとしている。
 十年前のある事件で、彼は幾つかの大切なものを失い、それと引き替えにするかのように多くの義務を背負い込むことになり、付随して生まれる困難に立ち向かい打ち勝ってきたつもりだった。
 そのときはこんなにも長い間闘い続けることになるとは考えなかった。切り札を握っているのはこちらであり、闘争はいつか終えることができると考えていた。無論こちらに有利な情勢で。
 敵の数は少ないとは言えない。だが過去の負の遺産ほど重いものもまたないのだ。市長としてまた一人の人間として、ビクトールは昔の同僚でもある「彼」が関わる、またはその存在を感知できるようなどんな活動をも見逃すことはできなかった。一度そうと分かればいかなる汚い手段を使ってでも叩き潰すことが必要だった。
 扉が開いた。この部屋のコードを知っているものは多くない。しかも日に数度は変わる。―――もっともこの存在には無意味だが。
「お呼びですか、長官」
 ビクトールに引けを取らぬ無表情。黒いサングラスを外そうともしない。
 背はそれほど高くない。体つきはがっしりとした体格のビクトールに比べれば華奢に見える。長い黒髪を頭の上の部分で一つに結い上げ、一見すれば男とも女とも見えた。黒いジャケットに黒いシャツを着込み、その所作には隙がない。
「桐。三神(みかみ)が動いている」
 ビクトールにとっての切り札。この「桐(きり)」という名を持つ傭兵もまた、過去の遺産の一つだ。
「そのせいでしょうか。傭兵達が最近ざわついている。他都市との抗争が始まるという噂が流れています」
「聞いている。冗談ではない。関係は良好だ。先だっての都市会議でもそれを確認したばかりだ。全くのデマだ。だが……、各都市で傭兵を集めだしているのは知っている。不穏だからやめろともいえまい」
「三神が関わっているのでしょう?」
「いや、それとは別件だと考えている。奥底では繋がるかもしれんがな」
「私が動けば三神も動くでしょうね」
 この傭兵は切り札とはいっても未知のカードだ、とビクトールは思っている。自分の意志通りには動かない。自らが囮だと知っているのだ。知っていてもなお、今のところ桐はビクトールの元で傭兵として働き続けている。その意図は不明だが、こちらに不利な状況を生み出さない限り「切り札」としての価値は薄らぐことはない。
「お前が動くという情報はもう入っていると思って良い。三神とは長い付き合いだ。腐れ縁、というのだろうな。こちらがあちらの情報を手に入れているのだ。当然向こうにも知られているだろう。―――行くか」
「はい」
「チームを付ける。三人だ」
 桐は眉だけで一瞬驚いた表情を見せた。
「彼等は詳しい事情は知らない。ただ違法行為をしているコンピュータシステムの破壊というミッションを与えた。リーダーは君だ。不足はあるか」
「ありません。ただ……」
「ただ、何だ」
「いえ、任務にかかります」
 それだけいうと桐はきびすを返した。
 桐が退出した後、ビクトールは机上の電話を手にした。
「『オリジナル』を呼んでくれ」
 桐は、自分が囮なのになぜチームを組ませるのか、と聞きたかったのだろうとビクトールは推測した。それぐらいなら桐の考えることは分かるのだ。
 いつもの任務ならビクトールも躊躇わず桐を一人で行かせただろう。だが今回は事情が違う。
 これは三神が仕掛けてきたものだ。彼はオルバースの中枢を網羅しているコンピュータシステム「フリオス」に割り込み、不特定多数の傭兵達に任務を依頼してきた。こんなことができるのは三神だ、と予想できる立場にいるビクトールなら当然罠だと勘づき、囮として桐を送り込んでくるだろう、という仕組みだ。
 大多数の傭兵には、任務依頼がデマであるという情報を伝えた。だが以前も仕事を頼んで優秀な成果を残した桐を含む四名には、確認の連絡があった際に改めて任務を伝えた。 ビクトールには考えがあった。彼等なら容易にやられはしない。それに、桐にそれと知らずに過去に接触しているもう一人の傭兵、そのデータがほしい。
 ―――桐、お互い一人でいる時間が長すぎたようだな。
 そう独語してビクトールは次の来訪者をまた表情を消して待つのだった。



一 侵入



 オルバースの夜は薄明るい。幾つもの高層ビルが空を貫き、人工の灯りが空に瞬く星の代わりにきらめく。実際の星空は昼夜問わず分厚くたれ込めた雲の向こうだ。
 繁華街は更に賑やかで時折何色ものライトが零れだし、曇った空に反射する。しかし光が届かないところでの闇は一層深く、静かに、しかし確実にそこに在った。
 闇の一部がうごめく。幾つも立ち並ぶ高層ビルの一角だった。ヘリがビルの屋上に舞い降り、また飛び去っていった。
 残されたのは四つの人影だった。
 影達は換気パイプの影に身を潜めた。
「現場到着」
 押し殺した低い声が通信機に告げる。
「桐、屋上に人影はないわ。機械仕掛けのサーチライトが三機。まだ作動していない。おそらく監視カメラは付いているけど、今の段階ではまだ察知できない」
「充分だ、フローラ」
 桐が応える。フローラ、と呼ばれた影はにっこりと微笑んだ。ちら、と薄明かりに照らされた表情はあどけない少女の面影を残している。
 フローラ。背丈は桐とそう変わらない。一七〇センチあるかどうか、というところだ。黒いボディースーツが艶めかしい肢体を覆っている。隠しようのない張り出したバスト、くびれた腰に繋がる形のいいヒップ。白に近い金髪を耳の下当たりで短く切りそろえている。薄茶色の瞳は大きく見開かれ、三日月のような唇には常に微かな笑みが浮かんでいる。
 道ですれ違えばまず男達の目を引かずには置かない掛け値なしのこの美女が、元は二十代半ばの青年であることは傭兵達の間では公然の秘密である。
 傭兵仲間達の間ではフローラといえばその性別への関心よりも「ハンター」という別名を持って恐れられる存在だ。どんな位置からでも狙いを付けられれば最後、標的は逃さない。
 優秀な傭兵の中には身体に機械を組み込み、サイボーグ化されている者も多い。フローラは目にその機能を組み込んでいる、という噂だ。
 もっとも、自分の命を懸けてまで男だった過去を問いただしたり、機械化の真相を知ろうとする傭兵は今のところいない。「彼女」は見かけとは違ってたおやかでもお淑やかでもなく、逆に場合によっては短気でさえあったからだ。自分が「獲物」になるのは誰だってごめんだった。
「このミッションが終わったらみんなで飲みに行こう」
 命知らずなのか、そう声をかけてきたこの傭兵はフローラとは初対面だった。別に下心があって、というわけでもないらしい。
 何か応えようとしたフローラの後ろから神経質そうな青年の声が代わって口を開いた。
「ヴィスタ、貴方はデータ通り歴戦の勇士なんだな。さすがに余裕だね。もうミッションは始まっているっていうのに」
 長袖の黒いシャツに長い足を隠すスラックス。細身の体型。190センチはある長身である。素通しの丸い眼鏡をかけ、黒いキャップをかぶったその顔は悪戯っ子のようだ。年齢は二十歳に届くか届かないか、といったところか。
 誘いを発した傭兵は、その声と同様に人懐っこい顔に笑みを浮かべながら、H・Hの方を向いた。
「余裕? とんでもない。H・H(ダブル・エイチ)、君のデータも聞いている。今回はコンピュータ関連のミッションだろ。頼りにさせてもらう」
 H・Hと呼ばれた青年は肩をすくめてみせる。
「悪かった。こちらこそよろしく、副リーダー」
 そのやりとりを見ていたフローラがくすり、と笑う。
「やめなさいよ、二人とも。子供みたい」
 H・H。
 コードネームの由来は「ハッカーの中のハッカー」の略と言われている。あらゆる電子機器に通じ、中でも様々な暗号解析においては天才の名をほしいままにしている。彼の左手首には小さなコンピュータが装着されているが、H・H自身が開発したというそのシステムは他人には解析不能で、一部では彼の脳にダイレクトに繋がっているとも言われている。無論真偽を確かめようもない。
 そのH・Hよりは一回りほど上か。ヴィスタと呼ばれた男の表情はひょうひょうとしている。彼の右頬には過去の戦いで受けたものなのか、五センチほどの一筋の古傷があり、その傷跡のせいか穏やかな雰囲気にはっとさせられるような精悍さがある。
 黒い半袖のシャツからは鍛え込まれた両腕がむき出しになっている。髪は短く刈り込まれ、背は長身のH・Hにはやや届かない。両の腰の左側には警棒、右にはその体格には似合わぬ小型の銃が差し込まれている。
 傭兵の中では古参の方だろう。だが彼と共に闘った傭兵達から聞かれる噂はあまり多くはなかった。強い、ただそれだけなのだ。彼のその強さが強化手術を受けたものなのか、それとも他に起因するものなのか、はっきりとは分かっていない。
「リーダー」
 ヴィスタが桐に声をかける。
「今回の指令について補足とかはないのかい。取りあえず違法コンピュータの破壊、ってことだが、今回の長官からの指令はどことなく曖昧な気がしてな」
 桐は頷く。その表情が少し動いたようだった。
「侵入して僕はフローラと一緒にメインコントロール室に向かう。違法な部分を探し出して破壊、そういうことだと解釈しているけれど?」
 H・Hがおどけたような調子でいう。ヴィスタに皮肉を投げつけた割には、この青年も張りつめたような緊張といったようなものからは無縁のようだった。
 H・Hからの発言にも桐は同様に頷いた。
「あたしは援護に徹する。中にどんな仕掛けがあるか分からないもの。あたしになら『見える』ものもあるから」
 フローラにも桐は頷きをもって返す。
「もしかすると、不測の事態が発生するかもしれない。それだけ覚えていてほしい」
 桐は皆に向かってそういうと黒い革手袋に包まれた左手を優雅に動かし、形のいい唇に指を一本当てた。黙れ、というのだ。
 次の瞬間、光が四人の位置を照らし出した。ヴィスタには桐が一瞬微笑んだように見えた。
「ミッションスタート」
 澄んだ声。
 ライトが一本、二本と集結し、灯りに照らされていない部分はかえって暗さを増した。四人は一斉に散り、その姿を闇に溶けこませる。
 桐はこの緊張を楽しんでいる。表情こそ変わらないが、桐の小柄な身体から発する「気」が圧倒的に膨れ上がったのを感じたヴィスタは身を震わせた。久しぶりに経験するそれは武者震いだった。
―――こいつは敵に回すと厄介だな。
 今回の任務は手応えがありそうだ。桐といい他のメンバーといい、データ以上の力を持っていることは間違いない。そしてこの自分も、とヴィスタは思う。おそらく傭兵が組むチームの中でもトップクラスの実力だろう。長官は、一体「たかが」コンピュータシステムの破壊に何をこんなに意識している。
「ヴィスタ、こちらだ」
 H・Hが短く声をかける。やはり彼もプロなのだ。いったんミッションにかかればチームワークに支障を及ぼすような感情を持ち合わせてはいない。
 サーチライトが交錯する中、四人は扉の前に立った。頭上の監視カメラが作動、と同時に抜き打ちを見せたフローラのレーザーガンに爆散する。
 ヴィスタは内心舌を巻いた。フローラの手の動きは殆ど見えなかった。ハンターの名は伊達ではないらしい。
 その視線を感じたのかフローラは目だけで笑って見せた。
 扉には電子錠がかかっている。H・Hが素早く手をかざした。左手首のコンピュータが暗証番号を検索する。平行して彼の指先が電子錠に数値を叩き込んでいく。瞬く間に錠は機能を停止させられ、扉は音もなく開いた。
 桐が扉の奥に視線を投げると、フローラは右手に銃を構え闇の中に滑り込んでいった。同時にレーザーが数度閃く。幾つもの機械が壊れる音が響いた。
「H・H、先に行け」
 ヴィスタの指示に彼は軽く右手で敬礼し、扉の中に消えた。
「ヴィスタ」
 桐が名を呼ぶ。顔を合わせて以来初めてのことだった。
「君は私と一緒に行動してほしい」
 ヴィスタは頷きながら警棒に左手をかけた。
 事前の打ち合わせでは、ヴィスタは単独で動くはずであった。
 桐がそういうのなら従う。今ここでいうからには何か意味があってのことだろう。何より今回の任務のリーダーは桐なのだ。ヴィスタにはそう割り切れる自負があった。
 そう、別に何かあっても切り抜けられる自信が俺にはある。
「了解」
 ヴィスタは警棒を引き抜きながら、先行する二人の後に続いた。
 最後に残った桐は今まさに向けられようとしていたサーチライトを一瞥した。桐のサングラス越しの視線を受けたライトは一瞬にしてその機能を停止させ、周囲はまた闇に戻る。
 桐は一度小さく息をつくと扉の奥に消えていった。

「ドクター、準備完了しました」
 一人残っていた若い研究員が額の汗を拭う。
「ご苦労、行っていい」
「でも侵入者が……」
「行っていい」
 有無をいわせぬ口調だった。
「ど、泥棒かもしれないですよ。しかもあの素早さ、絶対改造されて―――」
「聞こえなかったか」
 聞くものを凍り付かせるような声音。研究員は事実立ちすくむ形になった。
「は、はい……」
 研究員は椅子から立ち上がり、ドクターと自分が呼んだ男から距離を置くように後ずさった。
「いいか、今日のことは他言無用。後で事情を知る者が一人でもいれば責任を問う。代償は……」
 男は手を白衣のポケットに無造作に突っ込み、中から取り出した小型の銃を何でもないように研究員に向けた。研究員の青年は震えて手を挙げた。
「わわ、う、撃たないで下さい。ちか、誓いますから……」
「行け!」
 その声に尻を蹴飛ばされるように彼は部屋を逃げ出した。
「ふん」
 残された男は白衣を翻す。監視カメラが破壊される直前に映しだした映像が固定されている。
 侵入者は四人。
「単独で来ると思ったが……、桐」
 男は顔を歪めた。
 そのままコンピュータに向かう。パスワードに加え、自分の名を打ち込んでいく。
‘MIKAMI SHINGO’
「……ビクトールのやつ、何のつもりだ」
 ぶつぶつと画面に向かい、ただ手だけは目まぐるしく動き続ける。
「まあ、いい。桐は来たのだからな」
 白髪交じりの髪と嗄れた声の割に、顔つきは意外に若い。四十は超えていないだろう。死人のように表情の欠けた茶色の瞳。顔色は青白い。
〈プログラム、起動しますか?〉
 画面に文字が浮かび上がる。
 三神の指が魔法のように動き続ける。その動きの早さ、滑らかさは、H・Hに劣るものではなかった。
 タンッ。
 コンピュータの実行キーに三神の指が叩きつけられる。
〈プログラム起動〉
 三神の背後にあるベッドからゆっくりと起きあがる影。
「早く来い、桐。始末をつけてやる、この三神真悟がな!」
 三神は顔を歪めた。仮に先ほどの研究員がいたら今度こそ腰を抜かしただろう、そんな表情で、しかし彼は声を立てずに笑っていた。



二 突入



 青白い非常灯が所々に点っている他に灯りはない。周囲は殆ど闇に近い。だがヴィスタも桐も躊躇することはなかった。
 足下に幾つもの円形警備ロボットが仰向けに転がり、天井の監視カメラは一つ残らず機能を殺されている。フローラに狙い撃たれたのだ。
 彼女は真正のハンターだった。相対したときにはもう遅い。フローラは相手が自分を視認できるよりも遥か遠くからその存在を察知し、正確に照準を合わせている。
 いつだったかH・Hが前のミッションでフローラと組んだとき、その腕を賞賛したことがあった。彼女は至って真面目にいったものだ。
「あのね、あたしは本当に臆病なのよ。先に察知された方がやられる。そういう世界で生きてきたから……」
 彼女の言葉を裏付けるかのように、こちらの存在を悟られている様子は無かった。周囲は静まりかえっている。警報一つ鳴らされていない。
「おかしいな、静かすぎる」
 そうヴィスタがいったのと、
「何か聞こえる……」
 桐が呻くように呟いたのは同時だった。その声は先ほどの好戦的ともいえる声とは明らかに違っていた。どことなく辛そうなハスキーボイス。
「おい、大丈夫か? 俺には何も聞こえないぜ」
 二人は立ち止まった。不意に桐がヴィスタの額に革手袋に包まれた左手を当てた。咄嗟のことでヴィスタは動けなかった。
「おい、何を……」
 ゆっくりと手を離した桐は驚いたときの癖なのか、眉を軽く跳ね上げた。
 桐の能力。それは傭兵の中でももっとも謎が多い。
 ただ桐はありとあらゆる機械に干渉する能力がある、という。サーチライトのような原始的なものから、高度に構築された情報システムのようなものも、桐は難なくその構造を読みとり、場合によっては破壊することもできた。
 この世界の傭兵は例外なく個人の主だったデータをプログラム化したものを額に埋め込んでいる。ヴィスタのデータを直接桐は読みとろうとし、そして未知の障壁にぶつかったのだ。そんなことはかつて無かった。桐が知らないものなどそうはない。
「君のデータは……、そうか、長官はそれで私と君を組ませた訳か」
「何をいっている? おい、もしかして俺のデータを読んだのか」
 桐は悪びれた風もなく頷き、今度はヴィスタの瞳をサングラス越しに見つめた。
 視線が圧迫される。銀色の鈍い光が瞳の奥まで突き抜けていった。途端にヴィスタの耳の奥に不思議な感覚が芽生えた。
「何をしたんだ」
 怯えた様子もなくヴィスタは頭を振った。
「耳に一時的に私との互換装置を構築させてもらった。大丈夫、暗示的なものだからミッションが終われば消えるように設定した。君には機械的なものがないようだ。私にこれ以上のことはできない」
 ヴィスタは桐をまじまじと見つめる。
「直接頭の中に干渉されたのは初めてだ。あまりいい気分じゃないな」
「済まなかった。君が『オリジナル』だと知っていればわざわざデータを読むような真似はしなかった」
 はっ、としたようにヴィスタは身構えた。
「データにはそんなこと……」
「そう、書かれてはいない」
 桐は頷く。
「私が知らないものの方が限られている。限られている情報は逆に特定されるものだ。長官はそこまで見越して私たちを組ませたのだろう」
 ヴィスタはやれやれ、といったように首を振った。その表情が固まる。
 ……ねぇ、遊んでよ。
 耳に声が飛び込んできたのだ。悲しげな、幼い女の子の声。
「リーダー、これか?」
 桐は微かに眉をひそめていた。どことなく悲しげに見えるのはヴィスタの気のせいなのか。
 ……遊ぼうよ、約束したじゃない。
 幼女の声は二人の耳に響き続ける。
「何かの催眠装置か」
「いや、違う」
 ヴィスタの質問を桐は言下に否定する。
 ……一人で寂しいよ、キ……リ……。
「キリだ? 今そういわなかったか」
 桐は無言だった。
 ヴィスタは左手の警棒を構え直す。
 やや不自然な沈黙が続き、ヴィスタが口を開こうとしたそのとき、
(警備システム侵入。外部への連絡はしばらく妨害できる)
 二人の耳の奥に装着されているフォンを通してH・Hが告げた。
「早いな、さすがだよ」
 ヴィスタがいう。
(お二人さん、ここのシステムはおかしい。普通のビルの研究室にしてはプログラムが異常に複雑だ。過去、これと似たようなシステムを見たことがある。同じだとしたら……、三神真悟というプログラマーが関わっている。コンピュータに関してはマエストロといわれた伝説的人物だよ。妨害はできると思うけれど……、厄介な相手だ)
 桐が応える。
「無理をするな、マエストロが関わっているのならH・H、君の手には負えないかもしれない」
(……了解、適当にごまかす程度にしておくよ。でも、桐、君は三神真悟を……知っ……)
 混線。H・Hの声は途切れ、やがて聞こえなくなった。
「余裕はそれほどないな、先を急ごう」
 二人は小走りに階段を下りた。目標階の‘55’が階段に薄明るく光っている。
「ミッションを変える。H・Hには引き続きプログラムを任せる。フローラ」
(聞こえているわ)
「目標階にて我々を援護」
(我々ですって? 二人で行くのね)
「そうだ」
(了解)
 混線したままのH・Hからの応答は無かった。おそらくそれどころではないのだろう。
「ヴィスタ、研究室に直接突入する。覚えていてほしい。相手は君の弱点を突いてくるだろう」
 厳しい声の中にヴィスタは桐の思いやりが含まれていることを感じ取った。
「これは罠だ、私を呼ぶための。三神が関わっている。長官が私を寄こしたのはそのためだ。フリオスに割り込んで指令を発したのはおそらく彼だ。だが君を巻き込むことになった。長官の思惑は別にあるのだろうが」
 ヴィスタはにやりと笑った。
「今更、別に関係ない。今のところ指令は変わらない。目標は違法コンピュータの破壊。俺は約束を守る主義なんだ。リーダーは桐、あんただ。やめろというなら考えるが……、部屋はもうそこだろ。引き返す余裕はない」
 その言葉に対する桐の反応はヴィスタの予想を大きく裏切るものだった。桐は唇の端で微かに笑って見せたのだ。桐と一度でもチームを組んだことのあるもの、或いは敵として出くわした不運なものも含め、桐が笑みを浮かべるなど、想像できるものではない。
「『情のない機械』でも笑うんだな」
 桐のことを「情のない機械」と呼ぶものは多かった。ミッション中の冷徹さ、敵味方を問わず感情を見せることなく、状況に流されることもない、そういわれている。
 桐はまた表情を消した。
「ヴィスタ、君はやはりデータ通りの人間のようだ。安心した。私の判断は間違っていないようだ。自分の勘だけを信じてくれ。私はおそらく君を守れない」
 低く押し殺した声にこもる隠しようのない相手への気遣い。これが人に恐れられる「情のない機械」の言葉だろうか。
 ヴィスタは冗談でもそんなあだ名を桐に向かっていってしまったことを後悔した。いざとなればこいつは自分の身を盾にしてもチーム全体を守り抜くに違いない。その桐が、守れないというのだ。よほどのことなのだろう。
 ヴィスタは再度警棒を握りしめた。右の腰に差し込まれた銃には手も触れない。一方で桐は左手の黒い革手袋を取った。人差し指の先が銀色に鈍く光を放つ。
 データが少ない傭兵、というなら二人は同類だった。強い、とだけ噂が流れるヴィスタ。表情を一切消し去っている傭兵、桐。
 だがヴィスタは感じていた。この任務でのチームは、かつて闘ってきた仲間とは決定的に違う何かがある。桐といい他の仲間といい、今日顔を合わせたばかりだというのに、命を預けられるような気がする。こんなチームは今までになかった。
 桐はもう口を開かなかった。ヴィスタにしても同様だった。今ここで何をいっても始まらない。二人の傭兵にとって扉の中での闘いは既に始まっているのだった。
 背後で機械が壊れる音がする。フローラの射撃にあったのだ。だが二人は微塵も動かず、目前の扉に集中している。
 桐とヴィスタの視線が交錯した。ヴィスタがにやりと笑うと、桐はサングラスを左手でちょっと直して見せた。桐なりの挨拶なのだろうとヴィスタは解釈した。
「行くぞ」
 ヴィスタが警棒を一閃させる。警棒は一メートルほどに伸びた。どんな力が加わったものか、合金製の重たい扉が二つに割れ飛んだ。二人同時に扉の中に飛び込む。
 扉の中には煙が立ちこめていた。ヴィスタは桐を、桐はヴィスタの姿を見失った。
 煙が晴れたとき、二人は互いの位置を確認するよりも先にそれぞれが目標に相対していることを知った。
「目標確認」
 同じ言葉が同時に別々の口から発せられた。しかし声は虚ろに互いの耳の中で響くだけで、すぐ傍にいるはずの仲間には届いていないのだった。



三 遭遇



「遅かったな、待ちくたびれた」
 桐は片膝をつき、声のした方を見上げた。白衣を着た男が一人、腕組みをしている。
「マエストロ・ミカミ」
 桐は無感動に呟いた。予想していたとはいえ、直接顔を合わせるのは桐にとって心楽しいものではなかった。
 桐の目の前には硬質ガラスの壁があった。その向こうにヴィスタの姿がある。
「相変わらずいい趣味ですね。人形作りが忘れられないとみえる」
 ヴィスタは動かない。左手に警棒を掲げたまま、硬直しているようだ。その瞳はまるで焦点が合っていなかった。
「マエストロ……、久しいな、お前にそう呼ばれるのも。桐、お前も昔の名で呼んでやろうか?」
 そういうと三神は嫌な笑い声をたてた。左手をゆっくり曲げ伸ばししながら、桐は冷たくいい放つ。
「結構。それよりも今度は一体何を企んでいるのです。『フリオス』に干渉して私を呼んだでしょう」
「決まっている。こちらにつけ、というのだ。これから世情はますます不安定になる一方だ。ビクトールはお前をただ利用している」
 三神は指を鳴らして見せた。
 ガラスの向こう側、ヴィスタの正面に一人の少女が立っている。見かけは八歳くらいだろう、金色の巻き毛を肩の辺りでお下げにしている。結び目には大きな赤いリボン。
「世情を不安定にしているのはおそらく貴方だ。それに貴方ほどの技術を持ってすれば、私にこだわる必要はないでしょう」
 桐はヴィスタに指先を向けた。銀色の筋がガラスを貫き、ヴィスタのこめかみを照らした。
 ぴくり、とヴィスタが身動きする。
「無駄だよ。彼は動けん。人間でも機械でも動きを封じられる特殊な電磁波をぶつけたのだ。まあ、お前なら別だったかもな、桐」
「私は特別じゃない」
 桐にしては珍しく感情を押さえ込むような口調だった。
「ただの研究対象だったお前に分かるはずがあるまい?」
 揶揄を込めて三神はいう。桐は立ち上がりながら三神に向き直った。
「今は違う。私は自分の意志で今の仕事をしている。嫌ならとっくに辞めることもできた。貴方のように過去の亡霊に取り憑かれているわけではない」
「はん、自分の意志!」
 三神はさもおかしそうに手を叩いた。
「研究所にいたときからあいつはいつだって自分の意志ってやつを押し通してきた。知っているだろう? ビクトールにとっては有望な若手研究者を潰すのだって、訳はなかっただろうよ」
 ぎりっ、と三神の歯ぎしりの音が響いた。
「有望と無謀は違う。貴方の方こそ昔も、そして今もまだ私を利用しようとしている」
 今度こそ三神は声を上げて笑った。
「ははあ、頭がいいな。お前のそういうところが好きだよ」
 それに対してふふ、と桐も笑った。三神は逆に笑みを引っ込める。
「『情のない機械』が笑うのか。いい土産話ができた」
「そうですか、マエストロ。地獄まで持っていきなさい」
 桐の左人差し指が銀色の光線を再び発する。真っ直ぐ行けば三神の眉間を貫くはずの光線はしかし、三神の顔の前で屈折し、天井へ突き刺さった。蛍光灯が砕け、破片が二人に降り注ぐ。三神は避けようともしなかった。その身体をすり抜けて、破片が乾いた音をたて床に散らばる。そこにいた三神は立体映像だったのだ。
 三神は手を大仰に叩いて見せた。
「お見通し、ってわけだ。だがお仲間はそうはいかない。こちらに構っていればやられてしまうぞ」
 桐の視線はガラスの向こうの少女に固定された。
「リヴ……」
 ヴィスタはまだ動かない。
 桐の声が届いたのか、幼い少女はガラス越しに桐の方を見た。
「キリ、リヴの声、聞こえた? 遊びに来てくれたんだね? 嬉しい」
 どこか悲しげな声。ぎこちない笑顔。
「リヴ、やめなさい」
 桐の声は優しい。こんな声も出せるのか、と桐を知る人間ならいうだろう。
「遊んでくれないなら、これ、壊す」
 リヴはヴィスタを真っ直ぐ指さした。指先から発せられるレーザー光。微かなチッという音は思いの外強烈な破壊力を産んだ。ヴィスタの右肩口でレーザーは拡散し、小爆発。右腕がみるみる鮮血で染まっていく。
「腕を吹っ飛ばせといったはずだ、リヴ。命令を無視する気か」
 三神の口調は厳しい。
「いうとおり、やったもん」
 ふてくされる少女。
「もう一度だ。次の失敗は許さない」
 少女は上目遣いで桐の方を見遣った。
 桐はサングラスを外す。隠されていた銀色の瞳が悲しげにリヴを見つめる。少女の顔が輝いた。
「キリ、キリ、遊んでくれるの? リヴ、ちゃんと約束守っていい子にしてたよ。ミカミ先生のいうこともちゃんと聞いてた。ずっと待ってたんだよ」
 少女はガラス越しに桐に駆け寄り、どんどん、と叩く。生半可な銃弾ではかすり傷一つ付けられない硬質ガラスが、リヴの一撃ごとにびりびりと揺れる。
「リヴ! 気を逸らすな。桐と遊ぶのはそいつの後だ」
 立体映像の三神は顎をしゃくってみせる。桐はリヴから視線を逸らしコンピュータの方を見た。
 エラーの警告を示す赤い文字が画面に点滅している。H・Hが三神のプログラムを圧し始めているのだ。まだ三神はそれに気づいていないようだ。
「ヴィスタ」
 桐の呟きは周囲に聞こえないほど静かなものだった。だがガラスの向こうにいるヴィスタには届いたのか、今まで瞬き一つしなかったヴィスタの瞳が閉じられる。
 と同時に桐の耳の奥にヴィスタの声が聞こえてきた。先ほど発した銀色の光は、ヴィスタの呪縛を僅かながら軽減し、桐との互換装置を再度構築し直したのだ。
(リーダー)
 桐はヴィスタに目を遣った。
(これが目標か? 破壊するのは「これ」か)
 顔色一つ変えず桐はいう。
「そうだ」
 三神が突然声を発した桐を驚いたように見つめた。僅かに立体映像がぶれる。
「何だ……? くそ、何かがシステムを妨害しているのか?」
 三神は慌てた様子もなく手を空中で動かす。実際に彼がいる場所で探索を開始したのだ。
(リーダー)
 再度問うヴィスタの声。
「完全破壊」
 応える桐の声は無感動といって良かった。ヴィスタの表情は歪む。
 腕の痛みのせいではなかった。目の前の少女を破壊しろ、と桐はいうのだ。ヴィスタにだって少女が人間でないことくらいはとうに分かっている。だからといって、仕草一つとっても普通の女の子と変わりがなく、しかも桐を慕ってあどけない表情を浮かべるこの少女を……。
「ヴィスタ、頼む」
 だが続いて発せられた桐の声にヴィスタは心を決めた。ヴィスタには互換装置を介してだからなのか、桐が苦痛に感じていることがまるで自分のもののように分かったのだ。
 頼む、と桐はいった。ヴィスタにはそれが桐の絶叫と聞こえた。目の前で自分を慕う少女を破壊しろといってのけた桐の心中をヴィスタは思った。
 「情のない機械」だなんて誰が名付けたものか。そんなあだ名はまるっきり嘘だとヴィスタは唇を噛みしめた。
「リヴ、ちゃんか。そこの胡散臭いおっさんが名付け親か?」
 ぴくり、と少女が動きを止めた。桐を見つめていた瞳がヴィスタに向き直る。三神も操作していた手を止め、ヴィスタを見る。
「ほう……、まだ減らず口を叩ける余力があるとは。ただの傭兵とは思えんな」
 リヴの表情が一変する。先ほどまでの愛らしい少女の面影は姿を消し、殺意を込めてヴィスタを睨みつける。
「キリ、遊んでくれないの、お前のせい」
 驚くほど三神に似た悪鬼の形相。
「行け、リヴ」
 三神の声と同時にリヴが飛びかかる。今まで微動だにしなかったヴィスタがさっと後ろに飛んだ。屈伸もせず三メートルは優に超えたか、リヴの両手は空しく宙を切り裂いただけだった。
「そいつを仕留めねば、お前はまた……!」
「……そうやって、マエストロ。貴方はまた一人の人格を葬り去ろうというのですね、かつての私のように」
 三神に、というよりは独り言に近かっただろう、桐のその声をヴィスタだけは聞いた。それはまるで魂を根底から揺さぶられるような、桐の悲痛に満ちた絶叫と聞こえた。
 ヴィスタは再び目を閉じた。目の前の少女の姿を視界から追い出すために。
 向かってくるのは「ただの」人形だ、そう言い聞かせながら、気配だけでヴィスタは警棒を握った左手を一閃した。
 確かな手応え。
 ヴィスタが目を開けたとき、彼の両脇には少女の半身がそれぞれ落ちていた。二つに分かれた口が同時に動く。
「失敗しちゃった……。だからキリ、こっち向いてクレナイ……んだね。……アソビタカッタ、のに……」
「違うだろ」
 ガラス越しの桐は立体映像の三神を凝視したままだ。その三神も目の前で繰り広げられた光景に声もない。
 なぜ動けないはずの人間がリヴを一撃で破壊できるのか、と。
 声にならない声を発し続けるリヴに応えたのはヴィスタだ。
「違うよ、リヴちゃん。君が大切だったばかりに桐はこっちを向けないんだ。誰だって親しいものを失うのは辛いよ」
「タイセツ……、って? ワタシのこと? ミカミ先生はそんなこといわなかったよ。キリが遊んでくれないのはリヴが悪い子だからだ、って。先生のいうこと、きちんと聞けばキリが、キリが……アソンデクレルカラ……ッテ……」
 ジジッ、とヴィスタの周囲に青白い火花が散った。リヴの声は次第に不明瞭になっていく。二つに分かれたリヴの身体には肉眼では見分けられないほどの精密な機械が詰め込まれている。もとは少女の、しかし今は機械の残骸としか見えないそこから、次々とスパークして溶けだした部品が零れだしている。
 そして瞳を構成している部分からは一筋、二筋と透明な滴がしたたり落ちていく。その光景はまるで涙を流しているようで、ヴィスタの胸は痛んだ。
「……ふん、役立たずが」
「マエストロ、私は貴方を許しませんよ」
 桐の声はあくまで冷静そのものだったが、続く行動はそれを裏切るものだった。
 ガラス越しに見つめるヴィスタに向かって桐は手を振って見せた。部屋を出ろ、というのだ。
「目標の完全破壊。この男のいる場所が私には感じられる。まだ遠くには行っていない。……ヴィスタ、ご苦労だった」
 ヴィスタは首を振った。
「駄目だ、リーダー。みんなで戻るんだ」
 桐は僅かに眉をひそめた。銀色の瞳がヴィスタを見据える。
「今度は私の番だ。立体映像からでも私は奴を追える。そこで見ていろ、とはいわない。皆を巻き込みたくない。他のメンバーは撤退。……命令だ」
 ヴィスタは二人を隔てている硬質ガラスに無造作に警棒を突きだした。ガラスが派手な音をたて砕け散る。
 三神が叫んだ。
「ばかな、リヴでも壊せない耐性ガラスを……! お前はまさか、あの」
「うるせえよ、おっさん。動けないふりをしているのも結構辛かったんだぜ。演技派じゃないんでね、俺は」
 三神にそういい放つとヴィスタは窓枠を飛び越えた。
「リーダー、何をそんなにこだわる。あんたらしくもない。ここまで一緒に来ただろう。今更引き返せるかって」
「三神は私が片を付ける」
「あんた、リーダーだろう、桐」
 ヴィスタは初めて桐を名で呼び、静かにいった。
「チームを見捨てて行く、なんていわないよな。ここまで三神を追いつめているのはあんただけじゃない。リヴちゃんのシステムがうまく作動していなかったのは知っていただろう。あれはH・Hが妨害に成功していたおかげだ」
 桐は一つ息を吐いた。三神の映像がぼんやりと薄れ始めていた。
「ヴィスタ、リヴの名付け親は私だ」
「何?」
「マエストロの元にいたときに私が付けた。幼い子供の遊び相手としてのプログラム『リヴ』。彼女の初期設定を組んだのも、私だ。教育したのも。私はいつも口癖のようにあの子に約束した。『いい子にしていれば遊んであげる』と。私が研究所を抜け出したときも同じだ。『いい子にしていればまた会える』。無責任な約束。そんなものをリヴはただ信じ続けて……、三神の思惑にはまった」
 一息にいう桐にヴィスタは言葉を返すことができなかった。
「任務を忘れているわけではない。だがどうでもいい、という気分もある。リヴ、生きてほしかった。私とは違う生き方で。ヴィスタ、リヴを破壊した君を責めているわけではない。そうさせたのはこの私だ。だがあの子に殺戮兵器としての役割を組み込んだマエストロを生かしてはおけない。完全破壊、任務を完了させてやる。これは個人的な復讐ともいえる。そんなものにチーム全体を危険にさらしたくない。もう一度いう。撤退を……」
「そうはいかない」
 ぶれている立体映像の三神に照準を合わせた美貌の主がそこに飛び込んできた。
「フローラ、どうしたんだ。H・Hは?」
「すぐ来る。桐、ヴィスタ、悪いけど連絡が入った」
 引き金に掛かった指に力を込めながら彼女はいった。
「戻ってこい、よ。市警に警報が流れた。長官が市警の突入をまだ押さえている。公に破壊活動をするのはまた今度、ね」
 桐はサングラスをかける。ヴィスタは悔しそうに歯ぎしりし、警棒を三神に向かって突き出す。無論その切っ先は三神の像をすり抜けただけだ。
 三神は不敵な笑みを浮かべる。
「やるなあ、私のシステムにここまで侵入してきた腕は大したものだ」
 画像が何度か大きくぶれ、立体映像は足下から消えていく。
「お仲間に伝えておいてくれよ、桐。私が見事だといっていた、とな」
「ふざけるな」
 ヴィスタが叫ぶ。
「ああ『オリジナル』君。ビクトールにだって後ろ暗いところはあるのさ。今に君も利用される。あいつはしたたかな男だからな。そのまえにこちらに来れば、いつでも歓迎するよ。次にまた会うときまでにね」
 三神は上半身だけで手を広げて見せた。
「次などないさ、俺はあんたを許さない」
 桐は三神に背を向けた。もう用はない、といったように。
「行こう、ヴィスタ。負けはこちらだ、今回は」
 桐の高く結い上げた黒髪が揺れた。ヴィスタは大きく舌打ちし床を蹴り付けた。
「貴様らの長官殿によろしくな……」
 その言葉が捨てぜりふのように響くと、三神の姿は消えた。
「『オリジナル』ですって……? ヴィスタ、貴方が?」
 H・Hが扉を開いて、声をかける。
「行くよ、市警が階下に突入した。間もなく屋上も封鎖される」
 三人はそれぞれの表情で頷いた。
 ヴィスタはまだ悔しげに、フローラはヴィスタの顔をまじまじと見つめながら。
 桐はいつもと同じ、冷徹ともいえる無表情で。



エピローグ



 四人が乗り込むが早いか、屋上の扉口で待機していたヘリはすかさず舞い上がった。
 半瞬遅れて三神の研究室があった55階付近から小さな爆音。同時に割れた数枚の窓から薄く煙が立ち上がった。
「市警にしては早すぎるな」
 ヴィスタが呟くとH・Hが咳払いした。
「君か、H・H」
 桐が眼下を見下ろしながらいう。あの様子ではそこにあった機器群はほぼ破壊されただろう。
「市警には悪いけど、証拠品、あまりいじられたくないと思ってさ」
 三神のコンピュータシステムに割り込むことでH・Hは扉の中で交わされていた会話を聞いていたのだ。証拠品とは他でもない、機器群と共に破壊されたはずの『リヴ』。
「許可が必要だったかい、桐?」
「いや、いい」
 しばし四人は黙ったまま景色を見ていた。やがてフローラが沈黙を破った。
「三神真悟、自らを神の手を持つプログラマといった男。オルバースのマザーコンピュータ『フリオス』を開発したときの主任技師だった人間よね。確か十年前に失踪して、公開手配されているわ。あいつ、桐を味方に付けようとして今回のことを?」
「罠だった、というわけか。桐、気づいたのはいつだったんだい?」
 H・Hが帽子を脱ぎながらいった。その額には玉のように汗が浮いている。ハッカーの中のハッカーと呼ばれ、天才と誰もが呼ぶH・Hでさえ、三神真悟のプログラム技術と闘った経験は重かったのだろう。
「最初から知っていた。長官はそうと分かっていて私を呼んだ。だから単独任務だと思っていた」
「俺も聞いていたよ」
 ヴィスタがそういい、他の二人の傭兵は驚いたように彼の方を見る。
「何ですって」
「俺は長官に呼ばれ、桐という名の傭兵を補佐するようにいわれた。コンピュータシステムの破壊とは表向きで、桐は罠にかけられる恐れがある、と」
「『リヴ』のことだね? あのシステムをだしにして桐を味方に付けようとしたんだ」
 H・Hがいう。
「どうかな、あいつはもっと得体が知れないように見えた。いや、長官こそ今回の任務では不可解な所がある。『したたかな男』そう三神がいっていた。あれが一番的を射ていた気がするけどな。桐のことだけじゃない、俺のこともさ」
「『オリジナル』。それこそ伝説の傭兵じゃない。ヴィスタ、貴方がそうだったとはね」
 フローラが溜め息混じりにいった。H・Hは好奇心に満ちた視線をヴィスタに向けている。
 だがそれ以上踏み込んでヴィスタに問いかけてくるものはいない。それがもし自分の立場だったら詮索されたくないことの一つや二つは、持っているからだった。
 傭兵達はまた口を閉ざした。
 しばしの沈黙。そして、
「飲みにでも行くか」
 その言葉に他の三人が驚いたように見つめ返す。
「『約束』だろう。果たさないわけにはいかない」
 苦笑混じりにいったその言葉が「情のない機械」の口から発せられたと知ったら、呆気にとられる人間がこの傭兵達の他にもいたはずだ。
「果たせなかったあの子との約束の代わり、いや、代わりの約束なんて、今更……」
 桐はその後の言葉を飲み込み、他の誰もその続きを催促しようなどとは思わなかった。
「任務完了、帰還する」
 低く押し殺された声は、現場に到着を告げた声と何ら変わりがなかった。
 ヴィスタはそれを聞きながら何となく考えた。
 このチームとは長い付き合いになりそうだ、と。
 三神は自分のことを「オリジナル」と呼んだ。それは傭兵仲間ですら知らない裏のコードネーム。
 長い付き合いになりそうなのは、厄介なことに今回のチームばかりではなさそうだった。
 まあいいさ、今日は久しぶりに上手い酒が飲めそうだからな。ヴィスタはそう思い、オルバースの摩天楼を縫う様々な色のライトが時々照らす他の三人の様子を伺った。
 H・Hは窓の外を見つめ、その素通しの眼鏡に時折反射光がきらめく。
 フローラは長く形のいい足を組み、天井を見上げて自分の思いに耽っているようだった。
 そして桐は、相変わらずの無表情のままだったが、ヴィスタの視線を感じたのか、こちらを向いて―――
 優雅に左手を動かすと、ヴィスタにだけ分かるようにサングラスをちょっと直して見せたのだった。(了)




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