2004.10.21 Thu

上諏訪発18:59特急スーパーあずさ34号−新宿着21:05

仕事の関係で10月の超割期間に休みを取りやすい状況が生じた。めったにない4連休、しかも超割を利用できるとなれば、思い切り飛行機を使うに限る。参観灯台全制覇をかけての宮古島行き、そして石垣島を拠点にと大きく夢をふくらました。しかし、史上最多の上陸台風を誇る今年は沖縄も史上最多の台風襲来を記録している。今週も台風23号が沖縄を襲っていてこれがなんと13回目。更に南海上には台風24号が発生していて着々と西に進んでいるという恐ろしい状況。しかし、もう、運を天に任せてしまうしかない。近隣では飯田線と中央線で脱線事故の被害があったが、中央東線は異状なく前日の上京を果たす。

2004.10.22 Fri

新宿発4:42(山手線内回り)-品川着5:01
品川発5:26京急エアポート快特−羽田空港着5:40
東京国際空港6:45−ANA991便−那覇空港9:15
那覇空港発9;40ゆいレール−県庁前9:52
県庁前10:28ゆいレール−那覇空港10:40
那覇空港11:05−ANA1721便−宮古空港11:50
(レンタカー)
宮古空港16:50−ANA1726便−那覇空港
那覇空港ゆいレール−牧志


雲は多く立ち込めているものの予定通りのフライト、那覇空港到着は少し遅れる。1時間ほどの時間も有効利用しようとモノレールですかさず県庁前駅へ。先月読了した琉球の風の謝名親方(じゃなうぇーかた)の顕彰碑、多少、迷いつつもたどり当てた。旭ヶ丘公園の頂上だ。謝名親方は薩摩侵攻時における琉球の義士的存在。大河ドラマでは江守徹が演じていたようだ。空港へ戻る列車も予定通り。宮古行きの便にはなんとか間に合う。

順調なフライトで宮古島に到着。上空から見ていてもとても平坦な島である事がよくわかる。宮古空港は琉球の伝統的建物に共通する赤瓦葺きでなかなか立派な建物。根室中標津空港の木造に匹敵する印象的な佇まい。空港までレンタカーが配車されていたのですぐに出発。参観灯台全制覇をかけて東平安名崎(ひがしへんなざき)へと赴いた。途中、昼食に宮古そばを食べる。沖縄そばと殆ど同じだが、魚系の出汁で具にかまぼこがのっているのが特徴といえば特徴か。東平安名崎ではかなりの強風が吹きすさんでいたが、非常に魅力的な景色を楽しむことができた。平安名埼灯台にて参観灯台全制覇を祝って参観灯台の入場券のセット\500を購入したが、受付にて参観灯台がひとつ増えたというショッキングな情報も得る。2004年4月29日から一般公開を開始した三重県の安乗埼灯台だ。参観灯台コンプリートはまだおあづけ。灯台からの眺望は最高。なかなか訪れる事のできないところにあるというありがたみを割り引いても参観灯台中、最高レベルの景観と云って良いだろう。灯台周辺は遊歩道が整備されていて散策にもうってつけだ。グァバのフレッシュジュースを求めて心地よい風にしばし吹かれる。

せっかくなので宮古島の北西端、西平安名崎にも足を伸ばす。こちらは東平安名崎ほど観光地化されていない。しかも相次ぐ台風によって吹き寄せられたのかゴミが散乱しまくっていた。やたらとビーチサンダルが目に付いた。しかし、エメラルドグリーンの海はしっかり楽しめるし、目の前には池間島と池間大橋も望める。橋の袂まで赴けば、海上には古より神の島として崇められている大神島も。せっかくなので、池間大橋を渡って池間島に足をおろしてきた。

次は南下して平良市内の人頭税石。身長がこの石の高さを超えた人間一律に課せられた悪税が人頭税。古代王国にはまま存在しているのだが、琉球王国に支配された宮古・八重山の人々に課せられたこの悪税は、驚く事に明治維新後にも残されてしまう。近くには宮古の権力者、仲宗根豊見親の墓もあった。

更に南下して宮古島の南西に位置する来間島へと渡る。来間大橋は1690mで日本一長い農道橋だという。島内の竜宮展望台からの眺望も素晴らしかったが、かなり強い風が吹いていた。急ぎ足だったが、これで三角形の形をした宮古島の各頂点はすべて回った。世界一美しいというサンゴの海などは楽しめなかったのでまた機会があれば訪れてみたいと思う。那覇に戻って夕食は国際通りで地ビール。ゴーヤチャンプルーはやはり最高だ。ただ、調子づいて食い物を注文しすぎて腹が苦しい。24時間営業の健康ランドがなくなったため、宿は1500円のドミトリー。

2004.10.23 Sat

那覇空港8:00−ANA1761便−石垣空港8:55
(八重山観光高速船)


前夜、結構ビールを飲んでしまったので目が覚めたときには既に6:30を回っていた。あわてて宿を飛び出てローソンで朝食を調達し、ゆいレールで空港へ赴く。7:30空港着でなんとかセーフ。搭乗手続きを済ませ、待ち時間なしで飛行機に乗り込んだ。この日のフライトも順調そのもの。宮古島あたりでは既に高度を下げている。下地島の下地空港がよく見えた。若干遅れて石垣空港着。宮古空港が結構立派だったので、それより発着便の多い石垣空港はもっと大きいかと思ったら、今まで利用した空港の中で最も小さな空港だった。サテライトがないのでわずかな距離なのだが、連絡バスに乗り込まなくてはならない。滑走路も短く小型ジェットしか離発着できない。羽田からの直行便がすぐに満席になってしまうのも仕方ない。新石垣空港早期建設の看板がやたらと目に付くが、切実な声かと思う。だからといって白保の青サンゴ群をぶっつぶしてしまって良いとは思わないが。

空港からは東(あずま)バスで離島桟橋へ。前払いの\200。離島桟橋から目の前の竹富島に渡る。星砂の島として大学時代からあこがれていた島だ。高速船で10分で到着。港にずらりと並んでいる各種業者の送迎用ワゴン車。水牛車の新田観光のワゴン車に乗り込む。狭い島をゆっくりと水牛車で30分かけて回るのも一興だ。サンゴでできているこの島の道は真っ白で明るすぎ、好天が災いして満足な写真がなかなか撮れない。絶世の美女、安里屋クマヤの家の前を通り、三線付きの安里屋ユンタを聞かせていただく。ひっきりなしに島に到着する観光客で数ある水牛車は殆ど満席状態だ。石垣島内のどこよりもこの小さな竹富島には観光客が集まっているようだ。この分だと、一番期待していたなごみの塔も順番待ちかと思ったが、すぐに登る事ができた。はしごに近い急な石段で人一人が立つのがやっとの塔。どこがなごみなのかがよくわからないが、ここからの竹富島の重要伝統的建造物群保存地区の景観は期待通りのものだった。(目の前で住宅の建設工事が行われていたのは少々興ざめではあったが。)近くの竹富民芸館は無料なのでちょっとのぞいていく。ミンサー織り、機織機の展示。続いて新田観光水牛車乗り場に戻って近くの喜宝院蒐集館。こちらは有料で民具館的内容の展示物だが、一応、日本最南端の寺院でもあるという。

そろそろ昼食をとるべく、狙っていた八重山そばの店に向かったが、生憎、臨時休業中。仕方ないので新田観光にて1時間\300のレンタサイクルを借り、さっと島内を回って石垣島に戻る事とする。一目散に向かったのが星砂の浜、カイジ浜。じっくりと星砂を探したりはしなかったが、砂はサンゴ等の生物の細かい骨格でできていた。普通の砂浜の砂とは明らかに違う。海水の美しさ、透明度も本土や沖縄本島とは比較にならない。隣のコンドイビーチは海水浴場なのでかなりの人が浜辺で遊んでいた。海水浴はかれこれ、2年半も遠ざかっている。

路傍には至る所にハイビスカスが咲き誇っており、思わずパチリ。帰り際、竹富島ビジターセンターに寄った。無料でたいした展示ではなかったが、サンゴの展示があった。レンタサイクルを返却し、12:25のバスで竹富港へと送ってもらう。12:45竹富発。12:55石垣離島桟橋着。すぐに八重山そばの店にしけこむ。セットではなく、ライスなしの八重山そばとゴーヤチャンプルー、さらに石垣地ビールをつける。満足の食事。特にゴーヤチャンプルーは前夜堪能した物と同じで豚肉ではなくポークランチョンミートを使っていた。これが、ペプチド、アミノ酸系の旨味を加え、ゴーヤチャンプルーを素晴らしい味に仕立てているのだろう。自分の家で作ってもこの味はまず出せそうにない。

石垣島内をレンタカーで回るのは明日。本当はさらっと竹富島を回って波照間島に渡る計画すら立てていたので、昼食後の予定は殆ど白紙。とりあえず、離島桟橋から歩いていけるところを回ってみる。桃林寺は島津侵攻の折、寺院が八重山にない事から尚寧王に寺院造営を進言し建立された。山門内の仁王像は沖縄に現存する最古の木彫刻で国の重文。権現堂も沖縄最古の木造建築で同じく重文だ。続く宮良殿内(みやらどぅんち)は沖縄県内唯一の士族屋敷でかなり年季が入っているが、これが台風にもびくともしないのだから驚きだ。これもまた国の重文に指定されている。受付のおじいさんは長野県の事情にもよく通じていらっしゃってしばし話し込んでしまった。

次は石垣市立八重山博物館。玉陵にもあった洗骨した遺骨を入れる独特な骨壺は博物館の必須アイテム。パナリ焼などの焼き物、古代の遺物あたりが展示のメインだ。博物館の脇には人頭税廃止百年記念の碑もあった。前日の宮古島の人頭税石とセットとなる。それにしても2003年の100年前と言えば大正を目前にした明治末期。大正デモクラシーの声が聞こえそうな時期までこの地に人頭税が残っていた事は驚きであるとともに我が国の恥辱でもあるように思う。維新、文明開化が表面的な物であったと言う事だろう。

まだまだ、時間にゆとりがある。とりあえず離島桟橋付近をふらふらしていて海中観光船を発見。15:00の便にはまだ余裕で間に合う。\2500と少し値は張ったが、翌日の天気は期待できないので、乗船する事とした。ところが、午前中あれだけ晴れていたのにいつの間にやらすっかり空は雲に覆われていた。波もかなり高くなってきている。予想以上に台風の接近が早いようだ。出航してサザンゲートブリッジをくぐり、外洋に出て行くと波しぶきがかかってくる。たまらず船底に避難。まもなく、テーブルサンゴが見えてきたが、船の揺れがかなりひどく、すっかり船酔いしてしまった。他の客たちも船底から早々に引き上げてしまう。

まだ、16時前ではあるが、予約しておいたドミトリーに向かう。いつもは宿の予約などしないのだが、石垣島で宿泊場所が見つからないなどという状況になったらたまらないのでネットで予約を入れておいたのだ。那覇と同じ\1500。ベッドに横になって一休みしていたらすっかり寝入ってしまった。一眠りしたら船酔いも癒えていたので、夕食をとりに外へ出る。ネットステーションヤイマにて掲示板に書き込み。そのあと夕食。オリオンの生中、石垣地ビール、泡盛古酒。つまみはグルクンの唐揚げ、島豆腐の揚げ出し、豆腐よう。特に豆腐ようは初めての沖縄で買ったお土産がひどい物だっただけに目から鱗の旨さだった。飲んだくれて帰ってくると新潟で大地震のニュース。同宿の皆さんとニュースに見入ってしまう。新幹線が脱線するなんてただごとではない。

2004.10.24 Sun

(レンタカー)
石垣空港16:40−ANA1772便−那覇空港17:30


一夜明けて、少しずつ、地震の詳細がつまびらかになってきた。生き埋めやショック死など、死者も出ている模様。しかも震度6強の余震も何度もあったという。これはただごとではない災害だ。自分の身体は昨晩の飲み過ぎで吐き気が残りかなり深刻な状況。特効薬の野菜ジュースをコンビニで求める。レンタカーの営業所へは徒歩で向かう。具合悪くとも何かしら食べようと、車を借りてからコンビニへ。石垣島のコンビニはHOT SPARが主流のようだ。パンと飲み物の軽い朝食。早朝、かなりの雨が降っていたが、殆どあがっている。しかし曇天では青い海は期待できない。まず白保サンゴ村。入場無料だが、実物の展示と言うよりはパネル、写真の展示が主。サンゴの生態と保護を訴えている。近くの海岸にも降り立ってみたが、海岸にごろごろ転がっているのは石ではなく、殆どがサンゴの骨格。こんなすごい海岸は初めてだ。

端っこ好きの私は、石垣島でも最北端を目指してしまう。途中、土砂降りの雨が降ってきて、気持ちがかなり萎えてしまったが、玉取崎展望台に着いた頃には小降りになっていた。それなりに美しい海の色だったが、晴れていればこんな物ではないだろう。帰りがけ、修学旅行生の大群とすれ違ったが、石垣での修学旅行がこんな天気ではちょっと気の毒ではある。

石垣島の北東方向に長く突き出た平久保半島を突き進んで石垣島最北端の平久保崎。灯台の右側斜面の牧草地では牛が草をはんでいて、天気さえ良ければ牧歌的な情緒を満喫できただろう。半島付け根の伊原間(いばるま)にはサビチ洞と言う鍾乳洞がある。天気が悪くても関係ないので帰りがけに立ち寄ってみた。そういえばゴールデンウイークに秋芳洞に行ったときも土砂降りだった。この日はそこまでの降りではないのが救い。鍾乳洞は海に抜けられるというのが売りのようで池には大ウナギがいたりする。なぜか骨壺などもたくさん並べられていて結構不気味な雰囲気だ。

少し日が差してきて道も乾き天気は回復傾向。石垣島北岸の県道を西進し、石垣島一の人気スポットであろう川平(かびら)湾。グラスボート利用者は駐車場無料。勿論グラスボートが目的なので\1000のチケットを購入。こぢんまりとした川平湾には時折日が差して海の色も美しくなってきた。結構、年季の入ったグラスボートに乗り込む。前日見たサンゴにはあまり感銘を受けなかったのでさほど期待はしていなかったのだが、期待を大きく上回る素晴らしいサンゴ。色、形も様々なサンゴの数々、ガラスに触れるのではないかと言うくらい間近で楽しむ事ができた。色とりどりの熱帯魚、そして生きたシャコ貝。これで\1000なら絶対お薦めである。ただ、内海から出ると波が荒く前日以上の船酔いに陥ってしまった。時刻は13:00を回っていたが、とても昼食を食べる気にはなれない。

今度は石垣島西岸を南下。要するに石垣島を反時計回りに回っているのだ。一昨日の宮古も反時計回りに回った。ガイドブックによると、より海岸沿いを走れる時計回りがお薦めなのだそうだ。石垣の市街地にかなり近づくと唐人墓がある。極彩色でとても墓には見えない。イギリス人の暴挙に蜂起した中国人労働者を島民はかくまったのだが、結局英軍に虐殺されてしまう。その中国人犠牲者を祀った墓碑を1971年、現在の形に再建。

石垣島をほぼ一周、ようやくからだが食べ物を受け付けるほどに回復、無性にモスバーガーが食べたく、空港の滑走路近くのモスバーガーにしけこむ。ところが席は満席でしばらく立ってまたされる羽目となった。小さい子ども連れが殆どとはいえ、沖縄でここまでファーストフードが人気あるとは…。肥満が増加して長寿日本一の座から陥落した理由の一端を見てしまう思いがした。

滑走路の近くにはフルスト原遺跡がある。この遺跡の存在で石垣空港の拡張が難しいのかもしれないが、1500年、八重山の英雄オヤケアカハチが立てこもって首里王府に対する反乱を起こした城だ。反乱征討軍の先鋒は宮古の仲宗根氏だという。この城跡は周辺の道が整備されておらず、容易に近づく事ができない。フルスト原遺跡碑もやっとの思いで探し当てたが、城に上っていく道など全く見あたらなかった。少し離れたところからは石塁がよく見えたがどうやって近づけばよいのか全くわからなかった。遺跡付近の海岸近くには最近建てられたオヤケアカハチの銅像と更に海寄りの公園内にはオヤケアカハチの碑があった。民衆の安寧のために中央に反旗を翻したアテルイをはじめとする地方の英雄に光が当てられるのは喜ばしい傾向だ。

レンタカー返却時刻までまだ2時間近くある。日本最南端の鍾乳洞だという石垣島鍾乳洞に向かう。石筍の数日本一とのことでなかなか見所が多い。迷路のように通路が入り組んでいて日によって順路を変更する事も可能なようだ。イルミネーションを施してしまう演出は少しやりすぎのような気もする。入場料は\1050。石垣島最後の締めは八重山平和祈念館と具志堅用高記念館。八重山平和祈念館は戦争マラリアに関する展示で当然、波照間島の事も載っていた。次回、石垣を訪れる際の目的地は最南端の島、波照間となるだろう。その事前学習になった。台風24号の強風域にはいるかという時刻に無事、石垣空港を離陸。那覇ではどうしても洋食が食べたく、ヒレステーキとミーバイのセット。すっかり、郷土料理からは離れてしまった。

2004.10.25 Mon

(レンタカー)
那覇空港14:25−ANA128便−東京国際空港16:45
羽田空港16:53京急空港線急行−品川着17:14
品川発17:17(山手線外回り)−新宿着17:37
新宿発18:00特急あずさ29号−上諏訪着20:31


最終日もレンタカーを予約してあるがあまり欲張るつもりはない。朝マックをすませてからレンタカー営業所へ。まず、ひめゆりの塔へ向かい、9時を待ってひめゆり平和祈念資料館に入館。犠牲者の写真がずらり。看護している兵士の悪罵の台詞に戦争の愚かさをつくづく感じた。続いて沖縄平和祈念公園の資料館を狙ったが、月曜は定休日。次こそは休業日をしっかり確かめてから来よう。ただ、目をひく白い塔、平和祈念堂は開館していた。塔の下に仏像が鎮座、はるか頭上に星が輝き荘厳な雰囲気。修学旅行生が持ってきた千羽鶴がずらりと並べてあった。外に出て美術館ものぞいていく。特別、平和をモチーフにはしていないが、沖縄の風景を初めとして心落ち着く絵画が多い。

今回の沖縄本島での最大の目的地は、世界遺産の識名園。これで琉球王国のグスク及び関連遺跡群の登録物件がコンプリートとなるのだ。行きがけに豊見城城跡に立ち寄ろうとたくらむが、その途中に偶然、南山城跡を発見。三山鼎立時代、その一角を占めた国の城としては壮大さに欠けるが偶然訪れる事ができた幸運に感謝。肝腎の豊見城城は鎖が張ってあって車を乗り入れる事ができなかった。さほど執着していなかったので、大本命の識名園へと急ぐ。この日は台風から吹き込む湿った風の為、高温多湿状態でかなりの不快指数。植栽も熱帯植物のため、ジャングルの中に迷い込んだ気分だ。きれいな水の湧く育徳泉を過ぎると芝生の庭園が広がり雰囲気が一変。御殿(うどぅん)、六角堂、石橋と王家別邸の庭園らしい佇まいだ。

最後の目的地として浦添城を選定。中山王国の中心で「琉球の風」時代の尚寧王(大河ドラマでは沢田研二が演じていた。)の墓陵、浦添ようどれもある。大戦時の爆撃で破壊されわずかに石積などが残るだけの城のはずだったが、大規模な復元工事が行われていて、浦添ようどれ付近は立ち入り禁止となっていた。ここも工事が完了したら訪れねばなるまい。余裕を持ってレンタカーを返却。空港に戻って昼食はA&Wのバーガー。初体験のルート・ビアはコーラよりましだったが、甘ったるくて薬くさい。余裕をかましていたら、保安検査場がかなりの混雑で、搭乗口に着いたらすぐに飛行機に乗り込めるというタイミング。今回も台風による予定変更を免れた幸運に感謝したい。

  航空機の旅・熊本2004へ