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2006.9.18 Mon |
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| 2006.9.19 Tue 早起きして、めざにゅ〜の天気予報を確認。曇りや雨の予報が多い中、群馬県は貴重な晴れのエリアになっていた。朝風呂に入って6時に出発。セブンイレブンで朝食を調達。沼田は青空が広がっていたが、吾妻方面の山は雲に覆われていた。とりあえず、沼田城へ。真田太平記の主人公とも言える真田信幸の居城だ。前回の訪問では見逃していた内堀跡や、天守付近、本丸西櫓跡をチェック。信幸の時代には5層の天守を持つ関東でも有数の特別な城だったが、沼田藩が改易となった際に沼田城は徹底的に破却されてしまった。西櫓跡の石垣が埋没して残っていたのは不幸中の幸いというものだろう。平八石は真田昌幸の謀略で討ち取られた沼田平八郎の首を載せたという石で、真田太平記ゆかりの物件。 沼田を後にしようと思った所、大蓮院墓、鈴木主水墓の表示を見つけ、急遽、正覚寺に赴いた。案内が全くなく、大蓮院(小松殿)の墓は何とか見つけることができたが、鈴木主水の墓は見つけることができなかった。北条氏に名胡桃城を攻めさせ北条攻めの口実を作るための謀略の犠牲となった鈴木主水、息右近は終生、信幸に仕え最後は殉死するという真田太平記における重要人物の墓だけに未練が残る。 気を取り直して、鈴木主水ゆかりの名胡桃城へ。天気が悪かったらこの城はパスしようと思っていたのだが、素晴らしい晴天が広がっていた。北条攻めの原因ともなったこの城の本丸は地滑りの危険があったようでコンクリート吹きつけによる整備が施されていた。むき出しのコンクリートは無粋きわまりないが、植栽も施されており、そのうち緑に覆われていくのだろう。かつての本丸に比べると広々として眺めは良くなった。 次は、この日最大のターゲットの岩櫃城。真田氏にとって上田城(砥石城)と沼田城を中継する重要な城である。戦国期の山城故、勿論天守などないのだが、麓には城郭様建築の岩櫃城温泉がそびえていた。思わずチェックしていよいよ岩櫃城に挑んでいく。かなりの困苦を強いられるかと思ったが、砥石城に比べると登坂がかなり楽。登山道としても整備されているので歩きやすかったが、蜘蛛の巣がやたらと張ってあって辟易した。さらにニホンザルの大群。殆どの猿は逃げていくが、ボスザルらしき雄ザルは残ってにらみをきかせていたのでかなりどきどきした。二の丸付近の展望所からは吾妻川を望むこともできる。城の各郭の表示板はさびていて古ぼけていたが、本丸跡の碑は立派だった。山頂の方に猿が逃げていったので、岩櫃山頂上制覇は断念。吾妻川の対岸から岩櫃山の遠望を収めるにとどめた。 真田太平記とは全く関係ないが、岩櫃城から南に向かって山を登っていくと榛名湖に出る。榛名湖は上毛三山の1つ、榛名山の外輪山の中にあるカルデラ湖。頭文字Dには秋名湖として登場する。せっかくの好天なのでロマンチック街道からはずれて寄っていくことにした。榛名湖は小学生の時にはしばしば連れて行ってもらっている。カルデラのセントラルピークである榛名富士にはロープウェイが架かっており、小学生の時のお気に入りだった。その当時とはゴンドラが変わっていてスキー場のゴンドラリフトが二つつながったような特異なロープウェイに様変わりしていた。迷わず、ロープウェイに乗り込む。少し霞がかかって眺望は今ひとつ。山頂の榛名富士山神社もかなりしょぼかったので写真は撮っていない。 もう十分すぎるほど、堪能し尽くした2日間のドライブになったので、おとなしく帰路についても良かったのだが、最後の最後に松井田城に立ち寄ってみる。北条攻めの時に攻め落とされる城でたいしたことはなかろうと踏み込んでみたが、殆ど整備がされておらず、非常に難渋。蜘蛛の巣には勿論悩まされたし、雨で土が流され木の根がむき出しになっている様は蛇のように見えて気持ち悪い。更に先に進むとイノコヅチが道に沿ってずっと生えている。苦労して二の丸、本丸にまでたどり着いたが、薄暗い中で撮った写真は殆どピンボケになっていた。 最後の最後でミソが付いてしまったが、松井田ICから上信越道に入り、横川SAで昼食。これもちょっと不満足。佐久ICからは通い慣れた和田峠経由で素直かつ順調に帰宅した。 |
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