2005.2.12 Sat〜13 Sun

2004年11月の三重母体以来、12月、1月と献血ルームでの献血が続いていた。久しぶりに母体での献血を画策。当初は来週、鹿児島母体の予定であったのだが、雪の心配がなさそうだったので、急遽、献血ドライブに繰り出してしまった。建国記念の日は前々から予定が入っており、長野市にて宴会もあったのだが、夕方早くにアルコールを断ち、ETC深夜割引を狙っていたが、すっかり寝過ごしてしまった。既に存在しない地名を名乗る更埴ICに到着したときは4時15分。長野道を南下、岡谷JCTから中央道、途中何度も仮眠を取りつつ進む。7時過ぎ、内津峠PAのモスバーガーで朝食。

当初は週刊司馬遼太郎街道をゆくの最新刊にあわせて高野へ赴こうと思い、和歌山つながりで「尻啖え孫市」を読み始めていたのだが、家に忘れてしまったところから既にみそが付いている。あっさり予定を変更し献血予定地の滋賀県に集中する事とした。

まずは長浜。路面にこそ雪は残っていないが、周囲は真っ白く雪化粧。雪をたっぷり載せた車も多く見かけた。しかし、気持ちいい青空が広がっている。1時間100円のパーキングに車を駐め、大通寺へ。2度目の拝観だが、伏見城から移築の重文の大広間など初めて見るかのごとく新鮮だった。(というか記憶がのこっていない。)黒壁スクエアなど趣のある街並をしばらく散策してから、車で長浜城へと赴く。羽柴秀吉築城のこの城は櫓など、彦根城に持って行かれ全く遺構が残っていない。天守閣も想像上の代物。先月の掛川城、高知城に続いて山内一豊ゆかりの城だ。義経が始まったばかりだというのに気が早いものである。

2004年6月の木造塔めぐりで満足な写真が撮れなかった金剛輪寺三重塔と常楽寺三重塔は重要なターゲット。冬場は樹木の葉が落葉していて写真を撮るには好都合。思惑通り、金剛輪寺の三重塔の写真はしっかり撮れた。本堂は国宝である。長い石段の参道を延々と登っていく価値はある。

国道307号をそのまま進むと水口に出る。水口は合併により甲賀市となっている。ちなみに信楽も甲賀市になった。街中の道がとてもわかりにくく迷ってしまい、とりあえずマクドナルドで昼食。食後、何とか、水口城にはたどり着けた。将軍の宿館として築かれたが家光上洛時に一度使われたのみ。その後、水口藩の城となる。水口にはほかにも家康公腰掛石などのスポットがあるのだが、道がわからなかったので、先を急ぐ。

甲西町も石部町と合併して湖南市となっているが、道路標示は昔のままだ。甲西地区の名刹、善水寺。信長の焼き討ちの難を逃れた本堂は国宝。和銅年間の創建で桓武天皇の病気平癒を最澄が祈祷、その霊水を献上したところたちまち平癒し、現在の寺名となった。更に石部地区の常楽寺。本堂と三重塔が国宝だ。こちらは事前予約の団体でないと本堂の拝観はできない。西寺(にしでら)と言われる常楽寺に対して東寺(ひがしでら)と呼ばれる長寿寺の本堂も国宝。滋賀県は国宝建築物の宝庫だ。

晴天の広がっていた午前中とはうってかわってすっかり雲に覆われてしまった。15時、満を持して血液センターへ。久しぶりの母体での献血だ。献血時の読書といういつものパターンが崩れ何とも暇をもてあましてしまう。正味1時間で献血終了。

最後に近江一宮の建部大社へ。お守りを買うでもなく、ただ単に写真を撮影したのみ。国道1号で水口へと戻っていく。前日から脂っこい食事が続いているので、何としても寿司を食いたい。18時前という早い時間にもかかわらず、すさまじい混雑の回転寿司の店に。混雑がうなずける味。一皿105円でこの味は長野県では考えられない。小食の私としては異例の10皿。早々に水口のサウナに投宿。


前夜、早々と就寝して、最近では記憶にないほど、たっぷりと睡眠をとった。6時過ぎ、出発。ガソリンを補給し、タイヤの空気圧も確認。(かなり抜けていたのだ。)7時過ぎ、フレンドリーにて朝食。ジョイフルより高いが、味はまずまず。

あまり早すぎても拝観が始まっていなければどうしようもないので、寄り道をちょこちょこしていく。前日立ち寄った建部大社のほど近く、瀬田の唐橋。石碑に三大名橋と堂々とかかれてしまっているが、三名橋に数える人はあまりいないように思う。錦帯橋は必ず入るみたいだが。ただ、歴史上重要な橋という事では間違いなくこの橋を入れねばならない。江戸時代あたりの三名橋ならば日本橋、瀬田の唐橋、錦帯橋になるのだろうか。江戸時代の三名城に姫路城が入らないのと似ている気がする。コンクリートの橋も城も今の時代にはありがたみがあまりないものだから、色々、混同混乱が起こるのではないか。

神宮コレクションのために近江神宮へ向かう途中、膳所城址もチェックできた。ちょっとした公園になっている。近江神宮の祭神は大化の改新で有名な中大兄皇子、第38代天智天皇である。大津京の故地に滋賀県民の熱意で太平洋戦争前に作られた新しい神宮だ。8時半前で当然、お守りを買う事ができない。

先月、パスした国宝の日吉大社は是非見たいところ。坂本の観光駐車場に車を駐め、坂本の街並をしばし楽しむ。日吉大社前の参道の石垣など、伝統的建造物群保存地区に指定されている。伝教大師最澄生誕の寺、生源寺にも立ち寄る。伝教大師産湯の井戸が残っている。

9時になるころを見計らって日吉大社へ。本殿が国宝の神社は結構あるが、周りを拝殿や回廊で囲まれていて写真撮影ができないところがかなり多い。日吉大社の国宝・本殿は西本宮も東本宮も間近にまで近寄れるし写真撮影もOKなのでうれしい限りだ。二棟の国宝物件のほか、重文の建造物も数多く持っているが、近々、楼門などの檜皮葺の屋根の葺き替え工事が行われるようである。工事開始前に訪れる事ができたのはラッキーだった。

坂本と言えば坂本城を居城にしていた明智光秀。菩提寺にして墓もある西教寺ははずせない。重文の本堂の左手前、石垣前に明智光秀の墓はあった。せっかくなので客殿の拝観もしていく。長浜の大通寺と同様、伏見城から移築されたもので古色蒼然として趣のある襖絵、天下人・秀吉の御座の間など堪能できた。琵琶湖湖畔の坂本城址に行くついでに坂本城の遺構と伝えられる門がある来迎寺にも立ち寄ろうと思っていたが生憎、門は修復中だった。坂本城址には殆ど遺構は残っていない。城址碑と明智光秀の石像が立っている。

近江八景の一つで非常に有名な満月寺・浮御堂。にもかかわらず今まで一度も訪れた事がない。浮御堂は湖側が正面になっているため、船にでも乗らない限り正面から浮御堂全体を拝む事はできない。曇天の下では今ひとつの景観。ここからは、琵琶湖大橋もよく見える。渡るためには200円かかるがもう渡る気満々である。

琵琶湖大橋で東岸に渡ると後は湖岸を北に走る。近江八幡市の長命寺。三仏堂の屋根の葺き替えが終わったという情報を得ていたため、2004年に続いての訪問だ。念願の鐘楼堂からの写真を撮る事はできたが、今度は鐘楼堂が修復に入っている。

近江八幡は街並も魅力があるが、何はともあれ、ロープウェイの架かっている八幡城攻めを目指す。ところが何とロープウェイ施設の工事のため、今月25日まで運休。落胆は隠せないが、見所の多い近江八幡は半日以上掛けってじっくりと楽しみたいところ。いつかそのうち訪れる事になると思う。

安土は今回で3度目の訪問だが、今まで安土城しか見ていない。安土城以外の物件をしっかり網羅したいところ。まずは安土駅近くの城郭史料館。1/20の安土城の模型が売りで模型の内部を見せてもらう事もできる。「どうぞ、写真もお撮り下さい。」とおっしゃっていただけたので遠慮なく、フラッシュをたいて撮影してしまった。ついでだったので、駅の反対側の織田信長像もチェックしたが、あまりかっこよくない。

安土町の観光マップを城郭史料館で頂いたので満を持して桑実寺経由で観音寺城を目指す。膳所城、坂本城と冴えない城が続き、八幡城にも振られた後だったので、本格的山城は望むところ。しかし、桑実寺は安土町の重要な観光スポットだというのに駐車場が用意されていない。仕方ないので、少し離れたグランドの駐車場に駐めたが、基本的には安土町の観光は列車で訪れレンタサイクルを利用せよという事なのだろうか。

何はともあれ、桑実寺。麓に「桑実寺まで20分」の表示があったが、気にしない。実際そんなにかかるわけないとたかをくくっていた。駐車場がなく、かなりの長い石段を登らなくてはならないという事で、訪れる人がかなり少ないのだろう。石段の隙間には美しい苔に覆われていた。南北朝時代に建立された本堂は重文。室町幕府12代将軍足利義晴が3年間、仮幕府を開いた歴史を持つ由緒ある寺である。

ここから山頂の観音寺城を目指す。冷蔵庫の中のような気温であったが、汗をしたたかかいてしまい、新品のD70にかかってしまった。鳥取城クラスの厳しさであった。ただし、鳥取城ほど素晴らしい眺望は得られない。わずかではあるが、石垣は残っていた。下りの道ですっかり汗が冷えてしまった。駐車場から桑実寺を経由しての山頂の往復、所要は1時間強だった。

時刻は13時を遙かに回っている。次の目的地、信長の館の前にレストランがあったので、そこで昼食。すりごまがたっぷりかかっている戦国焼定食、肉嫌いの私だが、非常においしく頂けた。信長の館は2004年6月のドライブで入る事ができなかったので狙っていたのだが、本懐を遂げる事ができた。セビリア万博の日本館に出展されたという安土城天主。期待を裏切るものではなかった。フラッシュ撮影禁止なので手ぶれになっているとは思うが、色々写真を撮って回った。

安土城考古博物館も前回見る事ができなかったスポット。第1常設展示はどこにでもありがちな弥生・古墳時代の展示。第2常設展示がこの博物館の売りになるだろう、中世山城から近世の築城に至るまでの城郭の展示。安土城の金箔瓦もここのものが一番しっかりと金箔が残っている。また、安土城も観音寺城も地形模型が展示されていた。観音寺城は私が攻めた桑実寺からの道は搦手に当たるらしく、観音正寺側の正面から攻めれば、いくつかの曲輪、遺構が見られるらしい。痛恨の極み。桑実寺はなかなかいい雰囲気だったので後悔はしていないが、もう少し、山頂周辺を探索しておけば良かった。

最後に日本最初のキリシタン神学校・セミナリヨ趾の碑をチェックして帰途につく。15時に八日市ICより名神に。多賀SAでお土産と飲み物、おやつを調達して後はノンストップ。いつもの渋滞スポット、岐阜羽島や一宮JCTもスムーズにスルー。中央道はスキー帰りの車で下り線は渋滞していたが、上り線は至って快調。18時前に余裕を持って帰宅。

二日間に及ぶドライブで滋賀県のみをターゲットにしたのは今回が初めて。それでもまだまだ見たいスポットは山ほど残っている。前記の近江八幡は言うに及ばず。佐和山城、小谷城の二つの山城なども手強そう。国宝の数ばかりではなく滋賀県の奥深さを痛感している。司馬遼太郎が「街道をゆく」の初回で湖西のみちを取り上げ、どうにも近江が好きと言わしめてしまうのもわかる気がする。

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