●チェコ国民楽派の祖(1824〜84年)。ドボルザークとともに19世紀ボヘミア(後のチェコスロヴァキア共和国及び現在のチェコ共和国の一部となる地域)を代表する作曲家。
ボヘミアは16世紀以降、ハプスブルク家が君臨するオーストリア帝国の強い支配化にあったが、19世紀に入り徐々に民族意識に目覚めはじめる。やがて1848年にフランスで二月革命が勃発するとそれを皮切りにドイツ、東欧などヨーロッパのほぼ全域で革命が起こった。ボヘミアでも民族意識の高まりから独立のための蜂起が起こるものの鎮圧され、以後は逆にオーストリア帝国の支配が一層強まることになる。
スメタナが生きたのはこのような時代であった。
1824年リトミシュルで生まれたスメタナは、プラハで作曲を学び音楽塾を開設する。しかし1848年の革命失敗後ますますオーストリア帝国支配が強まる祖国の状況に耐えられなくなった彼は、56年にスウェーデンに出国。イェーテボリで音楽学校を開き5年間を過ごす。61年に帰国しその後はプラハに定住、作曲・演奏活動から教育活動、雑誌への寄稿まで精力的な活動を行った。
この時期には「チェコのブランデンブルク人」(1863)、「売られた花嫁」(1866)、「ダリボル」(1867)、「リブシェ」(1872)といった大作を次々を発表している。
生活のほぼ全てを祖国の音楽に捧げていた彼だったが、帰国後に始まった幻聴が悪化、74年には完全に聴力を失ってしまう(当時不治の病だった梅毒が原因とみられている)。演奏活動を断念したスメタナは困窮に陥りその日の食費にも事欠くありさまであった。
しかしどん底のこの時期にスメタナは驚異的な創造力を発揮し多くの作品を生み出した。4つのオペラ(1874〜82)、「わが生涯から」を含む2曲の弦楽四重奏曲(1876、1882〜83)、そして交響詩「わが祖国」(1874〜79)、これらの作品群が誕生したのは全てこの時期である。
1884年、記憶力の衰弱と精神錯乱のためプラハの精神病院にて死去。享年60歳であった。
(2001.11/13)
"My
Country"/「わが祖国」(1874〜79年にかけて作曲)
指揮ヴァーツラフ・ノイマン:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1982年録音)

↑これはチェコの大地でしょうか?

↑「わが祖国」初演(1882年)100周年を記念して行われたコンサートを録音したものとのこと。
★1874〜79年にかけて作成されたスメタナの記念碑的な連作交響詩。耳も聞こえず食うや食わず、というどん底の時期に完成されたものですが、曲を聴く限りそんなことは微塵も感じさせません。暗さにも荒さにも無縁、あるのはただただ美しいメロディと情感溢れる楽曲のみ。うむ、素晴らしや。
@「ヴィシェフラト(高い城)」とは、チェコ最初の王国の居城があったとされる「ヴィシェフラトの丘」に由来。かつて政治的にも文化的にもヨーロッパをリードしていたチェコ王国の繁栄と没落を、ヴィシェフラトに託して描いた曲です。静かなイントロから惹きこまれますね。格調高く輝かしい調べであります。
A有名な「ヴルタヴァ」(ドイツ名「モルダウ」)。ボヘミア民族にとっての母なる川を題材に、その発祥、発展、民衆生活(狩、農民の結婚式)、水の精の伝説、試練または独立運動、そして独立後の未来、を表現したもの・・・とはいうものの、正直どこのパートがどこを表わしているんだかようわかりません。(^-^;) 言われりゃ「ああ、なるほろ〜」とか思うんでしょうが。いーんです、ただこのたゆとうような美しいメロディに体をまかせているだけで幸せなのであります。。。(*^_^*)
どーでもいい話で恐縮ですが、この曲にはちょっと思い入れがありまして。中学時代の初恋の女性、彼女のクラスが合唱コンクールで歌った曲が「モルダウ」だったのですね。それを聞いた時に「おおっ、なんて良い曲なのか!」と本気で感動しまして、それ以来大好きなのです。♪ボヘミアうるおす川よ〜 静かな流れモルダウ〜♪・・・ケイコちゃん、今はどうしているのやら・・・。おっと、失礼(汗)。
一転して激しい曲調に代わるB「シャールカ」は、16世紀の記録にあるチェコ版アマゾネスのシャールカを題材としたもの。かつて恋人に裏切られたことから全ての男性に対する復讐心を心に宿したシャールカが、ツチラト率いる騎士部隊をだまし討ちにして全滅させてしまう、という凄惨なドラマをそのまま音楽にしたもの。とはいえおどろおどろしいサウンドではまったくなく、ダイナミズム溢れるカッコえ〜曲です。
C「ボヘミアの森と草原より」でまたもや雰囲気が一転します。なだらかな地勢、明るい森、鳥のさえずり、葉ずれ、木漏れ日、農民の祭りを描いた自然賛歌だとのことですが、ひなたの匂いに包まれるようなのどかで牧歌的なサウンドです。
元々はCで終わっていたこの交響詩でしたが、周囲の熱望とスメタナ自身の創作意欲の高まりによってDとEの2曲が続編として製作されました。
D「ターボル」はボヘミア南部の町の名前で、フス教(かつてボヘミア国民の多くが信仰していたが、カトリックによって弾圧された)の過激派が反乱を起こした際に拠点にした場所。民族抵抗・民族独立を象徴する名前です。高揚感に満ちた勇壮な曲。
一方のE「ブラニーク」とは中南ボヘミアにあるブラニーク山のことで、ここにはボヘミアの騎士たちが密かに眠っていて民族存亡の際に復活して敵を滅ぼす、という伝説があります。ボヘミア独立というスメタナ(及びボヘミア民族)の悲願をこの伝説に託したのでしょう。最後の独立戦争の始まりを告げる重々しい幕開け、叙情的なブラニーク山の描写、そして遂に始まった最終戦争、それに勝利したボヘミア国民の歓喜。祝祭の響きが高らかに鳴り響くなか、喜びのうちに曲全体の幕が下ろされます。背負った歴史も文化も違う異国人が聴いても心が高ぶりますですね〜。全篇のクライマックスに相応しいスケールの大きな楽曲です。
なぜ彼が「ターボル」と「ブラニーク」をあえて付け加えたのか、時代背景を考えるとわかるような気がします。スメタナは愛する祖国の過去の栄光と現在の情景を@〜Cで見事に描写しましたが、それだけでは満足できなかったのでしょう。強い愛国心に燃える彼は、やがて訪れるであろう祖国の輝ける未来をも描きたかった。それは、革命失敗後の圧制に苦しむ同胞へのメッセージだったように思えるのです。「挫けるな、戦いつづけよ、未来は必ずやって来る」と・・・。
1918年チェコスロヴァキア共和国が誕生。遂に念願の独立を達成したボヘミアは、同国の主要地域として新しい歴史を歩むことになります。「わが祖国」が完成してから約40年のちのことでした。
(2001.11/13)