2005.1.14 Fri

上諏訪発19:46(中央本線)−塩尻着20:05
塩尻発20:32特急ワイドビューしなの26号−名古屋着22:23
名古屋発22:32新幹線のぞみ157号−京都着23:08


2004年の年末、念願の沖縄での献血を果たし、2005年の抜き初めはどこで果たそうか思案していた。2005年は、一気に47都道府県での献血完遂をかける年なので慎重に選びたいところ。雪で水を差されたくないので鉄道を利用したい。そうこうしているうちに大河ドラマ「義経」の第一回の放映。一ノ谷の合戦のシーンを見てインスピレーションが走り、神戸の三宮ルームをターゲットに。京阪神ゾーンの周遊きっぷを使って、長年行きたいと思っていた鞍馬寺にも行けるではないか。早速きっぷを調達。前泊は京都。

2005.1.15 Sat

京都発7:06スーパーはくと1号−三ノ宮着7:56
三ノ宮発7:58(東海道本線)−須磨着8:12
須磨浦公園発8:55(山陽電気鉄道本線)−須磨寺着9:04
須磨発9:49(山陽本線)−元町着10:00
元町発13:30(東海道本線)−三ノ宮着13:32
三ノ宮発13:34特急スーパーはくと6号−大阪着13:51
大阪発13:55(関空快速)−鳳着14:26
鳳発15:00(阪和線)−東羽衣着15:03
   ◇阪和線完全乗車
羽衣発15:10(南海線)−住吉大社着15:34
住吉大社発16:11(南海線)−難波着16:21
JR難波発17:57(関西本線)−今宮着17:59
今宮発18:01(大阪環状線)−大阪着18:16


周遊きっぷのお得感を味わうために朝一番のスーパーはくとにあわせて始動。朝食はラーメン。三ノ宮で乗り継いで須磨駅に降り立つ。天気予報どおりの曇天。午後は雨の予報なのですばやく回ってしまおう。まず歩いて一の谷の古戦場である須磨浦公園へ。戦の浜の碑と敦盛塚を狙っていたのだが、みどりの塔の脇に阪神淡路大震災で落っこちた石の地球儀が震災モニュメントとして残されていた。みどりの塔の周囲もひび割れなど地震で大分破壊を受けたようだ。明後日で阪神淡路大震災から10年の歳月が経過したことになる。本当は義経が騎馬で駆け下りたという鉄拐山の写真なども撮りたかったのだが、手頃な撮影スポットがなかったのでやめてしまった。

須磨浦公園から須磨寺までは山陽電鉄を利用。須磨寺では日曜から月曜にかけて阪神淡路大震災の24時間法要が行われる模様。この寺の参道を進むとまず、傍らに源平の庭園と称して平敦盛と熊谷直実の銅像があった。石段を登ると弁慶の鐘。鐘楼にある物はレプリカでオリジナルは無料の宝物館の中。肝腎の敦盛のものと伝わる青葉の笛は見る事ができなかった。義経の腰掛松もわからずじまい。敦盛の首洗池と首塚は確認できた。

献血ルームオープンの時刻が迫ってきたので徒歩で須磨駅へ向かい元町へ。三宮センタープラザ献血ルームを探す。建物の中には全然表示がなかったのだが、アーケード街からは目立つ表示があった。今まで私が献血を行ったスポットの中では最大級の規模。朝食が早すぎるのでと言う事でクロワッサンを頂いて食す。無事413回目の献血完了。これで27県目。残り20県だ。

昼食は旧居留地のレストランでと決めていた。雰囲気の良い佇まいの38番館はパスして重要文化財の15番館を選択。旧居留地で唯一残る建築だが、震災で全壊したという。修復のため外観は結構新しく感じたが、内装はなかなか歴史を感じる素晴らしい雰囲気だ。かなり昼食に張り込んでしまったが、満足のいく食事となった。雨がぽつぽつ落ちてきたので、お向かいの神戸市立博物館にしけこもうと思ったら、1月15日のみの休館で断念。

坂本竜馬、勝海舟にゆかりの海軍操練所跡記念碑、海軍営之碑もチェックし電車の車窓から石垣が見え城跡に違いないとにらんだ花隈公園へとむかう。予想通り花隈城跡だった。現在読み進めている「宇喜多秀家 備前物語」の荒木村重離反のくだりでしばしば登場する城。これが198城目。

ついにかなりの雨が落ちてきてしまった。大阪は2つの一宮、大鳥神社と住吉神社だけを巡る。大鳥神社から住吉神社に向かうときに東羽衣支線に乗り、阪和線完乗を果たす。住吉神社は4つの本殿を持ち、第一、第二、第三の三つの本殿は縦に並び、第三と第四は並列している。

せっかくの南海線なので、難波まで乗り、大阪球場跡地に建つなんばパークスに行ってみる。パークスタワーに展望台がないのがちょっと残念。曲線を多用したユニークなデザインのショッピングモールだ。もう、ここで夕飯をとる気満々である。7階までのぼっていくと、突き当たりに南海ホークスメモリアルギャラリーがあった。きっと意図的だとは思うが、野村克也の名前はどこにもなかった。

大阪ヌードルシティ〜浪速麺だらけ〜をひやかしてプリン博覧会でお土産用のプリンを買い込んで結局食事はお気に入りのオムレツ屋・ポムの樹を選択。食後、JR難波駅まで延々と歩き(同じ駅名をつけるのは詐欺だ。あまりに離れすぎている。)、大阪駅まで。梅田のヨドバシカメラでウインドーショッピングに勤しむつもりが、ついうっかり、250Gのハードディスクを買ってしまった。(一番安い物ではなく、少し高めの物を買ったら、新しすぎて私のパソコンにはそのままでは使えない事が帰ってきてから判明してがっくり。)

2005.1.16 Sun

大阪発7:12特急サンダーバード1号−京都着7:37
京都発7:47(奈良線)−東福寺着7:49
東福寺発8:00(京阪本線)−出町柳着8:17
出町柳発8:30(叡山電鉄鞍馬線)−鞍馬着9:00
鞍馬発10:35(叡山電鉄鞍馬線)−宝ヶ池着10:55
宝ヶ池発11:01(叡山電鉄叡山本線)−八瀬比叡山口着11:06
(叡山ケーブル、比叡ロープウェイ、坂本ケーブル)
坂本発14:22(京阪石山坂本線)−別所着14:34
別所発15:56(京阪石山坂本線)−浜大津着16:00
浜大津発16:02(京阪京津線)−三条京阪着16:24
三条発16:32(京阪本線準急)−東福寺着16:39
東福寺発16:42(奈良線)−京都着16:44
京都発16:56のぞみ140号−名古屋着17:35
名古屋発18:00ワイドビューしなの23号−塩尻着19:49
塩尻発19:54(中央本線)−上諏訪着20:13


9時に鞍馬寺に着けばよいのでゆとりを持った始動。朝食は駅できつねうどん。麺にコシがなく少し不満。周遊きっぷを有効利用するため、ここでも始発の特急を使ってしまう。先月、修学院離宮に行ったとき利用した叡山電鉄、今回は初めて鞍馬線を終点まで乗り通した。駅を出るとすぐに巨大な天狗の面が迎えてくれる。

鞍馬寺は今年の大河ドラマの義経が幼少時に預けられた義経ゆかりの寺であるが、実は高校3年の時に後輩から修学旅行のお土産として\800のお守りをもらって、ずっと行きたいと思い続けていた寺なのだ。24年、干支が2周してようやく、念願が叶う。ここまでのびてしまったのはやはり山奥深くにある寺故、半日を費やしてしまう事が原因だ。見所の多い京都に行って一つの寺だけで半日を使ってしまうのはかなり勇気がいる。今回は大河ドラマに後押ししてもらった格好である。

天気予報は期待できなかったのだが、予想外の青空が広がっていた。しかし、かなり寒く、予想通りとはいえ、そこここに雪も残っている。仁王門をくぐって拝観料を払うと由岐神社が見えてくる。ここの割拝殿は鞍馬寺唯一の重文建造物である。その少し先には義経供養塔。義経が7歳から10年間住んだという東光坊の跡である。九十九折の参道を進み、金堂が近づくと、朱色も鮮やかな転法輪堂。丈六阿弥陀如来像が鎮座する。本殿金堂の左側の光明心殿には翼の生えた護法魔王尊。

ここから更に奥の院を目指す。途中の霊宝殿にはたくさんの国宝があるので期待していたのだが、冬期間は閉館という事で、残念。奥州に下る牛若丸が名残を惜しんで背を比べた背比べ石の向かい側には木の根が浮き出た木の根道。牛若丸が兵法の稽古をした場所だという。義経を遮那王尊として祀る義経堂を過ぎるとようやく奥の院魔王殿。ここまでの長い道すがら、誰にも行き会う事はなかったのだが、ここには先客がいた。

帰りは多宝塔に寄っていきたくて敢えてケーブルを利用。一台のケーブルが2分で上り下りする短いケーブルだ。次の目的地は弁慶ゆかりの比叡山延暦寺。鞍馬駅に着くと今にも列車が発車するところ。切符も買わずに乗り込み、宝ヶ池で乗り継ぐ際に運転手に八瀬比叡山口までの運賃を支払う。叡山ケーブルの発車まではしばし時間があったので近くでワラビ餅を食べてみる。その場で作っていただいたようで、暖かいワラビ餅を食べるのは生まれて初めてだ。ケーブルに乗る際、比叡山頂は雪が積もっているとの不吉なお言葉を頂く。ロープウェーの比叡駅からは見事な雪景色が望めた。比叡山頂からは2kmを上回る雪中行となる。前回ここを歩いたときは霧の中だったが、晴れ渡っていて見通しが良かったのが救いだった。

途中、前回は霧のため立ち寄らなかった西塔へと折れていく。 好天のため前日に杉木立に降り積もった雪が融けてしずくを垂らし、雨が降っているようだった。浄土院の裏手には伝教大師・最澄廟があるのだが、生憎修復中。靴をびしょぬれにして更に進むと重文の常行堂と法華堂。その間を抜けると坂の下にこれまた重文の法華堂が姿を現す。杉木立の中の堂宇は非常に趣深い。

来た道を戻って、改めて東塔へと向かう。拝観料を支払って、まずは国宝殿。数多くの重文の仏像のほか、伝教大師直筆の国宝・天台法華宗年分縁起も展示されていた。重文の戒壇院、大講堂と回ると圧倒的迫力の国宝・根本中堂。雪の季節に雪の降る地域へ赴くのは極力避けてきた私だが、雪の中の古寺の佇まいもなかなか味わい深い物だと思う。13時を回っていい加減、腹が減ってきたのでここで昼食をとる事にする。比叡そばは朝食に続いてコシのない麺類の食事となってしまった。せめて冷凍麺ならそこそこの味に収まるのに。昼食をとったため、坂本ケーブルの待ち時間が25分にもなってしまった。坂本の町に降りて、国宝の日吉大社などすべてパスして、これまた弁慶ゆかりの引き摺り鐘がある三井寺へと向かう。

通称三井寺の正式名は園城寺。仁王門をくぐり拝観料を支払う。国宝の金堂の前には見慣れないリング。メビウスの輪のように面がねじれているこの作品はインド政府の要請で制作され、10月までここに安置された後、ブッダガヤに送られるという。金堂の斜め前には有名な三井の晩鐘。平等院、神護寺と並んで天下の三銘鍾と称されている。金堂横の閼伽井屋からは水の湧き出る怪しげな音が響き、その裏手には弁慶の引き摺り鐘が鎮座している。比叡山との争いで弁慶が比叡山に持ち帰ったところ、撞くと「イノーイノー(去のう)」と鳴ったので弁慶が怒って谷に捨ててしまったという。三重の塔も重文で見所の多い寺だ。西国14番札所の観音堂から石段を下ると目の前には琵琶湖疎水。

少し離れたところには三井寺最古の遺構、国宝の新羅善神堂がある。八幡太郎義家の弟、義光はここで元服したため、新羅三郎義光と呼ばれる。源義家が奥州征伐(蝦夷の側からはこういう表現は許せないのだが…)に苦労した際、新羅三郎が駆けつけた涙の対面場面が、司馬遼太郎の「義経」では頼朝義経涙の会見場面と比されている。近くには新羅三郎義光の墓もある。

最後に京の五条の弁慶・牛若丸像をチェックしたいと思って京阪本線経由で帰途についたが、全く時間が足りなくなり断念してしまった。義経ツアーをきっちりと飾れなかった悔いが残る。   

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