2005.1.28 Fri

上諏訪発18:59特急スーパーあずさ34号−新宿着21:05


私にとって航空機元年とも言える2004年は、飛行機を使った旅でのターゲットは九州と北海道に限られていた。今年はいよいよその殻を打ち破る年。2月に旬を迎えるというフルーツトマトを求めて高知を目指す事とした。今回の高知行きに先立ち、CCDのゴミ付着がいい加減気になってきたためD100をクリーニングに出し、D70をサブ機として\109800で購入。今回はそのデビュー戦だ。ジョギングシューズも新調し、すっかり定番となったスーパーあずさ34号で上京。






2005.1.29 Sat
新宿発5:46(山手線内回り)−品川着6:05
品川発6:08(京急本線急行)−6:29
東京国際空港8:35−ANA561便−高知龍馬空港10:05
(レンタカー)


羽田第2ターミナルの利用も二度目。前回と同じスープセットの朝食。早朝は開いている店が少なく選択肢はさほど多くない。いったん外に出てD70で撮り初め。D100に比べてズームレンズが広角側にシフトしていて第2ターミナルの写真が撮りやすい。余裕を持って搭乗手続きを済ますが、早速、リムジンバスでの連絡だ。第2ターミナルがオープンしてもさほど利便性が向上したように思えない。しかも滑走路が混雑していて離陸はかなり遅れた。静岡あたりはすっかり雲に覆われていたが紀伊半島あたりはすっきりと晴れている。室戸岬は灯台までくっきりと見えた。

日本で初めて人名を入れた高知龍馬空港に降り立ち早速レンタカーの手続きを済ませ出発。思った以上に雲が多く、2時間はかかってしまう室戸岬は取りやめ。まずは北川村の中岡慎太郎館を目指す。途中、浜口雄幸宅の表示があったが良くわからなかったのでパス。中岡慎太郎館はかなりの山の中にあった。展示では薩長同盟に奔走した功績を謳っていたが、やはり竜馬の方が主役というものだろう。レプリカとはいえ、近江屋の血しぶきの飛んだ屏風が展示されていたのは良かった。銅像、生家もしっかりチェックしておく。桂浜の竜馬像と向き合っているという室戸岬の慎太郎の像は又の楽しみにして、四国の小京都・安芸へと向かう。

安芸ではまず腹ごしらえ。地物の素材をそろえた定食。そして安芸城址に建つ安芸市立歴史民族資料館から。安芸氏は長曽我部元親土佐平定で征服される側なので元親をたたえるような展示はない。外に出て一通り安芸城をチェック。元親が内通者に毒を入れさせて城を落としたという毒井戸もあった。このあたりが元親の謀将のイメージの源となっていると言えよう。

安芸城からは、徒歩で武家屋敷などを見て回る。安芸市出身の童謡作曲家・弘田龍太郎の曲碑も各地に散在していて「しかられて」の碑だけはチェックしておいた。安芸のシンボルとも言える野良時計も勿論チェック。徒歩での散策の後は車で岩崎弥太郎生家へ。土蔵の鬼瓦には三菱のマークの元となった三階菱の紋。小さな庭園は弥太郎が少年時に日本列島を模して石を配したという。昨今の三菱自動車の不祥事の数々を創業者の弥太郎は大いに嘆いているに違いない。市の中心部にある銅像もしっかりチェックしておいた。

高知市内方面へと戻る道をたどる。成分献血受付締切の17時までには献血ルーム入りしなくてはならないので極端な寄り道はできない。3大鍾乳洞の龍河洞はパスして野市町の龍馬歴史館へ。ここの売りは龍馬33年の生涯を26場面で再現した180体にも及ぶろう人形。入場料\1050は少々高いが、ここは我慢。最初、長曽我部元親、山内一豊、山内容堂の三公が出迎えてくれた後は、坂本龍馬の誕生から死までが描かれていく。蝋人形ならではの気持ち悪さが遺憾なく発揮されていて、龍馬最愛の乙女姉さんはどう見ても般若の面のようですから。残念。

先の安芸城で199城。今回の旅に当たって記念すべき200城目は長宗我部氏の本拠、岡豊(おこう)城と決めていた。南国市の岡豊城址に建つ高知県立歴史民俗資料館を目指す。史料館より上の方に城跡は広がっていた。二の段、礎石跡と登って頂上が詰。更に進んで下ると三の段には土塁・石垣が残る。一旦、史料館に戻り、中の展示を見た後、少し離れた伝厩跡曲輪まで足を伸ばしてみた。この城を根拠地として元親は土佐七郡の平定を果たす。

最後に土佐一宮・土佐神社に立ち寄る。ここの地籍は一宮と書いて「いっく」と読む。JR四国の最寄り駅も「とさいっく」だ。拝殿、幣殿、本殿、鼓楼が重文に指定されている。元親が男児出生をこの一ノ宮に祈願し、長子信親の誕生で本山氏との戦いで焼けた社殿を再興したという。翌1月30日が旧暦の1月15日という事でどんど焼きの準備が行われていた。お守りは勿論購入する。

多少道は混んでいたが、何とか16時30分にははりまや橋付近にまでたどり着いた。駐車場にレンタカーを入れ、そそくさと献血ルーム・ハートピアやまももへと向かう。受付終了が近い事もあり、私が最終ドナー。この日は、結局、ずっと曇りがちの天気であったが、春のような暖かい陽気で、血管も比較的収縮せず、ノーミスで検査採血をしていただけた。勿論、本採血も問題なし。

献血を終えて、レンタカーを返却し、歩いて帯屋町アーケード街へと向かう。夕食はかつお寿司の盛り合わせに決めていた。またしても禁止されている献血直後の飲酒。土佐の日本酒を冷やで3種ほど頂いたが、どれも結構なお味だった。かつお寿司盛り合わせは、バッテラの一豊寿司とたたきの握り、刺身の握り、海苔巻きの4種。海苔巻きと刺身の握りには生ニンニクのスライス。正体不明(一応、穴子類の稚魚と言われる)のノレソレもつけてみた。土佐料理は個人的に大好き。

食後、ふらふらと高知城まで散歩に出かける。現存12天守の中で私の最もお気に入りの高知城。ライトアップされた姿をカメラに収めるのはこれが初めてである。高知での宿はすっかり定宿となっている帯屋町のサウナ。


2005.1.30 Sun


(レンタカー)
高知龍馬空港17:00−ANA568便−東京国際空港18:10
羽田空港発18:33(京急エアポート快特)−品川着18:50
品川発18:55(山手線外回り)−新宿着19:15
新宿発20:00特急スーパーあずさ33号−上諏訪着22:13


レンタカーは8時からなので、朝はゆっくり始動。しっかり朝風呂に入って、サウナに入って、久しぶりに体重を62kgまで落として、20分ほど歯磨きをして7時20分にサウナを出る。チョコクロとコーヒーの朝食をとってから日曜市へと足を向ける。今回の大きな目的の一つ、旬のフルーツトマトを手に入れるためだ。職場へのお土産もフルーツトマトにしようと思って思案していたら、試食を頂く。懐かしい濃厚な味。2003年9月に買ったフルーツトマトは凄く味が薄くてがっかりしたので、この味なら満足。思い切って\4000の箱入りをお土産に求めてしまった。自分が食べるようには一山\700のものを求める。満を持してレンタカーを借りる。前日と同じ車に引き続き乗る事に。

まずは、近くの地球33番地。かなり昔から狙っていたスポットだったのだが、ここは東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒という3が12個も並ぶ地点なのだ。このような地点が陸上のしかも人間が普通に生活している土地にあるというのはかなり珍しいらしい。江ノ口川の中にモニュメントが建つ。

前日の暖かさが嘘のようにかなり厳しい冷え込み。しかし、晴天には恵まれそうだ。青空の下の足摺岬にはかなり惹かれるものがあったのだが、゜週刊司馬遼太郎街道を行く」の創刊号、梼原街道を読んでしまって心はもう龍馬・脱藩の道に定まってしまっていた。高知市内から伊野ICへ向かい、須崎東ICまで高速利用。あとは国道197号・梼原街道をひたすら梼原に向かって車を走らせる。葉山村と東津野村は合併して津野町になっていた。旧東津野村の役場近くには天誅組の吉村虎太郎像がある。彼はここの出身なのだが、前日、天誅組の最後を綴った司馬遼太郎の人斬り以蔵に所収の「おお、大砲」を読み終えたばかりで何ともタイムリー。この銅像はかなりかっこいいのだが、高取城の大砲及び天誅組の間抜けさを小説で味わってしまった直後なので何ともイメージが合わなくて困ってしまう。

梼原町の役場を目指して梼原町立歴史民俗資料館に立ち寄るが何と閉まっている。10時を回っているというのに…。仕方ないので維新の門の銅像群へ。勤王の志士を金銭的に支援した掛橋和泉を中心に左側には那須真吾、吉村虎太郎ら。右側には沢村惣之丞、坂本龍馬、那須俊平。これら銅像の出来映えは非常に素晴らしいのだが、山道を延々と梼原までやってきて収穫がこれだけでは何とも悔しい。脱藩の道がなかなか見つからず、難渋したが、トンネルの上に梼原ゆかりの六志士の墓を発見。ここから集落の方へ下ると掛橋家。反対側へ脱藩の道をしばらく進むと那須父子の墓と那須父子邸跡。墓はともかく、邸跡は非常に目立たないところに碑が立っているのみ。坂本龍馬が高知城下から一昼夜、100kmを歩き通して那須父子宅に投宿した歴史ある場所としては扱いがあまりにも悲しいものがある。ここから、伊予境の峠を越えて龍馬は脱藩していくのだ。

197号を再び須崎へと戻る。既に時刻は11時。今から足摺に行ったのでは帰りの飛行機に間に合わなくなってしまう。須崎からは県道に入り、横浪黒潮ラインで快適なドライブ。素晴らしい海岸美を楽しめる。この道沿いには武市半平太像があるのでチェック。ここの駐車場からの景色はあまり良くない。正月にテレビ東京の10時間ドラマ「竜馬がゆく」を視聴し、「人斬り以蔵」を読んだ直後なので、以蔵を人間扱いしない武市半平太に対するイメージはかなり悪くなっている。

海岸沿いをトレースして高知市にはいると、長曽我部元親初陣の地がある。ここの元親の銅像はかなりかっこいい。ハルウララで一躍有名になった高知競馬場もここからほど近くにあるのだが、生憎この日は競馬開催がない。元親の菩提寺・第33番札所雪蹊寺もほど近く。前回、工事中だった本堂は竣工していた。ここのお目当ては長曽我部信親の墓。前回撮った写真はピンぼけだったが、冬枯れで光が差しているのでしっかりとした写真が撮れたのではないかと思う。更に桂浜に向かう途中の長曽我部元親の墓にも寄って改めて写真を撮っていく。

ここまで来たらたとえ駐車料金を取られようとも人気観光スポットの桂浜をはずすわけにはいかない。駐車場に向かう直前、浦戸城址碑があったので車を駐めてすかさずチェック。長曽我部元親が岡豊から大高坂(現高知城)に居城を移したものの水害で築城かなわず、浦戸に本拠を定めた。以降、関ヶ原後の改易まで10年間、長曽我部氏の本拠地となる城だ。城址碑の裏手では工事が行われていたが、少しは整備されるのだろうか。

桂浜駐車場に車を駐め、まずは昼食。当然の事ながら鰹のたたき定食。そして桂浜の散策。やはり坂本龍馬の銅像あっての桂浜だ。沖縄の美しい海をたっぷりと堪能してきている身としては桂浜くらいの美しさではもうおいそれと心は動かされない。坂本龍馬ゆかりの地という事で思い入れも持てるのだ。それでも今回は今まで足を伸ばす事のなかった竜王宮の上の方まで登ってみた。遙か彼方、室戸岬には中岡慎太郎の銅像が建っているのだ。来年こそ、岬めぐりを果たしたいと思っている。

初めて高知を訪れた時以来の五台山・竹林寺。よさこい節のかんざしを買った坊さん・純信ゆかりの寺である。\400払って重文の客殿と重文の仏像を多数安置する宝物館の拝観をしてみた。客殿から見る事のできる庭園は国の名勝に指定されたばかりだという。

残り時間から考えて龍河洞まで足を伸ばすのは難しそうという事で、最後はやっぱりお気に入りの高知城で締めとする。これで4回目の高知訪問で、高知城登閣は皆勤の4回目。しかし過去3回はすべて午前中で追手門からの天守の写真は撮りやすかったのだが、二の丸広場や本丸内からの天守の写真は逆光で非常に撮りにくかった。今回、初めて午後の高知城。ある程度満足のいく写真が撮れたと自負している。2006年大河ドラマを祝して山内一豊と、その妻の銅像はしっかり写真にとっておいた。直射日光が当たって今ひとつの写りだった板垣退助の写真も撮りなおしておいた。

高知城を満足行くまで堪能して帰路につく。16時ちょっと過ぎにレンタカー返却。帰りの飛行機はすべて定刻に運航され無事に羽田に到着。連絡バスではなかったが、降り口は一番はずれ。到着口まで延々と歩く羽目になった。これだったら、連絡バスの方が楽かもしれない。

新宿駅で軽く夕食をとる。最近では22時過ぎの帰着というのは例のない遅さだ。ジャスコのお客様感謝デーと言う事で帰りがけに食材の買い込みに勤しんだため、大河ドラマ義経はBS2でも全く見る事ができなかった。土曜の再放送、忘れずにみなくては。

帰宅後、写真を整理していて露出オーバーで白飛びしている写真の多さに愕然。D100と同じ感覚で液晶モニターの明るさを調整しておいたのが裏目に出てしまったのだ。早速標準に戻しておいた。しかし、AFの動作など、非常に機敏でD70の撮り心地は最高。広角寄りのズームもお城撮影に向いているし、このままだとクリーニングに出してあるD100の方がサブ機の座に転落してしまいそうだ。

  航空機の旅・波照間、与那国へ

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