一月二十三日(金) 一冊の本
その本を見つけたのは本当に偶然からだった。
その日、人生初めての海外旅行を一週間後に控え、僕は航空チケットを受け取りに神保町の旅行会社に出向いていた。そしてその帰りに、なんとなく路地裏の古本屋に立ち寄ってみた。取り立てて特徴のある店ではなかった。もう一度行けと言われても、正確に場所を探せるかどうか自信もない。
そこで、僕はその本を見つけたのだ。書店の隅のほう、比較的古い書籍が棚に収まっている一角に、場違いに小奇麗な背表紙があった。そこには「シリア国旅行記」とだけ書いてあった。
シリア。それは僕が旅行に行く国の名前だ。人口は千五百万人に満たず、その大半がイスラム教徒。元首はアサド大統領。彼の属するバース党が長年一党独裁体制をひいている。むろんアサド自身も一九七○年から政権を維持しつづけている。首都は古都ダマスカス。そんな中東の小国であるシリアの案内本は探してみると意外と少ない。そもそも観光に力を入れだしたのが、ここ数年のことである。日本人にとってなじみの少ない国家のひとつだろう。
これまで友人に「シリアに行くんだ」と話すと、いろいろな態度と言葉と表情で「なぜそんなところに行くんだい」と異口同音に尋ねられた。僕はそのたびに、大学でイスラーム史を専攻しているんだ、とか、語学でアラビア語をやっていてね、でも全然上達しないからカンフル剤になれば、とかいろいろ説明をつけてきた。そのたびに友人たちは、まあこいつのやることだから、という態度と言葉と表情で納得し、最後になにか言いかけて、少し考えたあげく「まあ気をつけて行ってこいよ」と旅の無事を祈ってくれた。
友人たちが一応納得しつつも何か言いたそうにしていたのはよくわかることだ。というのも、僕自身からして自分のつけた理由に全然納得していなかったからだ。
なぜシリア?
なぜ中東?
なぜ海外?
でも、僕は思い立ってしまった。シリアに行ってみよう。そこには何かがあるはずだ、と半ば直感で。それ以上でもそれ以下でもない。
『シリア国旅行記』はその装丁からして、どうやら自主出版本のようだ。表紙にはとてもシンプルにタイトルが記されているだけであり、著者名も出版社名も書いていない。今どき学術書だってもう少し気の利いた外見をしているはずだ。中をぱらぱらとめくる。そこには見開きごとにシリアの風景と短い文章が書かれていた。僕は奥付けを見てみた。そこには意外な著者名が書いてあった。
『雅保之』
一瞬、ちょっと頭が混乱した。なぜならそれは僕の名前だったからだ。
僕はこんな本を書いて出版した覚えはない。となると結論はひとつだ。
同姓同名。
そう僕は結論付けた。そして、こんな偶然もあるもんだ、シリアにはミヤビヤスユキという名前を持つ人を魅きつけるなにかがあるのか?――と冗談めかしてみた時には、もうその本を買うことに決めていた。本を会計に持っていくと店主はちょっといぶかしむようにその商品をじろじろ見た。なにか不都合でもあったのか。そう僕が思ったほどだ。
「いくらですか?」
店主は奥付けを見たあと短く答えた。
「七百円」
僕は古本屋を出ると、雨が降る神保町を地下鉄の駅のほうに歩いていった。
一月二十八日(水) 旅の準備
神保町で本を買った日から、しばらく忙しい日が続いた。そして気が付けば、ろくな準備もしないままに出発の前日となっていた。
「もっと早くから準備しておけばよかったのに」
そう呆れ顔で僕に言うのは同居人だ。
「まったく、いつもそうよね。旅行の計画は去年の夏からあったわけでしょ? それが、実際にパスポートを取ったのは十一月だったじゃない。航空チケットの手配やビザの申請なんて年末に突入する直前だし」
「過ぎたことはいいじゃないか」
僕はうんざりしながらそう言った。
「過ぎたことじゃないでしょ。今、私が言ってるのは、飛行機の離陸する二四時間前になっても、荷造りどころか旅行用の買い物すらしてないってこと。どうしてもっと段取り組んで、物事を進められないのかしら。ちょっとは焦ったらどうなの?」
「うーん、いまいち実感がわかないんだよね。何か旅行が他人事のようなんだ」
さらにこれ以上ないくらい呆れ顔になった同居人は、
「とにかく、買い物ぐらいはしなきゃ。はい、今から行くわよ」
僕だっていろいろ準備しようと思ってたよ。でも言い訳を言わせてもらえば、出発前十日ぐらいはとても忙しかったし……。いや、これだと荷造りをしていない理由で、旅行用の買い物ならそれ以前に行っておけばいいな……。うーん、でもとにかく忙しかったじゃないか。なにしろ壮行会は一日おきにあったし、その合間を縫って頼まれている仕事を仕上げなければならなかったんだから。
僕はそれだけのことを心の中で言ってしまうとしぶしぶ買い物に行く準備に取り掛かった。そういう言い訳を口に出しても勝算は限りなくゼロだ、ということを四年の同居経験が教えてくれていた。
結局、何が必要かリストアップしてから買い物に出ると、もう夕方になっていた。とりあえず、旅行中に着るズボンを買わなくてはならないし、おきまりの携帯用食料や、旅行用品、時計(僕は時計をなくしていて、携帯電話が時計代わりだったのだが、それも水の中に落として以来、僕に何も語ってくれなくなっていた)なども必要だった。
一通り買い物を済ませ家に帰ってくると、僕は気持ちよく旅行に行くための最大の障壁がまだ全然取り払われていないことに改めて気づいた。やはり仕事は終わっていなかったのだ。そりゃそうだ。僕は仕事を終わらすことなく、買い物に行ったのだ。靴屋の小人さんがいない限り、書き終えた憶えのない原稿が勝手に仕上がってることはないのである。仕方がないので、大学の友人であり仕事のパートナーのG氏を呼んで、徹夜で仕上げることにした。
出発は思いのほか早まった。僕はG氏と友人兼編集者のアパートへ夜の十一時ぐらいに出発することにした。じゃないと間に合わない。旅立ちはかなりあわただしかった。
『魔女の宅急便』の黒猫ジジは言う。
「旅立ちはもっと厳かにすべきだよ」
荷物は、学校に行くときに使っていた鞄と、同居人から巻き上げたハイキング用のナップザックに収まった。持っていくものを極力厳選したのだ。昔、高校時代に日本横断の自転車旅行をしたとき、世界史の辞書や大量の衣類などいら
ないものばかりを持っていき苦労した経験があるのだ。
以下がその厳選した荷物の内容だ。
パスポート
現金三〇〇〇$
シャツ三枚
Tシャツ二枚
パンツ三枚
靴下五足
寝袋
歯ブラシ
洗顔タオル
セーム
安全ガードのひげ剃り
薬(胃腸薬、頭痛薬、抗生物質)
ガイドブック二冊
アラビア語会話集
寝間着代わりの短パン
メモ帳
システム手帳
風船枕
ネクタイ
髪ゴム
クリップ
裁縫道具
ビニール袋
眼鏡ケース
バンダナ
チョコレート
カロリー携帯用食料メイト
のど飴
そしてお守りを詰めた。神保町で買ったあの本も。
『シリア国旅行記』は忙しさの中、ついに読んでいるひまがなかった。確かに一、二ページ開いてパラパラと目を通したことはあったが、文章が頭の中に入ってこないのだ。中身をよく見ないで買った僕が悪いのだが、どうやらこの本は詩集のようなものらしい。見開きの右側に風景が描いてあり、左側には日付と文章。この文章が、よくわからない文章ばかりなのである。僕は詩を読むような高尚な教養は持ち合わせてはいないので、どうもその手の思わせぶりな文章は苦手だった。国語の授業でも詩が一番に嫌いだった。たとえば『シリア国旅行記』の最終ページには砂漠の廃墟とともにこんな文章が載っている。
ついに見つけた
昼と夜がめぐり
大きな光が遺跡に差すときに
光は僕の行く末を示すだろう
抱えていた謎は
その光の中で静かに消えていく
僕は僕に会い
僕を取り戻す
まったくわからない。なんか下手なRPGの謎かけみたいだ。まあ、そんなに重い本でもないし、風景画が綺麗なので持っていく事にはしたわけだが、それにしてもこの文章はなぁ。
さて、荷物の話にもどろう。ネックは寝袋がかさばっていることぐらいなものだった。これがなければナップザックを持っていかないことも可能だ。それだけ僕がいつもでかい鞄を持ち歩いているということなのだが、まあともかく、二ヶ月以上海外を旅行するにしては少ない荷物で、まずまず満足である。しかし服装を決める時点で僕は迷ってしまった。
旅にはいい服装をしていきたい。僕はこの旅行に行こうと思った時にそれだけは決めていた。どうも「いかにも金持ってないぞー」という服装は好きじゃない。知らない人がいっぱいいるところに行くのだから、身なりはきちんとしなければ、とも思うのである。そう考えて、持っている服を部屋中にならべて、どれを着ていくか吟味してみる。まず今日買った紺のズボンは決定だ。そして五日前に新宿で買った黒い革のハーフブーツ。この靴は店ではいた瞬間、足に吸い付くような不思議な感覚があった。生まれて初めて革靴というものを買ったのだが、これはいい買い物だったと思う。そしてシャツをどうしよう。着ていて楽でしかもフォーマルかつカジュアル、しかもスタイリッシュと言うことで、黒いハイカラーのシャツにした。それに淡いブルーのジャケットをはおった。そして黒いロングコートを着る。帽子はハットにしようとして、やめた。姿見の前に立って自分を確認すると、さすがにそれはいくらなんでも「いかにも金持ってるぞー」という格好なのだ。かわりに横浜で買った人民帽をかぶってみた。
人民帽は素晴らしい。どんな服装も台無しにしてくれる。ハットをかぶった僕は、なにか五十年くらい前、ヨーロッパを鉄道で旅行する紳士のようだった。しかし、人民帽をかぶった瞬間、それは見事に出稼ぎ労働者に変身する。ジャケットのとても素敵な淡いブルーでさえ、ただ単にくすんでいるだけという色になった。人民帽の威力は恐るべし、と感慨にふけってみる。
服装は決まった。僕は同居人に「いってきます」も満足に言えないくらい、あわてて家を出た。そして夜十一時過ぎ、京王線の無人駅から、阿佐ヶ谷に向かう。とりあえず、旅の始まりだ。僕は列車内にいる人を見て、「彼らはよもや僕がシリアに行くなんぞ思ってもいないんだろうな」なんてくだらないことを考え、キシシシと心の中でほくそえみながら、これから待っている仕事のことは考えないようにした。
こうして、この旅が持つであろう意義や意味を考える余裕なんてないまま、僕のシリア旅行は始まった。
一月二十九日(木) ナリタとモスクワの二つの空港(前編)
朝八時、僕は母親の車で高速道路を成田空港に向かっていた。体調は最悪だった。明け方まで仕事をしていたせいか、最近引いていた風邪が悪化したらしい。世界はやけに明るく、すべての物体の存在が、実際に手で触ってみるまで無性に疑わしかった。空港への見送りは母親一人。なんだか幸先のいい旅立ちだ、と自嘲気味に笑ってみた。母親の運転する車はぐんぐん成田へ近づいていった。
成田空港を訪れるのはかなり久しぶりだった。僕の乗るアエロフロートは第二ターミナルからの発着。車は道路を何回か分岐し、第二ターミナルビルへ近づいていった。前回ここに来たときは、まだその新しく巨大な建物は存在してなかったから、僕は新鮮な驚とともにその建物を眺めることができた。まるで未来都市のようだ。ゆっくりと視界を占領していくターミナルビルに、そんな感想を持った。車がターミナルに近づくにつれ、いよいよ僕の現実感はどっかへ行ってしまう。ディズニーランドのトゥモローランドでスペースマウンテンを三十分待ちの感覚だった。
空港に到着して少し時間があったので、喫茶店で少し母親と話をした。紅茶を飲みながら、飛行機に乗るまでにはどのような手続きをするのか? ということを内心熱心に、ただそれを悟られるのはしゃくなので外見は余裕で、尋ねたりして時間を少しつぶす。
そう言えばこんなにゆっくりこの人と話をしたのは、いつぶりだろう? そんなことをふと思った。家族。不思議な言葉だ。以前、僕はこの人と家族だった。しかし今は違う、ような気がする。厳密な意味で家族ではない。血のつながりはあるが、一緒には暮らしていないからだ。でもほかの人から言わせれば、同居してなくても家族は家族じゃないか。母親だろ。とか言うかもしれない。しかも僕はこの人に扶養されている、ということに社会的にはなっている。家族。よくわからない。ただひとつ言える事は、帰るべき場所を僕はこの人に見出せない、ということだ。
母親の顔を改めて見ると、僕が知らないシワがあった。なんか別人の顔だった。
「そろそろ時間じゃない?」
母親にそう指摘されて昨日買った腕時計を見る。離陸二時間前。搭乗手続きが始まる時間だ。そう思って喫茶店を出る。そして、出発ロビーに行くためにエスカレーターに乗った。ゆっくりと動くエスカレーター。上のほうからざわめきが聞こえてきた。今までいたフロアはすごく静かだったので、その音は少し場違いな気がした。しかし、出発ロビーに足を踏み入れた瞬間、場違いだったのは静けさの方だったことを僕は知る。僕は目を見張った。
「人間は、人間の科学はこんなにも巨大な物まで作り上げてしまうのか?」
『トップをねらえ!』のタシロ提督が木星を核に持つブラックホール爆弾(バスターマシン3号)を見たときと同じことを思っていた。出発ロビーはとても天井が高く、人がいっぱいいて、旅立とうとする人々の熱気があって、下の階とは全然雰囲気が違う。ロビーの端のほうはかすんで見えない。ざわめきの中でひっきりなしに響く案内の放送。広いロビーではその声がどこから聞こえてくるのかわからなくなる。まるでロビーの天井全体が僕に話し掛けているようだ。頭の中には映画『オネアミスの翼』の中で、宇宙軍秘密基地に初めて入ったときの音楽が鳴り響いていいた。そこで主人公が見たのは巨大な宇宙ロケット。僕はこのロビーにブラックホール爆弾も巨大宇宙船もないことが違和感として感じられた。どちらのシーンも、科学技術の力や偉大さとともに、それが根元的にもつマッドネスを伝えようとしている。ここは、どこか狂ってやがる。
僕は搭乗手続きに行くために母親に荷物を預け、チケットカウンターへ向かった。なにぶんはじめての海外旅行だから、勝手がわからない。航空チケットをボーディングカードに代える、というのはわかっているが、具体的な手順となるとさっぱりだった。とりあえず僕はカウンターの前の列にならぶ。しかし、周りの人々を見回すと、それぞれ大きな荷物を抱えていた。そうか、機内に持ち込まない荷物はここで預けなければならないんだ。僕は恥ずかしい思いをしながら、荷物番をしている母親のところまで戻った。
搭乗手続きを済ましても当然まだまだ時間があった。出発ゲートに入るまでのその時間、スピード証明写真をがしがしと取り、日本の絵はがきを買い、ソバをすすって時間をつぶす。あと、旅行用品店で南京錠とナンバーロックを買った。小銭を減らすために、公衆電話で友人たちに電話をかける。
そうこうしているうちに、出国ゲートをくぐる時間になった。空港使用税を自販機で払って、母親と別れの挨拶を軽くすませる。こういうときは月並みな会話にならざるをえない。
「離陸するところまで見送るから」
そうしたいならすればいいよ、という表情をして僕は出国ゲートへ向かい、ゲートをくぐった。
母親との無感動な別れを反芻するひまもなく、目の前に僕の興味を引くものが現れた。やや! あれがテレビでよく見るエックス線探知機! 僕はこの装置を使った数々のコントやCMを思い起こしつつ、うきうきしながらゲートをくぐった。
「プーッ」
案の定、ブザー音が鳴った。「おお、鳴ったぁ!」と心の中で歓喜。僕は財布を置いてもう一度くぐり、今度は何も鳴らなかったので先に進むことができた。次の関門は出国審査というだった。僕はあらかじめ記入しておいたはずの出国
カードに、帰りの便名が書き込んでしまっていたことに気づいた。予定が変わったらまずいと思い、そこらへんに落ちている新しいカードに再度記入する。出国審査は滞りなく終わった。
あとは搭乗ゲート前で飛行機に乗るまでの時間を待つだけだった。うんざりするほど長い動く歩道にのる。窓の外には何機もの飛行機が暇そうに待機していた。そのさらに向こうでは飛行機が離陸していくのが見えた。動く歩道に乗っているうちに緊張からか僕はトイレに行きたくなった。幸い、トイレは難なく発見できた。中で落ち着いていると、かすかに幻聴が……ミヤビヤスユキさん……ミヤビヤスユキさん……僕の名前がかすかに聞こえてくる。体調は最悪であった。
ついに、搭乗の時間になった。僕は真っ先に飛行機に乗り込むような素人じみたことはせず、余裕を持ってあらかたの人が乗り込んでいくのを見てから、改札機があるところに行った。雰囲気は本当にディズニーランドのアトラクションに乗るような感じだ。係りの女性が僕の搭乗券を自動改札機風の機械にいれる。
「ピーピーピー!」
その瞬間、機械音が鳴った。なんだ? 麻薬は持ってないぞ? 僕はとっさのことによくわからないことを口にしようとしていた。
「ミヤビヤスユキさんですね」
係りの女性は僕の返事は期待しない言い方でそう言った。僕は何も悪いことはしてない! 確かに今朝までやっていた仕事は結局終わらずに、なかば投げ出してきたわよ! だけどそれがいったいあなたにどういう関係があるのよ! とパニクってしまった僕はムトウリカコ(『海が聞こえる』)の口調だ。彼女は続ける。
「おじさんに電話をかけるよう伝言を承っております」
なんだ、母親からの伝言か。そんならピーピーピーなんてならすなよ。僕は電話番号を受け取り、待合いロビーにある電話に歩いていった。と、またしてもここで問題発生した。公衆電話がコイン式じゃなかったのだ。何故だ? 誰が海外旅行に行くのに日本のテレホンカードを持っていく? こんなところにある電話にコインが使えないと言うのは何か間違ってないか? 自問自答してもどうにもならない問題に、救いの神はすぐ前のソファーでたばこを吸っていた。あらかた、飛行機に乗り込んでしまった旅行者の中で幸いにも、たばこを吸い終わっていなかったその人は、まだロビーにいたのだ。
「あのー、テレホンカード持ってます?」
我ながら、間抜けだなと思った。
おじさんに電話をしてからいざ機内へ向かった。僕の席は当然ながらエコノミーだ。フライトアテンダントさんにチケットを見せると「こっちです」と指示してくれた。席は窓際。アエロフロートだと窓際は寒いこともある、と旅行会社の人が言っていたが、やっぱり外の景色は見たいという気持ちが勝った。席につくととりあえず、機内持ち込みの荷物を足下に置き、コートと帽子を上のケースの中に入れ……ない! 帽子がない! あれ? どっかで落としかな? などと思
っていると、座席の前の方でスチュアードさんが僕の帽子を持って、なにやら乗客一人一人に話しかけていた。僕は小走りに駆けていって、「Sorry , it's mine.」と言って、帽子を受け取った。これが僕が生まれて初めて実際に使った英語だった。それまで、中学や高校の授業で海外から来たTAの先生と一言二言話したことはあった。しかし、日本語を母語としない人と「必要に迫られて」話さなければいけない状況はこれまでなかった。とっさでも結構英語が出てくるじゃないか、と思った反面、Sorryではなくてこの場合Thank youだよな、とか反省してみた。日本人はすぐ謝る、というのはよく聞く話だが、僕がそういう典型的「日本人」であることに、ちょっと感動してしまった。文化の色眼鏡は僕らの顔に深く食い込んで外れない。僕の脳味噌には日本人の文化が深く根ざしてしまっているようだ。
座席に落ち着き、離陸を待つ。飛行機が動き始めるまでは、ちょっと時間があった。その間、僕は座席のポケットに入っている雑誌や非常時の救命道具の使い方が記された紙を見ながら離陸を待つ。雑誌はロシア語と英語で書かれていた。体調から言って、正直英語を読むのはかったるかった。
乗客はほとんどが日本人であった。それもこんな一月も末の時期に旅行に行くのだから、大学生らしき人がほとんどだ。たいてい男は二人連れで、女は二人もしくはそれ以上のグループらしかった。空席はちらほら。僕の隣の席もどうやら誰もいないらしく、おかげで僕は広々と二つのシートを占領することができた。しかし、何がしかの出会いを期待していた僕は同時にちょっとがっかりしてみた。しばらくしてシートベルト着用のサインが点灯する。
「いよいよ離陸かぁ」
僕はウキウキすると同時にちょっと緊張してきた。飛行機はゆっくりと動き始める。しかし動き始めたのはいいが、いっこうに飛び立とうとする気配がなかい。飛行機はのろのろと地面をはいずって、挙句に陸橋まで渡っていった。
「モスクワまでは陸路か?」
僕は思わずそんなことを思ってしまった。やっと離陸用の滑走路にたどり着く頃には「まあ、アエロフロートだからなぁ」という最強の呪文を口にするほど僕はだらけていた。しかし、いざ本当に飛行機が離陸態勢に入ると、ウキウキはドキドキに変わっていた。
僕は飛行機に乗るのは初めてというわけでなく、二度目。幼稚園ぐらいの時、北海道の親戚のところへ行くために、半ば親に騙されながら乗った記憶がかすかにあるだけだ。騙された、というのは、当時僕は飛行機に乗るのがとても怖か
ったので、ひどく旅行に行くのを嫌がったらしい。しかし「バスで飛行場を一周するだけだよ」という、今思えば子供も騙せないような嘘にまんまと引っかかり、気づくと機内。ぎゃーぎゃー泣き叫んでも後の祭り。飛行機は迷惑がる乗客を
乗せて無事離陸したとさ。
さすがに、いまや二三歳になった僕は全然怖くなかったし、無論泣き叫びもしなかった。でもやっぱりドキドキの感覚は自分でも新鮮だった。室内の明かりが消える。いよいよだ。エンジン音が明らかに高くなった。のろのろと動いていたはずの飛行機は徐々に加速していく。僕の体に今まで経験したものとは全く異質のGがかかる。
「このGはやっぱり空を飛ぶ乗り物独特のものなんだろうなぁ」
景色はどんどん後ろへ、本当にどんどん後ろへ流れていく。僕の頭の中で『オネアミスの翼』の陸軍機が離陸するシーンの曲が流れていく。そして窓の外の地面が傾く。と、同時に機体が傾いた。心がくすくす笑った。地上はみるみる小さくなり、上昇するGに慣れてない僕は、人類はついにここまで来たんだなぁということを実感。真横に見えるまばらな雲はワルツを踊るように、眼下へ消えていき、関東平野はアッという間に過ぎていった。その頃から雲はいつの間にか海に変わっていた。雲海って言葉は、言い得て妙だよな。その向こうには、昼下がりの太陽の中にある富士山。その広がる雲海に富士しか見えない景色は、大航海時代にやっとの思いで大洋に島を発見した探検家の感覚を思い起こさせてくれる。富士は僕の旅の始まりを僕にわかりやすく説明してくれていた。
しかし、だるい……。窓を開けて太陽の光を浴びすぎたようだ。それに慣れない飛行機で気分も少し悪い。心の高揚とは裏腹に、体調は相変わらず最悪であった。
一月二十九日(木) ナリタとモスクワの二つの空港(後編)
飛行機の中というのは意外にうるさい。密閉された空間に、エンジン独特のすべての音域をカバーするような騒音が充満しているのだ。慣れるまで当分つらい思いをしなければならないんだろうな、と僕は少し憂鬱になった。
つらさと退屈を紛らわすため、しばらく空港で買った酒見賢一の『童貞』を読んでいた。しかしちょうど読書に集中しだした時、チャイムとともに放送が入り機内食の時間を告げた。まずは飲み物が配られ、それとともにピーナッツが一袋。よくわからない。とりあえずそれでも食べて、胃の調子を活発にしとけとでも言いたいのだろうか。僕は怪訝に思った。ビニールの袋を開けゆっくりと味わうようにピーナツを食べる。そうして時間をかけて味わわないと、機内食を配るペースがずいぶん間延びしているため、ピーナッツを食べ終わった後、手持ち無沙汰になってしまうからだ。僕の席はかなり後ろのほうだったので、配りに来るのにも時間がかかる。
しばらくして「チキンオアミート」とスチュワーデスさんが尋ねてきた。僕はミートをもらい、さあ早速いただこう、とトレーのプラスティックカバーをはずす。メニューはあらかじめ座席のポケットに入っていたメニュー表でわかっていた。ロールパン、サラダ、コーヒームース、ビーフとレンコンのデミグラスソース、グリーンピース入りライス、そして和風味。
「ん? 和風味? よくわからないな」
と、出てきてみてわかったのだが、和風味というのはソバと煮付けのことだった。正直アエロフロートの機内でソバが食べられるとは思わなかったので、僕はうれしくなった。しかし、いざソバをすすろうと思ったとき、僕はまたも問題に突き当たった。ソバのつゆはアルミのパックの中に入っているのだが、どこにあけたらいいのかわからなかったのだ。思案のしどころだった。トレーの上には曰くありげなカップがひとつ乗っている。空だ。これにいれるんだろうか。しかし、カップには取っ手がついている。ソバはやはり茶碗のようなものですするのが筋だ。しかし、取っ手がついている以上、それはソバをすするために出されたものではないかもしれない。むしろソバに直接つゆをかけるのだろうか。僕はかなり迷った。結果、僕はソバにつゆをかけることを選んだのだが、食後その曰くありげなカップに紅茶が注がれた。
和風味の煮付けは僕の嫌いなものだった。そもそも僕はものすごく食べ物の好き嫌いがはげしい。いわゆる偏食である。大方の魚介類はダメだし、寿司、納豆、メロン、スイカ、上げればきりがない。これほど食べないと決めた食べ物が多い人も珍しいのではないだろうか。普段の僕なら、その和風味の煮付けは絶対に食べない。
しかし、僕はその和風味の煮付けを自然に食べていた。残さず食べた。旅行というシチュエーションを僕が肌で感じ取ったせいかもしれない。自然に煮付けを食べていた一方で、それを食べている自分になにか違和感を感じている自分もいる。僕はなんとなく自分が前へ進んでいるような気がした。前向きな変身。僕はこの旅行で変われるのだろうか。以前の僕よりも強くなれるのだろうか。食後の紅茶を飲みながらそんなことを考えていた。
沈まない太陽とともに文庫本を読んで時間をつぶし、それも読み終わってしまうと結構ひまになってしまった。窓の下にはシベリアの大湿原が広がっていて、それはすごく素晴らしい眺めではあるのだが、いかんせん単調だった。イヤホンから聞こえてくる映画のセリフはロシア語。ぜんぜんわからない。だから、というわけではないがうとうとしてしまう。遠のく意識の中でイヤホンのロシア語が時々日本語に聞こえて、はっと目が覚める。僕はイヤホンをはずして、風船枕をバッグから出して、ふくらまし、本格的に寝ることにした。
次に目が覚めた時、窓の外はすっかり暗くなっていた。すこし汗をかいたようだ。これで着替えられたらすっきりするのに、とか体調の悪い僕は思って、窓の外の景色をよく見ようと眼鏡をかけた。
窓の外の景色は、ふわっとなるくらい綺麗だった。
真っ暗なロシア平原がどこまでもつづく中、陳腐だけど宝石を所々にまいたような街の灯り。そんな景色だった。『魔女の宅急便』のオープニングでラジオを消すあたりのシーンが思い出された。主人公キキが旅立つシーンだ。
「そうか、旅立ちか」
僕はあらためて思った。
そろそろモスクワに到着するようで、さっきまでよくわからないアニメがやっていたスクリーンは、地図を映し出していて、モスクワまであと何キロ、とかいう情報をしきりに伝えていた。点滅する飛行機のコマがほとんどモスクワと重なる頃、アナウンスが聞こえてきた。初めはロシア語、そして英語、さらに日本語だ。アエロフロートにしては親切だと思った。そのアナウンスは言った。
「とぅちぬぉ、きうぉんは、マイナスじゅうよんどでぇ……」
当地の気温はマイナス十四度? そりゃすげえ。たいした防寒装備を持ってきてない僕ははっきり言ってうれしくなった。ついに別世界に来たことをいやでも体に確認させてくれる気温だ。そういえば、ロシア平原の町の光があんなにも美しかったのは、そんな指さえも凍る寒さのせいだったんだ、ということに気づいた。
一時間遅れでモスクワ空港に到着した時、僕の最初の印象は「暗い・・・」というものだった。たしかに夜に着いたこともあるが、それにしても到着ロビーは薄暗かった。それはなにか共産圏の香り漂う暗さだった。そんな中を適当に飛行機から降りた前の人にくっついていき、トランジットホテル行きの待合い場所までたどり着く。モスクワ空港は六角形をしているが、ぐるぐる回っていくと、いきどまりになる構造をしている。その一方の行き止まりが、待機場所だった。さすがに深夜だったので、人気はあまりなく、僕が乗ってきた飛行機に同乗していた日本人達は何をするでもなく、その待合い場所で係りの人が来るのを待っていた。一説によると二時間待たされる場合もあるらしい。そんな長い時間なにをすればいいんだ……。店もあらかた閉まっていた。
迎えが来るまで思ったほど待たされなかったが、一時間ぐらいは待ったかもしれない。僕らはぞろぞろと到着ロビーから一階の滑走路への出口扉前へ行き、そこでも少し待たされ、ようやくおそろしくぼろいバス、もちろんエアコンなんぞは慰め程度にしかきいてないバス、に押し込められ、一路ホテルへ向かった。
トランジットホテルはノヴォテルホテルといい、空港の目の前にある高級ホテルだった。宿泊代として事前に僕は一万円払っている。けっこうな金額だ。トランジットをしなければならない人々はそのホテルに泊まらなければならない仕組みになっている。さもなくば、あの寂しい空港で一夜を明かさなければならない。それは避けた方が賢明であったと、モスクワ空港に到着してみて改めて実感した。
やっぱり、ホテルの前でも待たされた。待っている間、窓に寄りかかっていると、ガラスと接していたところが痛くなっていた。凍傷というヤツか。僕は風邪がいよいよひどくなってきて、頭がぼーっとしていた。
「冷たい空気を吸うと肺炎になる」
母親が別れ際に言った言葉が、呪いのように頭の中を回り、マフラーを口まで引き上げていた。カミュの『異邦人』に似たような科白があったような……。
「ゆっくり歩くと日射病になります。早く歩くと教会で汗が冷えて風邪をひきます」とかなんとか。逃げ道はないのだ。何の気なしにそう思った。
やっと、中に入れるようだ。日本人のみ十五人ぐらいの団体はぞろぞろとトランジット用の裏口からロビーに入れられ、隅の一カ所に集められた。そして、明日の予定を言われた。飛行機の出発時刻は当然のごとく行き先によって違うので、目的地ごとに手を挙げさせられ、朝食とバスの出発時刻・飛行機の時間を確認していった。「ローマ」四人が手を挙げる。「ワルシャワ」五人が手を挙げた。「イスタンブール」これも複数人だ。最後にダマスカス。あ、僕一人だ。周りの人の視線がちょっと気恥ずかしかった。正直、これだけ日本人がいたのでちょっと心強かったのだが、結局明日からはひとりらしい。目的地が一緒の女の人と親しくなれるかも、ウシシシシと、ちらとでも考えていた愚かな僕よ、さようなら。
案内された部屋は二階だった。部屋に通されるとき、特別エレベーターに乗り、重い扉を通った。つまり別のフロアーに行くことはできないらしい。僕らは体よく閉じこめられるのだ。高級ホテル・ノヴォテルは僕達をお客として迎えてはいないということか。あのいかすピアノの生演奏があったロビーにも、最上階にあるであろう、いかすバーにも行けないのだ。ご用があるときはルームサービスで、とのことだった。トランジットの日本人一行はそれぞれの部屋に追いやられた。廊下から見る一定間隔のドア達。まるで監獄だ。
部屋はまあ普通の高級ホテルを殺風景にした感じで申し分なかったが、個性にかけていた。査問会のときヤンはこんな風な部屋に監禁されたのであろう。やることといったら、日記を書くことぐらい。どうせならふんだんにシャワーのお湯を使ってやろう、と思い、ばしゃばしゃとバスタブにつかる。そういえば、バスタブなんて、しばらくお目にかかれないだろうな、とか思いながら、髪を洗った。風呂から出ると、ホテルのウェイターがジュースを配りに来た。到着後のサービスらしい。あわてて服を着て、オレンジジュースをもらう。
テレビをつけてもつまらない番組ばかりだ。もとよりロシア語なんてわからない。そんな悪態をテレビに向かって言ってみる。テレビは時折、日本でもおなじみのトップブリーダーが推奨するドッグフードやお腹がすいたら食べる確かな満足のお菓子を宣伝していた。それらのCMは日本語をロシア語にすり替えてあるだけで、シナリオはまったく一緒だ。チャンネルを回すと、マッチョな金髪の白人が腹筋運動器具を売っていた。この商品は果たして世界で何億台売れているのだろう?
ブラウン管の中では、ロシアは資本主義の属国であった。アニメの水準も国外から番組を買っているようで、概して低い。僕にとってロシアは、なんか二枚目役者が売れなくなって喜劇に転向した、という印象だった。
時報がテレビに表示された。十一時を知らせる時報だ。しかしカウントダウンは二十秒前から行われた。長かった。待たされた。ロシアは「待ちの文化」だという結論を得て僕はベッドに入った。ぱりっとしたシーツが、風邪で火照った体に気持ちよかった。
今日の朝は阿佐ヶ谷の友人兼編集者の家で原稿を書いていた。しかし今はそこから七○○○キロメートル以上も離れたモスクワにいる。文字通り長い一日だった。(つづく)