|
|
|
2005.1.8 Sat〜9 Sun |
|
|
|
|
| 6時過ぎ、起き出してみると、至る所に人が寝ころんでいる。本当にすさまじい混雑だ。6:30の朝風呂開始を待たず出発。霜が降りていたが、ウォッシャーで一発でクリアになる。舞阪のジョイフルで朝食。禁煙席は満席。椅子に長々と横になって睡眠をとる人が何人もいるためだ。24時間営業のファミレスで宿泊というのはいくら何でも反則であろう。それにしても浜松近辺は健康ランドと言い、ファミレスと言いなぜこうも混んでいるのか。3連休の中日とはいえ、常軌を逸している。 朝食をとっている間に明るくなってきた。目指すは豊橋市内の東観音寺。今回のドライブでは出発に当たって愛用の1/100000のドライブマップが見つからず地図なしで臨んでいたのだが、うろおぼえでは東観音寺は見つける事はできなかった。ガソリンがなくなってきたので国道1号に出てガソリンを補給。ここで、コンビニでちらっと地図を立ち読みすればよい事に気づき、敢行。お礼がてら野菜ジュースを購入。やっとの事で東観音寺にたどり着く。お目当ての重文の多宝塔は逆光気味で写真が撮りにくかった。 いい加減時間をロスしてしまったので、県道で豊橋市街地へと向かう。196城目は吉田城。市役所に隣接している豊橋公園の一角、豊川のほとりに隅櫓が復興されている。小田原平定後、関東に移封された家康への押さえとして池田輝政が入城している。 豊橋から豊川は非常に近い。豊川駅の裏手にある三明寺。ここも重文の三重塔が目的で、目的は無事達成できたのだが、本堂は修復中。なんともついてない。ここに車を駐めたまま、歩いて豊川駅の連絡通路を渡り、豊川稲荷へ繰り出す。さすがに有名どころだけあって初詣客が非常に多い。また、閑散としている時期に改めて訪れたいものだ。ずっとほしかった福寿草をゲットできたのはラッキーだった。 ここで東名高速を利用。豊川ICから岡崎ICまで。インターを出るとまもなく岡崎公園に到着だ。家康ゆかりの城のトリは家康の生誕地、岡崎城。ここにも家康の銅像がある。家康の銅像も三点セットでそろえる事ができた。岡崎城天守の前には松の木が生えていて写真を撮りにくい事この上ない。全国城郭管理者協議会加盟の47城の中で最も写真が撮りにくいと思う。天守閣内の展示を一通り見た後、大手門の方に回り、三河武士のやかた家康館にも寄っていく。(勿論、共通券を購入していたのだ。)いきなり、松平氏8代のビデオに見入ってしまう。家康のルーツ、松平氏発祥の地もこれはチェックせずにはいられない。 とりあえず、岡崎市内の大樹寺に向かう。松平家・徳川家の菩提寺だ。前回訪れた2001年3月は重文の多宝塔だけが目当てだったが、今回はきっちり松平氏累代の墓もしっかりチェックできた。ここの多宝塔は家康の祖父、7代松平清康が戦勝を祝して建てたものだという。三河ばかりにとどまらず、尾張の一部まで手中にしていた彼が25歳で暗殺される事がなかったら、戦国後期はまた別の歴史が紡がれていたに違いない。一番手前の新しい墓は後から建てられた家康の墓で隣が8代・広忠。一番奥が初代・親氏ですべて順番に並んでいる。前回同様、拝観も。ビデオを見てきたので桶狭間の際に織田軍を蹴散らした70人力の祖洞和尚の肖像画やその時振り回して敵を退散させた門の閂を祀った貫木神などもくまなくチェックできた。前回も見たがここの見所は、松平家8代及び、歴代徳川将軍の等身大位牌。徳川慶喜の位牌だけは不明だと言うが、なかなか壮観である。 ここから更に北上し、豊田市に入って山間を進むと松平氏発祥の地、松平郷がある。実は、大学時代の1983年にここは訪れているはずなのだが、全く記憶がない。解説者付きでいろいろ説明もしてもらったはずなのだが、何一つおぼえていない。受け身での旅行は本当に役に立たない事が実感できる。興味を持って行きたいときに行くのが一番だと思う。さて、松平郷の駐車場に車を駐めると、そのすぐそばにあるのが、松平東照宮。松平屋敷跡地に建てられた。各地に散在する東照宮に比べると質素な造りだ。その脇に立つ松平郷館は入場無料。そしてその裏手には産湯の井戸がある。家康誕生の折りにも岡崎城までここから竹筒に入れた水が早馬で運ばれたという記録が残る。道に出るとほど近くに松平氏・初代親氏の銅像。なかなかラフな出で立ちだ。土豪というか山賊と言ったノリだ。新田義重の子孫で源氏の末裔という系図はいかにもでっち上げと感じられてしまう。 道をどんどん上っていくと突き当たりにあるのが高月院。松平家の菩提寺で裏手の墓所には初代・親氏、2代・泰親、4代・親忠夫人の三人の墓がある。3代・信光の時代に松平氏は岩津城に進出していった。最後に表示がなく今ひとつ不安だったが、松平城を探してみた。登り口を何とかみつけ、頂上の主郭まで登ってきた。初代・親氏の築城だという。これが通算197城目。いよいよ、200城も射程圏内だ。 大分、雲が湧き出てきて雪まで舞ってきたのでそろそろ帰路につく事とする。しかし素直な道はとらず、国道301号で新城市へ。更に151号を進んで一宮町の三河一宮・砥鹿(とが)神社。豊川稲荷には及ばないものの、ここもまた初詣客でにぎわっていた。そそくさと神社を後にする。 あとは151号で長野県に向かうだけ。ただ、寄り道はそこそこして行くつもり。まずは、設楽ヶ原の長篠古戦場の馬防柵。そして近くにある設楽ヶ原歴史資料館へ。鉄砲隊が武田の騎馬軍団を壊滅させた長篠の戦いにちなんでここには非常に数多くの火縄銃が展示されている。 そしてほど近くの長篠城。鳥居強右衛門が磔にされつつ織田・徳川の援軍が到来する事を籠城する城方に伝えた歴史のある城だが、ここで何と強烈な俄雪。霰、霙交じりの雪だったが、これで一気に意気阻喪。素直に帰路につく事とした。時刻は16時を少し回ったところ。路面状態が心配だったが、しばらく進むと、路面は完全に乾いていた。局所的な雪だったようで青空が広がっている。しかし、予想通り、県境が近づくと、路面にはしっかり雪が残っていた。ノーマルタイヤ故、慎重に運転。殆ど長野県に向かう車がなかったのは不幸中の幸いだ。上りより、むしろ下りの方が怖いのだが、長野県内は塩カルでしっかり除雪してあって一安心。阿南町新野の集落まではセンターラインのない細い道だったのだが、さほど不安な状態に陥ることなく、山道を下る事ができた。飯田市内にはいると路傍の雪も殆どなし。飯田ICから中央道。全く、つつがない道中で19時には帰宅する事ができた。 |
|