2004.9.17 Fri

下諏訪発18:31(中央本線)−塩尻着18:46
塩尻発18:59特急ワイドビューしなの24号−名古屋着20:50
名古屋発20:58新幹線のぞみ149号−新大阪着21:49
新大阪発21:59新幹線ひかり387号−岡山着22:51
岡山発23:04快速マリンライナー71号−高松着0:15


先週の熊本から帰ってきてから、来月の三連休パスのグリーン席の確保のために奔走していたため、今回の四国行きは殆ど行き当たりばったり。入念にコースを組むことを殆どしていない。とりあえず、竣工なってオープンしたばかりの大洲城天守にさえ登れればよいと言ったところ。駐車場満車の危険性があるため、いつもの上諏訪駅ではなく最寄りの下諏訪駅からの旅立ちだ。往路はしなのとのぞみの指定席もとっていない。三連休前夜の自由席は当然のごとく乗車率100%を越えていてつらい旅路となる。新大阪からやっと席にありつけた。初めてのひかりレールスターの車両。マリンライナーも何とか座れた。各列車、微妙に遅れつつも接続には支障なく、日が変わったところで高松に到着。

2004.9.18 Sat

高松発7:05特急うずしお1号−徳島着8:13
徳島発8:44(徳島線)−鮎喰着8:55
鮎喰発10:45(徳島線)−徳島着10:53
徳島発11:10特急うずしお10号−高松着12:17
(レンタカー)
丸亀発17:08特急しおかぜ19号−松山着19:10


朝一番のうずしおで高松を出ると、血液センターにちょうど9時頃、到着する。6:30高松駅で松山行きのグリーン席を確保。駅のうどん屋は7:15からの営業なのでキオスクでパンを買って手軽に朝食を済ませてしまう。予定通り、ほぼ、9時に徳島県赤十字血液センターに到着したが、既に先客が3名ほど。問診や採血でやたら待たされて少しあせったが、今回もつつがなく献血終了。旅血と航空機の旅にはまって以来、まだ一度もトラブルには遭遇していない。この幸運はいったいいつまで続くのか。来月、いきなり台風とかち合ったりして。

徳島ではわずかな待ち時間に早めの昼食としてエビフライカレーを食べる。特急うずしおは横着を決め込んで自由席にしたが、高松行きはほぼ満席だった。それにしても献血だけで半日もかけてしまってせっかくの三連休、もったいないことはなはだしい。

高松からはレンタカー。現在読み進めている司馬遼太郎の「空海の風景」の冒頭に出てくる満濃池と空海生誕地の善通寺(結構駅から遠いのだ)にどうしても行きたくなりネットで予約しておいたのだ。行きがけの駄賃に讃岐一宮・田村神社と特別史跡・讃岐国分寺跡には寄っていく。国分寺資料館では思わず、ビデオまで見てしまった。大分画像は乱れていたが…。ここは塔跡や僧坊跡などの礎石がしっかりと残っていて国分寺跡としては最も史跡としての価値があるのではないだろうか。また、講堂跡に建てられた現国分寺は、四国霊場第80番札所でもある。

続いて満濃池。讃岐に五万箇所あるという溜池のひとつだが、溜池と呼ぶのがはばかられるほどの大きさだ。空海が改修しているとのこと。現在読み進めている「空海の風景」、天才空海と努力・誠実の人最澄との対比がおもしろい。さらに空海生誕の地といわれる善通寺。四国霊場75番札所で五重塔がかなり目をひく。四国を代表する寺だ。駅から遠いこともあってレンタカーの力を借りてようやく訪れることができた次第。観光客やお遍路さんが大勢たむろしていた。

ここから何を血迷ったか、高速を使って川之江城へ。いくら川之江改め四国中央市が香川県よりとはいえ、かなりの距離があった。登城せず、写真だけ撮って、丸亀駅へと戻る。勿論丸亀城によるゆとりもなく、約束の17時にレンタカー返却。後で知ったのだが、善通寺の隣の琴平町の金刀比羅宮で125年ぶりに奥書院が公開されていた。昨年訪れていたので全く眼中になかったのだが、なんとももったいない。

丸亀から、ようやく今回の旅・初めてのグリーン車利用。湯上がりの道後ビールを楽しみに必死に空腹に耐える。市電で道後温泉に直行すると道後温泉本館前は長蛇の列。入浴はあきらめて道後ビールにしけこむ。満席でかなり待たされた後、遅い夕食にようやくありつけた。坊ちゃんビールとマドンナビール、恒例の宇和島のジャコ天に城下町のハムサラダ、更に牛肉のコロッケにソーセージ盛り合わせと私としては非常にボリュームのある夕食となってしまったが、大満足。

2004.9.19 Sun

(市電、伊予鉄道)
松山発11:18特急しおかぜ16号−今治着11:56
今治発13:31特急しおかぜ9号−伊予大洲着14:51
伊予大洲発16:30特急宇和海18号−松山着17:10
(市電)

ローソンで軽く朝食を調達し、始発の市電で道後温泉へと向かう。この日は1dayチケットを利用することとした。150円均一料金の松山の市電だが、2回分の300円で一日乗り放題というのは非常に良心的だ。大街道のあたりはひっきりなしに市電が行き交っているので、非常に利用しがいがあると思う。

道後温泉本館は既に朝風呂に入る客でにぎわっていたが、皇族専用浴場の又新殿の見学者は少ない。撮影禁止部分をしっかりと隅々まで説明していただいた後、坊ちゃんの間にも足を伸ばす。3階角の部屋だ。外に出て裏手に回り、又新殿を外から撮影した後、伊佐爾波神社へとむかった。135段程度の石段だったが、汗まみれになってしまった。楼門をはじめ、回廊に囲まれた社殿は皆、重文に指定されている。石段を下りて子規博物館の脇から道後公園へ。ここは、河野氏の居城・湯築城、中世の城郭跡だ。外堀、内堀の土塁や側溝などの遺構が残り、建物なども復元されてきれいに整備されている。歴史資料の展示もされているが、午前9時からと言うことでまたの機会に。

まだ、早朝。天気予報に反して青空が広がっていたが、灰色の雲が広がってきた。市電で松山市駅に向かい伊予鉄道で梅津寺へ。ねらいは「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟の銅像だ。ところがこれが何の表示もなく、探しにくい。そうこうしているうちにかなりの雨が降ってきた。梅津寺は見つけたが、その境内には何もない。結局、1日1000円という梅津寺パークの駐車場のわきにあり、駐車場からだったらあっという間にたどり着けるのであった。まず、兄の秋山好古像。思ったより小さい。そこからかなり上ったところに日本海海戦勝利の立役者、弟の秋山真之像。白塗りの砲弾はかなり悪趣味だ。レンタカーを借りて1000円もの駐車料金を取られていたら泣くに泣けないところだった。キャンセルしておいて本当に良かった。伊予鉄道往復の700円でももったいないという感じ。松山市は3年前のるるぶでは坂の上の雲を中心として町作りをすすめているとのことだったが、全くそんな気配すら感じられなかった。道後温泉にあれだけの観光客が集まるのだからそんな気にならないのかもしれないが…。

松山市駅に戻ると雨が上がっていた。すぐ近くの子規堂へ。正岡子規の勉強部屋などが残っている。野球殿堂入りしている正岡子規であるので子規と野球の碑も要チェックだ。そして市電で子規と漱石が50日ほど同居していたという愚陀仏庵へ。その前に萬翠荘にも寄ってみたが、展示の入れ替えのようで何も飾ってなかった。ここで、愛媛県美術館で印象派の巨匠展が行われていることを知り、急遽赴くこととする。その前に昨年パスした愚陀仏庵の茶席へ。抹茶ではなく、煎茶だったが、玉露のとてもおいしいお茶だった。アミノ酸の旨味が効いていた。

愛媛県美術館の展覧会はよくよく見ると、印象派と西洋絵画の巨匠展。東京富士美術館のコレクションで、印象派はその中の一部。どうも私は印象派に弱いのだが、印象派だけでかい文字で目立たせているのは誇大広告だと思うぞ。モネの睡蓮は一枚しかないし、セザンヌの作品も一枚だけ。ルノアールはそこそこあったけど…。まあ、1000円という入場料相応の内容か。結局、図録1800円を買ってしまったのでかなり高く付いてしまったのだが。

松山駅で早めの昼食。ジャコ天ぶっかけうどん。目の前でお手軽に作られている様子を見ていてさほど味は期待していなかったが、うどんにしっかりコシがあるしかなりの味。450円でこの味なら大満足だ。この日乗る列車はすべてグリーン席を確保。まずは今治。三大水城の今治城目当て。駅から1.5kmほど離れていて往復3km歩かなくてはならない。広々とした堀に櫓や天守閣が映え、三大水城の中では一番美しい佇まいだと思う。天守最上階から、来島海峡大橋が望める眺望も抜群。ただ、天守や櫓の内部はごちゃごちゃとたくさんの展示があり、ちょっと興ざめ。天守閣を歴史博物館として性格づけたのは大坂城が奔りのようだが、正直言っていい加減食傷気味だ。量で攻められると中に貴重な展示があったとしても埋もれてしまうではないか。もし、どうしても展示をしたいならば量より質を追求してほしい。

今治からは松山の先まで直通のしおかぜ9号。4年前に乗ったときはピンクのアンパンマン列車だったが、今回はバイキンマン列車だった。今治でもよく歩いたが、伊予大洲駅から大洲城まではもっと遠い。肘川から大洲城天守の勇姿がよく見える。白壁だと新築間際は白く輝きすぎて周囲の景観から浮いてしまいがちだが、黒壁の天守は落ち着きがある。肘川をわたって川沿いを城に向かって進み、重文の苧綿櫓をチェックしていよいよ待望の天守閣へ。さすがに大勢の観光客でにぎわっていた。重文の高欄櫓、台所櫓と連結されている。入口は台所櫓。高欄櫓に上って大洲の街並を俯瞰。天守1階は天守建造や復元に関する展示。後はよけいな展示は一切ない。天守最上階の窓が小さく、眺望を堪能するというわけに行かず、風通しが悪くて蒸し暑いのには閉口したが、これも忠実な復元を心がけた故なのだから、我慢するしかないだろう。予想以上のすばらしいできに大満足だ。更に一足のばして大洲城最古の建物遺構、重文の南隅櫓もチェックしたがこちらは学校のグランドの一角に建っていてあまりロケーションがよろしくない。

あとは大洲のレトロな街並を楽しもうと明治の家並やおはなはん通りを目指したが、愛媛街並博2004が開催されていて細い路地まで多くの車が入り込んできていた。予定の列車まで時間のゆとりもなくそそくさと引き上げてしまったが、大洲城オープンとあわせ、しばらくは大洲の観光は好調を維持できそうだ。

松山への帰りの列車もバイキンマン。車窓から、ぼっちゃんスタジアムがよく見える。ここには正岡子規の句碑やミュージアムもあるようなので今度松山に来るときにはチェックしたいものだ。18時前のまだ明るいうちに道後温泉に到着したので、温泉で汗を流す。10km以上歩いて疲れた身体をしばし休めた。夕食は二日続けて道後ビール。せんざんき、地だこの天ぷらに鰯のすり身揚げとビール3種。ビールをちびちびやりながらパソコンで写真の整理をしていたら突然、文字入力に異常が。キーボードの上にジョッキから水滴がしたたり落ちていた。

2004.9.20 Mon

(市電)
松山発6:49特急宇和海1号−宇和島着8:12
宇和島発10:41特急宇和海10号−松山着12:03
松山発12:15特急しおかぜ18号−児島着14:37
児島発14:53快速マリンライナー38号−岡山着15:15
岡山発16:07新幹線のぞみ22号−名古屋着17:45
名古屋発18:00特急ワイドビューしなの23号−塩尻着19:49
塩尻発19:54(中央本線)−下諏訪着20:08


前日に続いてローソンで朝食を調達。始発のJR松山駅行きの市電に乗り、前夜、不調を来したVAIO-Uのチェック。なんとキーボード入力が全くできなくなっていた。購入以来、2年以上、旅の友として本当に酷使してきてしまった。修理か、買いかえか悩むところだ。来月の3連休までには結論を出したいところ。

この日は全く欲張らず、宇和島だけで良しとした。金刀比羅宮の125年ぶり奥書院の公開に未練は残っているが、無理はしない。特急宇和海の車窓からは、肱川河畔に復元なった大洲城天守も楽しむことができた。蒸し暑い日が続いているこの連休だが、最終日の宇和島もやはり暑い。まずは和霊神社にむかう。宇和島藩草創期の忠臣で凶刃に倒れた山家清兵衛が祭神。大鳥居は石造りでは日本一という。

汗をかかないよう、セーブしつつ歩いたが、宇和島城に向かう途中で滝のような汗が噴き出した。この三日間、いったい、どれだけの汗をかいただろう。毎日、500mlのペットボトルを4本はあけていた。トイレにはさほど行っていない。宇和島城登城の坂で更に汗を流し続けた。長らく続いていた石垣の工事はようやく一段落したようだ。三ノ門跡の石段の写真は今回初めて撮影できた。決して派手な天守閣ではないが、さすがに現存天守としての風格があり、個人的にはかなり好きな城。今年で3年連続の訪問だ。この5年間(2000年以降)で4回も訪れている。姫路城等の3回を押さえ、堂々のトップだ。ただ、午前中は逆光になって写真が撮りにくいのでできれば午後に訪れたいもの。

今回は城ばかりでなく、少し歩いて宇和島東高校はす向かいの伊達博物館にも寄ってみる。初めて訪れた4年前はまだ、司馬遼太郎にはまる前だったので、伊達宗城の銅像になんか見向きもしなかったのだが…。花神をはじめとする幕末ものを読了している現在、幕末の四賢侯に数えられる彼のウエートは私にとってかなり重くなってきている。歴代藩主の具足も展示されているが、宗城のものをやはり探してしまった。今となっては秀吉の肖像画のレプリカなんておまけみたいなものだ。更に今回は宇和島藩第7代藩主、伊達宗紀が退隠の場所として大改造したという天赦園にも寄ってみる。ごく普通のきれいな庭園。宗紀(むねただ)は宗城(むねなり)の一代前の藩主で100歳という長命を保ったという。2人の肖像画は、宇和島城天守の1階に掲げられていた。

最後に宇和島名物のじゃこ天をお土産に買って帰路についた。松山で改札を出、前日気に入ったじゃこ天ぶっかけうどんを昼食として購入、グリーン席で優雅にいただいた。岡山での乗り継ぎ時間があまりにあるので、新幹線コンコースの喫茶でアイスクリームを食べしばし休憩。あとはひたすら読書にいそしんだ。「空海の風景」読了は目前だ。

  鉄道の旅・京都、肥前へ