2005.1.8 Sat〜9 Sun

かつての常識では冬場は太平洋側は降水量が少なく、日本海側に大量の雪が降るのが日本の気候の基本。ところが近年は西高東低の冬型の気圧配置が長続きせず、南海上を低気圧が通過して太平洋岸にもしばしば降雪をもたらす。しかし今年は年が明けてからなかなか強烈な寒波に見舞われていて週間予報も太平洋岸の好天を予測している。太平洋側と言えば私のイメージでは静岡。2004年10月の浦添城以来、194城でストップしている新規のお城めぐりを期して、静岡、三河方面へと繰り出す事にした。三遠駿の城というとどうしても徳川家康縁の城がはずせない。小学校6年生の時に歴史に興味を持って好きになった歴史上の人物第1号は実は徳川家康だったのだ。(その後、司馬遼太郎の著作を読んでかなり嫌いになってしまったが。しかし、未だに幕末期の自分のスタンスが佐幕であるのはかつての家康好きが影響しているのかもしれない。)徳川家康とお城めぐり、私にとって原点への回帰となるドライブといえそうだ。

ETCの深夜割引が始まったので、午前4時前に諏訪ICを通過すべく、午前3時15分、出発。前日に雪が舞っていたが積雪はないようだ。甲府昭和ICでおり国道139号を南下。朝霧高原の道の駅でしばし仮眠。富士IC近くのデニーズで朝食。7時、明るくなってきたところで来た道を戻って駿河一宮の富士本宮大社。早朝とはいえ、やけに閑散としていると思ったら、拝殿が修復中だった。更に北上して大石寺。日蓮正宗の本山のこの寺は非常に広大で、広大な駐車場も至る所に散在している。富士山がよく見える駐車場に車を駐めて一枚撮影。歴史的な建造物もそれなりにあるようなのだが、よくわからないので重要文化財の五重塔のチェックのみにとどめる。

すぐに引き返して西富士自動車道も使い、富士ICから東名高速。清水ICでおりてバイパスで駿府城に向かう。体育館の有料地下駐車場に車を駐め、駿府城を散策。3年前に来たときは路傍から巽櫓と東御門の写真を撮っただけなので初めて訪れたようなものだ。この城に居座って大御所として君臨した徳川家康ゆかりの城だけあって銅像も建っている。老年期の鷹狩りをする姿で家康の銅像の中では一番見栄えはよいかもしれない。9時を回って既に開いていた東御門・巽櫓にも入ってみた。工業高校の生徒の手による安土城をはじめとする城の模型の出来映えに感心した。

静岡ICから再び東名高速に戻って菊川ICから、掛川市内の事任(ことのまま)八幡宮へ。一応ここも遠江一宮という事で訪れたのだが、小さな神社で参拝者も見かけない。やはり掛川と言ったら掛川城と言う事ですぐに城へと向かう。2006年のNHK大河ドラマが「功名が辻〜山内一豊の妻」に決定したという事で、掛川市も観光に力を入れていきそうだ。大手門や天守閣は木造による再建だが、二の丸御殿は現存する数少ない貴重な御殿で重要文化財に指定されている。(同じく山内一豊ゆかりの高知城にも本丸御殿が現存している。)

掛川城からさほど離れていない袋井市の油山寺は重文の三重塔がお目当てだったが、掛川城大手門が移築されていて重文に指定されている。掛川城に移築し直すというのは不可能だったのであろう。大手門も重文となれば掛川城に更に箔がついたのに…。自然散策路をかなり歩いて石段を登りつめたところに本堂や三重塔はある。三重塔は逆光になっていてちょっと写真が撮りにくい。

油山寺より更に北、森町には遠江一宮、小國神社。事任八幡宮に比べこちらの方が規模も大きくネームバリューもあるようで、初詣客で大いににぎわっていた。参道沿いには露店もびっしり。成人の日の三連休にまで初詣を引きずっているとは思わなかった。

ここまで原点への回帰、お城めぐりはすべて再訪の城ばかり。195城目を期して二股城に向かう。天竜川と二俣川の合流地点に築かれた要害堅固な戦国の城だが、現在は二俣川の流れは変わってしまっている。蛇行する天竜川のほとりの小高い山の上にきっちりと天守台だけは残っていた。この城で家康の長男、信康が切腹している。

二股からは天竜川に沿って磐田市へ。2004年10月に献血した浜松赤十字血液センターをかすめて、特別史跡・遠江国分寺跡。前回来たときに比べて説明板が派手な色で塗られている変化があった。隣接する磐田市役所の最上階から俯瞰できれば素晴らしいのだが、生憎休日は開いていない。

家康ゆかりの城第2弾は浜松城。桶狭間の後、織田と同盟した青年武将家康の居城で三方原の敗戦後、逃げ帰った城でもある。ここの家康の銅像は青年期の若々しい姿となっているが、若いくせにじじむささを漂わせているのが家康の家康たる所以だろう。前回は近くの有料駐車場に駐めたが、今回は無料駐車場に駐めてみた。おかげでかなり歩く羽目となってしまった。予想外に多くの人出がある。

最後に特別史跡・新居関所跡を目指す。16:30丁度に着いたつもりだったが、タッチの差で閉められてしまった。かなり離れた駐車場に駐めてしまったのが裏目に出てしまった。それにしてもたいていの所だったらおまけで入れてくれるところなのだが…。くやしいから外観だけは目いっぱい写真を撮っておいた。

浜名湖畔に出て夕空の下の浜名湖をしばし楽しんだ後、浜松市内に向けて戻っていく。浜松に入って程なく、巨大なジャスコがあったのでつい立ち寄ってしまった。これほど巨大なショッピングセンターにお目にかかった事はない。レストラン街もなかなか充実しているのでここで夕食をとっていく事にした。満足のいく食事となった。更においしそうなにおいに誘われてパン屋にも入り込みいくつかパンを調達しておく。浜松市の中心部に向かうともう一つこれもかなり大きなジャスコがあった。宿は浜松市内の健康ランド。満員御礼と言った盛況ぶりだったが、早めに入ったので寝る場所はしっかり確保できた。


6時過ぎ、起き出してみると、至る所に人が寝ころんでいる。本当にすさまじい混雑だ。6:30の朝風呂開始を待たず出発。霜が降りていたが、ウォッシャーで一発でクリアになる。舞阪のジョイフルで朝食。禁煙席は満席。椅子に長々と横になって睡眠をとる人が何人もいるためだ。24時間営業のファミレスで宿泊というのはいくら何でも反則であろう。それにしても浜松近辺は健康ランドと言い、ファミレスと言いなぜこうも混んでいるのか。3連休の中日とはいえ、常軌を逸している。

朝食をとっている間に明るくなってきた。目指すは豊橋市内の東観音寺。今回のドライブでは出発に当たって愛用の1/100000のドライブマップが見つからず地図なしで臨んでいたのだが、うろおぼえでは東観音寺は見つける事はできなかった。ガソリンがなくなってきたので国道1号に出てガソリンを補給。ここで、コンビニでちらっと地図を立ち読みすればよい事に気づき、敢行。お礼がてら野菜ジュースを購入。やっとの事で東観音寺にたどり着く。お目当ての重文の多宝塔は逆光気味で写真が撮りにくかった。

いい加減時間をロスしてしまったので、県道で豊橋市街地へと向かう。196城目は吉田城。市役所に隣接している豊橋公園の一角、豊川のほとりに隅櫓が復興されている。小田原平定後、関東に移封された家康への押さえとして池田輝政が入城している。

豊橋から豊川は非常に近い。豊川駅の裏手にある三明寺。ここも重文の三重塔が目的で、目的は無事達成できたのだが、本堂は修復中。なんともついてない。ここに車を駐めたまま、歩いて豊川駅の連絡通路を渡り、豊川稲荷へ繰り出す。さすがに有名どころだけあって初詣客が非常に多い。また、閑散としている時期に改めて訪れたいものだ。ずっとほしかった福寿草をゲットできたのはラッキーだった。

ここで東名高速を利用。豊川ICから岡崎ICまで。インターを出るとまもなく岡崎公園に到着だ。家康ゆかりの城のトリは家康の生誕地、岡崎城。ここにも家康の銅像がある。家康の銅像も三点セットでそろえる事ができた。岡崎城天守の前には松の木が生えていて写真を撮りにくい事この上ない。全国城郭管理者協議会加盟の47城の中で最も写真が撮りにくいと思う。天守閣内の展示を一通り見た後、大手門の方に回り、三河武士のやかた家康館にも寄っていく。(勿論、共通券を購入していたのだ。)いきなり、松平氏8代のビデオに見入ってしまう。家康のルーツ、松平氏発祥の地もこれはチェックせずにはいられない。

とりあえず、岡崎市内の大樹寺に向かう。松平家・徳川家の菩提寺だ。前回訪れた2001年3月は重文の多宝塔だけが目当てだったが、今回はきっちり松平氏累代の墓もしっかりチェックできた。ここの多宝塔は家康の祖父、7代松平清康が戦勝を祝して建てたものだという。三河ばかりにとどまらず、尾張の一部まで手中にしていた彼が25歳で暗殺される事がなかったら、戦国後期はまた別の歴史が紡がれていたに違いない。一番手前の新しい墓は後から建てられた家康の墓で隣が8代・広忠。一番奥が初代・親氏ですべて順番に並んでいる。前回同様、拝観も。ビデオを見てきたので桶狭間の際に織田軍を蹴散らした70人力の祖洞和尚の肖像画やその時振り回して敵を退散させた門の閂を祀った貫木神などもくまなくチェックできた。前回も見たがここの見所は、松平家8代及び、歴代徳川将軍の等身大位牌。徳川慶喜の位牌だけは不明だと言うが、なかなか壮観である。

ここから更に北上し、豊田市に入って山間を進むと松平氏発祥の地、松平郷がある。実は、大学時代の1983年にここは訪れているはずなのだが、全く記憶がない。解説者付きでいろいろ説明もしてもらったはずなのだが、何一つおぼえていない。受け身での旅行は本当に役に立たない事が実感できる。興味を持って行きたいときに行くのが一番だと思う。さて、松平郷の駐車場に車を駐めると、そのすぐそばにあるのが、松平東照宮。松平屋敷跡地に建てられた。各地に散在する東照宮に比べると質素な造りだ。その脇に立つ松平郷館は入場無料。そしてその裏手には産湯の井戸がある。家康誕生の折りにも岡崎城までここから竹筒に入れた水が早馬で運ばれたという記録が残る。道に出るとほど近くに松平氏・初代親氏の銅像。なかなかラフな出で立ちだ。土豪というか山賊と言ったノリだ。新田義重の子孫で源氏の末裔という系図はいかにもでっち上げと感じられてしまう。

道をどんどん上っていくと突き当たりにあるのが高月院。松平家の菩提寺で裏手の墓所には初代・親氏、2代・泰親、4代・親忠夫人の三人の墓がある。3代・信光の時代に松平氏は岩津城に進出していった。最後に表示がなく今ひとつ不安だったが、松平城を探してみた。登り口を何とかみつけ、頂上の主郭まで登ってきた。初代・親氏の築城だという。これが通算197城目。いよいよ、200城も射程圏内だ。

大分、雲が湧き出てきて雪まで舞ってきたのでそろそろ帰路につく事とする。しかし素直な道はとらず、国道301号で新城市へ。更に151号を進んで一宮町の三河一宮・砥鹿(とが)神社。豊川稲荷には及ばないものの、ここもまた初詣客でにぎわっていた。そそくさと神社を後にする。

あとは151号で長野県に向かうだけ。ただ、寄り道はそこそこして行くつもり。まずは、設楽ヶ原の長篠古戦場の馬防柵。そして近くにある設楽ヶ原歴史資料館へ。鉄砲隊が武田の騎馬軍団を壊滅させた長篠の戦いにちなんでここには非常に数多くの火縄銃が展示されている。

そしてほど近くの長篠城。鳥居強右衛門が磔にされつつ織田・徳川の援軍が到来する事を籠城する城方に伝えた歴史のある城だが、ここで何と強烈な俄雪。霰、霙交じりの雪だったが、これで一気に意気阻喪。素直に帰路につく事とした。時刻は16時を少し回ったところ。路面状態が心配だったが、しばらく進むと、路面は完全に乾いていた。局所的な雪だったようで青空が広がっている。しかし、予想通り、県境が近づくと、路面にはしっかり雪が残っていた。ノーマルタイヤ故、慎重に運転。殆ど長野県に向かう車がなかったのは不幸中の幸いだ。上りより、むしろ下りの方が怖いのだが、長野県内は塩カルでしっかり除雪してあって一安心。阿南町新野の集落まではセンターラインのない細い道だったのだが、さほど不安な状態に陥ることなく、山道を下る事ができた。飯田市内にはいると路傍の雪も殆どなし。飯田ICから中央道。全く、つつがない道中で19時には帰宅する事ができた。

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