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2005.10.8 Sat〜10 Mon |
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| 朝風呂開始の6時を待たず、始動。コンビニで朝食調達。前日、献血に予想以上に時間がかかり見ることができなかった加納城、川手城へとむかう。徳川家康が岐阜城を廃して築城した加納城は鉄条網が巡らされ、門は閉ざされていた。8時の開門を待つつもりはなく、周囲のみ見て回る。司馬遼太郎の「国盗り物語」でおなじみの土岐氏の居城、川手城は土砂まで加納城に移され、高校の一角に城址碑が立つのみだ。 何日か前の天気予報に反して素晴らしい青空が広がっている。岐阜市内からは県道で神戸町の日吉神社を目指す。重文の三重塔がお目当てだが、早朝は逆光となっていた。斉藤利綱が建立し、稲葉一鐵が修造したということで春日局ゆかりの塔を謳っている。大河ドラマ「春日局」の文字も看板に見られるが、このころの大河ドラマは紀行としては地味だった。最近は意図的に様々な地域を舞台とするドラマが選ばれているように思う。武蔵も、新選組!も、義経も。2006年の功名が辻も同様だ。 続いて垂井町の南宮大社。飛騨一宮で社殿15棟が全て重文に指定されている。背後の南宮山は関ヶ原の戦いの折りに毛利軍が布陣した場所だ。少し先の朝倉山真禅院は南宮大社の神宮寺であった。お目当ては勿論、重文の三重塔。 いよいよ満を持して関ヶ原に乗り込む。2000年にも一度訪れているのだが、電車利用に加えて土砂降りの雨に見舞われて関ヶ原町歴史民俗資料館しかチェックすることができなかったのだ。今回が初めてみたいな物。まずは、桃配山の徳川家康最初陣跡へ。壬申の乱の時の故事に基づく地名で、家康も験を担いだようだ。続いて陣場野・徳川家康最後陣跡。近くには田中吉政陣跡もある。更に近くの東首塚、松平忠吉・井伊直政陣跡を回って駐車場へ。この日はフリーマーケット等の催し物、関ヶ原フェスティバルが開催されていて歴史民俗資料館に車を駐めることができないのだ。午前9時の開館に合わせて関ヶ原町歴史民俗資料館へ。2度目だが、司馬遼太郎の「関ヶ原」をはじめ、戦国物を濫読済みの今回は中身をとても良く理解することができる。前回は冑の前立てぐらいにしか興味が持てなかったのだからかなりの成長だ。 家康の陣跡を押さえておいて三成を見過ごすわけにはいかず、笹尾山の石田三成陣跡へ。小高い丘の上は中々眺めがよい。近くの関ヶ原古戦場・決戦地碑もチェック。あとは時間の許す限り陣跡をめぐる。敵中突破で戦場離脱に成功した島津義弘陣跡、開戦地と小西行長陣跡、西軍主力の宇喜多秀家陣跡。ここまできてどうしてもチェックしたい大谷吉継の墓へ繰り出すこととした。藤堂家が建てたものとかでかなりの山中にある。所々蜘蛛の巣もあり、訪れる人の少なさを感じたが、道はきちんと整備されていた。三成との友情の為、命を差し出した大谷吉継は私にとって非常に好感度が高い。少し離れているが、大谷吉継陣跡へも行ってみた。小早川秀秋の裏切りを予見し松尾山を押さえる位置にある。 時間がかなりかかってしまったので、東軍諸将の陣跡や松尾山のチェックはまたの楽しみにとっておこう。関ヶ原をあとにし名神を使って大垣へ急行。ところが大垣は十万石祭りだとかで大層な混雑。駐車場は満車、路上駐車の嵐で車を駐めるのに非常に難渋した。何とか駐車場の空きを見つけ大垣城へ。2000年の時は時の大河ドラマ・葵徳川三代に連動して大垣博が開催されていてやはりすさまじい混雑だった。関ヶ原の戦いでも石田三成が入城し、重要な拠点であった大垣城は戦前、国宝に指定されていたが、太平洋戦争の空襲で灰燼に帰している。戦後、鉄筋コンクリートでの外観復元がなされたが、近頃はやりの木造での本格的復元の話も出ているらしい。なお、全国城郭管理者協議会に大洲城が加盟し、城のしおりが新しくなっていたのでここで購入。表紙は前は国宝の城だったが、今回は世界遺産の城。(二条城、姫路城、首里城) 大垣城で共通券を購入した為、大垣市守屋多々志美術館へ向かう。吹奏楽のパレードが始まっていて道路を渡れず地下道を利用。外の喧噪が嘘のように美術館内は静かだった。企画展・芭蕉への憧憬。奥の細道の扇絵。もうひとつ、大垣市郷土館は藩主・戸田氏の展示が主。あまりなじみがないのでぴんと来ない。更に見所の水門川・住吉灯台にも足を伸ばす。奥の細道むすびの地として松尾芭蕉像もあった。 昼食は大垣市内でチェーン店の蕎麦。比較的時間をかけて昼食をとってから、あまり気はすすまないが、墨俣一夜城へと向かう。ただでさえ、秀吉が嫌いなところへもってきて、史実を全く無視した白亜の模擬天守。あまりにも悪趣味だ。城の中の展示も一夜城建設に関してもう少し詳しくても良いと思った。ただ、最上階の展望室からの眺めは中々良く、岐阜城もはっきりと見えた。美濃攻略の拠点として信長が墨俣築城にこだわるのもわかる。 あとは、岐阜県内の重文木造塔をくまなくチェックすることに集中。岐阜市内を経由して高速を使わず、国道156号で関市へ向かう。これがなかなかの渋滞でかなり時間がかかってしまった。関市では刃物まつりが開催されていてやはりたいそうな賑わいだった。渋滞の市街をやっとの思いで抜けてたどり着いた新長谷寺。通称・吉田観音(きったかんのん)。既に一度訪れていて知っていたのだが、ここは境内での写真撮影を禁じている。隅っこの方からこっそり写真を撮ろうとしたらすかさず注意されてしまったのであえなく断念。時間をかけてたどり着いてこの有様では浮かばれない。修行の場で観光地ではないとの物言いは何とも高飛車だと思うのだが。かの有名な永平寺だってそんな野暮なことは言わないというのに。重文の建造物を多数抱える寺だけに何とも残念である。 次の武儀町(既に関市に合併)・日龍峰寺へは渋滞スポットは通らないで済む。通称・高沢観音でかなりの山の中にある。重文の多宝塔は岐阜県下最古で時の尼将軍・北条政子によって建立されたという。また、舞台造の本堂を持つことから美濃清水の異名も持つ中々味わいのある寺だ。 岐阜県下に5つある重文木造塔のトリは美濃市の長蔵寺宝塔。市の中心地からはかなり離れている。とりあえず近くの美濃和紙の里会館には寄っていく。JAF割引を使おうとしたが、クーポン券がなく断念。いつか、紙漉体験もしてみたいものだ。前回さんざん迷った長蔵寺。さすがに1回来たことがあるだけあってすぐにたどり着けた。薄暗い堂の中に重文の宝塔は安置されている。金網越しで何とも写真が撮りにくい。 市街地に戻ってうだつの上がる町並でも楽しもうと思っていたが、美濃市でも美濃和紙あかりアート展なるイベントが行われていて大層な人出。結局車を駐めることができなかった。翌朝の再訪を期すことにして岐阜市内へと戻る。 |
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| この日は郡上八幡城の開城9時に間に合えばよいので、朝風呂に入ってから始動。朝食は岐阜市内のデニーズ。7:30国道156号で美濃市へと向かう。前日の混雑が嘘のようにスムーズだ。伝統的建造物群保存地区に指定されているうだつの上がる町並みも閑散としている。近くを通るたびに気になっていた天守様建築は小倉公園にある。小倉公園は金森長近が築城した小倉山城の城跡だった。山頂の展望台は模擬天守というにはあまりにお粗末な作りだったので撮影せず。ただ、展望台からの眺めはとても良かった。美濃ICから郡上八幡ICまで東海北陸道を利用。勿論、ETC通勤割引。 天気予報では午前も午後も降水確率50%で雨は避けられないと観念していたのだが、ラッキーなことに青空が広がっている。郡上八幡ではとりあえず城へと向かう。登城の道は一方通行。細い道でカーブがきつく、何度か切り返しを余儀なくされる。9時過ぎ、到着。勢いで9つの施設で利用できるフリーパスの「通行手形」を購入。郡上八幡は2006年の大河ドラマ、「功名が辻」の主人公、山内一豊の妻、千代の故郷とのことで幟が沢山立っていて場内にも関連の展示があった。きっと、大河ドラマ開始早々の紀行で取り上げられることだろう。郡上八幡城は大垣城をモデルに建てられた模擬天守だが、昭和初期に建てられた木造天守なので中々雰囲気はよい。すっかり町の風景に溶けこんでいる感がある。天守最上階からの眺望も中々で魚の形をしているという郡上八幡の街がよく見える。 城を下りきったところには内助の功で有名な馬と山内一豊、千代の銅像。高知城の銅像は夫婦別々だが、ここは一緒だ。こちらの馬の方がスマートかな。近くの有料駐車場へと車を入れる。3時間300円は良心的。早速散策を開始。駐車場に最も近い安養寺宝物館から。浄土真宗の寺だけあって石山合戦関係文書が目をひいた。 安養寺から郡上八幡博覧館へ向かう道は、古い町並みで小京都を名乗るに足る佇まいだ。博覧館は水とおどりの城下町らしく、「みず」の展示からスタート。13mの高さの新橋からの飛び込みにはそそられるものがある。郡上おどりの方にはあまり興味はない。 ここから先も古い町並みが続いている。ちょっと脇にはいると名水100選の宗祇水。かなりの人が集まっていたので一口だけ水を頂いて後にする。宮瀬橋からは川の中の魚が見えるというが私には見つけることができず、飛び込みで有名な新橋方向の吉田川の写真だけは撮ってみた。 やなかのこみちの近くには3つのスポットが固まっている。おもだか家民芸館は蔵の中に民芸品の展示、遊童館は画家水野政雄の切り絵や紙人形。斉藤美術館は斉藤家所蔵の茶道具と水琴窟。水琴窟は萩の桂太郎旧宅の物の方がいい音していたけど。 次は楽藝館。かつての林療院だけあって医療関係の展示が中心。岐阜県下で最初に使われたレントゲン室もある。ここから乙姫川沿いにしばらく上って少し入ったところに慈恩禅寺がある。ここの庭園・てっ草園が有料で通行手形で利用できる場所なのだが、写真撮影は不可。しっかり釘を刺されてしまった。来た道を戻って旧庁舎記念館で絵はがきと以前からとても気になっていた明宝村のトマトケチャップを購入。 駐車場に戻る途中には子ども達が飛び込む新橋がある。のぞきこんでみたが、吉田川の美しい翠巒に吸い込まれるよう。高所恐怖症の私でも飛び込んでみたい衝動に駆られた。駐車場の近くで昼食。初めて櫃まぶしを食べてみたが、とてもおいしかった。名古屋の名物料理は個人的に大好き。 通行手形で利用できる施設はもう一つ残っている。少し離れた場所なので車で向かった民芸美術館。一個人の蒐集品を展示。江戸時代に製薬・調薬を生業としていた家の為、薬箪笥を始め医薬学関係の品も多い。これでようやく通行手形で利用できる施設を全て回ることができた。単独だったらおそらく入館しないところもあるが、一つの街をこれだけじっくり楽しめるのは悪くない。1500円は中々お値打ちだ。結局雨も全く落ちてこず、郡上八幡を堪能することができた。ちなみに、郡上八幡は町村合併により、郡上市となっている。 郡上八幡ICから東海北陸道。関JCTから東海環状道へ。森蘭丸の故郷、兼山あたりもねらっていたのだが、雨が落ちてきたのでパス。中央道に抜けて恵那ICでおり、既に恵那市に合併されている岩村町を目指した。雨が降りしきる中、伝統的建造物群保存地区に指定されている古い町並みをさらっとチェック。三大山城の岩村城は、まよったものの車で乗り付けることができる出丸までのぼっていった。雨は却って強くなってしまったのでしばし車の中で一休み。 小降りになったところで、本丸へと赴く。出丸駐車場からはあっという間に着いてしまう。前回は歴史資料館に車を置いて延々と歩いたのでかなり苦労した。しかし、天気さえ良かったら、延々と歩く道を選びたいもの。本丸周辺はかなりしっかり石垣が残っている。女城主の城として宣伝しているが、その女城主は織田信長の叔母で、信長によって逆さ磔に処されている。 城から下りてきて改めて岩村町歴史資料館へ。前回訪れた際はタッチの差で入館を果たせなかったのだ。せっかくの三大山城なのだから、もう少し岩村城に関する展示がほしいところ。 岩村町からほど近くには、明智町もあり大正村を名乗っていたりするのだが、雨の為、パスすることにする。来た道を引き返すことはせず、上矢作町へ抜けて平谷村から長野県入り。かつて毎週のように通っていた平谷村のひまわりの湯には、ウォータースライダー付きのプールまでできていた。懐かしい国道153号で飯田市に出ると雨が上がってきている。せっかくなので、元善光寺には寄ってみた。無料の戒壇めぐりは壁がすっかり新調されていて光が漏れることもなく完全な暗闇が確保されていた。あまり見るべき物はなかったが、200円で宝物殿ものぞいていく。最後は松川ICから岡谷IC間、ETC通勤割引を適用させて無事帰着。 |
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