2007.10.14 Sun


2007年下半期最大の仕事が前日に片付いたものの、日曜も早朝から諏訪湖の湖岸清掃という所用がある。この日はmixiの「お城めぐりをしようコミュ」の第9回全国一斉お城の日だというのに残念な限り。前回、第8回は道東に飛んでいて北海道の国盗りに成功したのだが、今回は近場をちまちま回るしかないので余計な色気は出さず、行きたい城にだけ行くことにする。予定より、早く清掃が終了したのがせめてもの救い。

まずは、大河ドラマ「風林火山」でも情けなく描かれていた信濃守護・小笠原長時の居城、林城へと向かう。ETC通勤割引で岡谷IC−塩尻IC間を利用。ガソリンを補給して農免道路を辿り、林城へと直行した。林城は小城と大城があるが案内表示が確かで遺構もかなりありそうな大城へ。本郭を取り巻く帯曲輪や本郭の土塁、そして僅かではあるが石垣も残っていた。これだけの城を今までノーチェックだったのはお恥ずかしい限り。

林城から国宝・松本城へはさほど時間はかからない。既に開城の時間は過ぎているので有料駐車場に車を駐め、早速城内へと向かう。4年ぶりの訪城だが、入場料は600円に上がっていた。100名城と国宝四城のスタンプは売店の中に一緒においてあったので両方ともゲット。それから国宝の天守閣へと乗り込んだ。小天守から大天守へ。生憎の天気で北アルプスは見えなかったが、僅かでも青空がのぞき、日が指しているだけで少しは心が晴れる。月見櫓は化粧直しを終えたばかりのようでこれはラッキーだった。帰路は二の丸御殿跡を通り、土塁の丑寅櫓跡もチェックできた。

続いて、これも100名城の高遠城。松本ICから伊那ICまで高速を利用。伊那ICからも10km以上はある。池波正太郎の大河小説、「真田太平記」はこの高遠城からスタートするのだ。丁度読み進めていた「戦国幻想曲」の最初の方にも信長の武田攻めが描かれていて高遠城が登場する。高遠落城に際して19歳で壮絶な最期を遂げた武田信玄の五男、仁科五郎盛信は長野県歌「信濃の国」に歌われているが、名前が信盛と間違っているところが情けない。それに長野県出身者と称して良いものかかなり疑問が残るし作詞者が南信出身故で全県を公平に俯瞰できていたとはとても言い難い。真田幸村の方が絶対に全国的なネームバリューは上ですから。何はともあれ、高遠城。三大桜名所の1つで桜の時期の喧噪しか知らない私にとって緑に包まれた静かな城跡は新鮮だった。桜の時期には500円を取る入場料も必要ない。100名城のスタンプは無事ゲット。

高遠には諏訪御料人・「風林火山」に於ける由布姫の墓が建福寺にあるのでこれだけはチェックしていくことにする。なにしろ、この日放送の「風林火山」で由布姫はお亡くなりになってしまうのだから。墓は駐車場の目の前にあった。高遠藩初代藩主・保科正光(保科正之の養父)、その父正直の墓、そして諏訪御料人の墓の順に並んでいた。

時刻は既に正午を回っているので、ミスタードーナツで軽く昼食。そして伊那ICから中央道で一気に岐阜県にはいる。中津川ICで降りて目指すは苗木城。国の史跡ということで目をつけていたのだ。まずは苗木遠山資料館でお勉強。城を築いたのは苗木遠山家で織田、武田と縁戚関係を結んで勢力を広げたという。:結構珍しい廃仏毀釈の展示を始め、一通り展示を見てから、いざ城跡へ。最初に現れてくる大矢倉跡の石垣からもう圧倒されてしまった。自然の大岩を生かして組み上げられた堅固な石垣は他の城では余り見られないもの。本丸の方は更に雄大な岩が石垣と見事に調和していた。天守の柱梁復元部は展望台にもなっていて木曽川の眺めが素晴らしい。国の史跡に指定されている城の中でもかなり魅力的な部類にはいる城だと思う。

中津川有料道路、中央道と惜しげもなく有料道路を使って次に目指すは岩村城。三大山城の1つで勿論、100名城にも選ばれている。織田信長の叔母が城主だったこともあり、「女城主」という名の日本酒の幟がそこここに立てられていた。この日は日本100名城選定記念音楽祭 霧ヶ城というイベントが開催されていて出丸に車を着けることはできない。まずはスタンプをゲットするため岩村歴史資料館へ。女城主に関する展示が無く今ひとつ興味が持てないが一応、展示はさらっと見ておいた。

満を持して登城にかかる。本丸までの道のりは800m。平地ではないのできつさは十分承知しているが、岩村城を越えるきつい山城攻略を幾つか経験してきている身としてはさほど不安はない。過去、ノーチェックだった菱櫓跡などのポイントや見どころの六段壁を落ちなく押さえ、本丸へ。記念音楽祭会場の出丸を見下ろしてみるとなかなかの盛況ぶりがうかがえた。城さえ見ることができればよい私はそそくさと下城。重要伝統的建造物群保存地区の町並みはパスして明智へと向かう。

明智光秀の出身地という説もある旧明智町は既に恵那市に合併されている。(因みに旧岩村町も恵那市になっている。)取りあえず標識に従って明智城に到着。標柱の建つ本丸まで足を伸ばしてみた。別名・白鷹城と呼ばれる山城だが、案内板には悉く大正村のロゴが入っているので、この城は大正村の一部なのだろうかと勘ぐってしまった。

せっかくなので駐車料金を支払って大正村にも寄っていくことにする。大正村というテーマパークがあるわけでなく、町内に大正テイストの建造物が点在している感じなのだ。大正村のステーションと言うべき浪漫亭からスタートして、大正路地を通り、大正村役場へ。更に絵画館など無料のスポットだけをつまみ食いして明智光秀の供養塔があるという龍護寺まで足を伸ばしてみた。明智光秀生誕地という小さな碑は経っていたが、肝腎の供養塔は修復中で拝めずじまいだった。こうなるとそのうち再訪することになるわけだから、無理して大正村を隈無く見て歩く必要はなくなってしまう。無料の元郵便局、逓信資料館だけ見て大正村をあとにした。

高速を使ってあわてて帰ることも無かろうと帰路は県道33号と国道418号というなかなかの酷道を辿って平谷村に出、あとはかつて通い慣れた国道153号で飯田に出ると云ったルートをとった。飯田市山本のあたりでは三遠南信道の工事が進められていたが、開通は何時になるのだろう。飯田ICから岡谷ICまではETC通勤割引。ちょっぴり不完全燃焼の日帰りドライブを無事、終えることができた。


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