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2007.5.3 Thu
ゴールデンウイーク後半の4連休。最終日に所用があり、愛車も帰ってこず、ガソリンも大幅値上げとあって家でおとなしくしていることに決めていた。ところが、前日、愛車カルディナの修理が完了して手元に戻ってきてしまう。ガソリンは急激な値上げがすぐには反映されないSAで入れることにしていともたやすくドライブに出かけることを決意。行き先は2006年に訪れることのなかった福井県。午前3時に出発。岡谷ICから高速に乗って恵那山トンネルをくぐるのは2006年7月以来、10ヶ月ぶりだ。恵那峡SAで給油。リッター131円は4月の長野県より安い。
中央道、名神と進み米原JCTから北陸道へ。敦賀ICで降りて向かうは国史跡の金ヶ崎城。2006年大河ドラマ「功名が辻」の幟がまだ立っていた。15分ほどで回れてしまうはずなのだが、月見御殿跡付近が本丸だったと気がつかず、本丸を求めて城戸跡を次々と越え、結局、天筒山山頂にまでたどり着いてしまった。ここも天筒山城跡なのでまあいいか。金ヶ崎城と天筒山城は一体となっており、南北朝期には新田義貞の敗退、戦国期には信長の朝倉攻めと合戦の場となっている。天筒山からは三大松原の気比の松原を眼下に望むことができた。こうして俯瞰してみると三大松原の中では一番規模が小さいことがよくわかる。
城を下り、麓の越前一宮・気比神宮に立ち寄ってから、気比の松原にも立ち寄った。規模は小さくともゴミだらけの三保の松原や、雑草だらけの虹ノ松原と違い、砂浜が美しい。砂浜に下り立って松原を楽しむのならば気比の松原が一番だ。
ここからは国道27号で若狭路を進み小浜市の国宝・明通寺を目指す。4連休初日とあって混雑が心配されたが、道路も寺も混雑はなかった。2003年以来の明通寺。この時期、NikonD100で撮影した木造塔は殆どが露出アンダーなので悉く撮り直しをしたいところだ。今回は好天と言うこともあり少し露出オーバー気味。本堂ではたった一人で説明を聞かせて頂くという贅沢を味わった。蝦夷征伐を終え敵味方の慰霊のために坂ノ上田村麻呂が創建した明通寺は私にとって聖地の1つである。
小浜市には国史跡の後瀬山城があるのだが、所在地がわからなかったので、情報が得られれば幸いと若狭歴史民俗資料館に立ち寄ることにした。期待通り、後瀬山城の地図上の位置と写真を確認することができた。後瀬山城へ赴く前に天守台の残る小浜城に立ち寄る。事前に見ていた写真ではなかなかいい感じの佇まいだったのだが、天守台の間際までびっしりと住宅が建ち並んでいて興ざめすること甚だしい。小浜のモスバーガーで昼食。その近くの公園には杉田玄白顕彰碑があった。てっきり銅像も杉田玄白かと思ったら、こちらは安政の大獄で獄死した梅田雲浜。
そして向かった後瀬山城は登城口が見つからず、周辺をさんざん徘徊した後、山容だけを写真に収めて撤退する仕儀となってしまった。国史跡となっていても現地での案内表示があるとは限らないのだから、下調べはきちんと行っておくべきだったが、出発10時間前に決定したドライブなのでそれは無理というもの。
小浜では多少、車の流れが滞ったがつつがなく敦賀に戻ることが出来、敦賀ICから北陸道利用。今庄ICで下りて向かったのはこれまた国史跡の杣山城。こちらは案内表示があり迷うことは全くなかった。山城なのでそれなりの時間がかかることは覚悟していたが、文殊堂にたどり着いたところで半分くらい制したつもりになっていたのは大甘だった。途中に本丸まで1kmの表示を見て愕然となる。800mの岩村城だってかなり厳しいというのに。こちらは更に急峻でもある。蛇も潜んでいるようだが、目にしたのは幸いカナヘビだけだった。西御殿跡経由で50分ほどかけて山頂にたどり着いた。年配の方々のグループが先着されていたが、Tシャツにカメラ片手という出で立ちは失笑を買ってしまったようだ。瓜生氏の築城による城で朝倉氏に攻められた時の落城悲話が残る。帰路は犬戻駒返経由。鉄製の梯子を下る更に急峻な崖。軽装を笑われてしまうのも無理はない。かなりの大回りにもなる道で杣山城攻略には正味1時間半もかかってしまった。ろくろく休憩もとっていないので脚がけだるくて仕方ない。
この後は武生(合併で越前市となっている。)の城跡を二つ。小丸城はそれなりに土塁や堀跡が残っているが府中城は越前市役所に城址碑が残るのみ。佐々成政築城の小丸城、前田利家築城の府中城はともに2002年大河ドラマ「利家とまつ」に出てきて今でも記憶に残る城だ。
少し雲がかかってきたようなので少し迷ったが、此所まで来たら越前海岸にも足を伸ばすことにする。一番の見どころがどこになるのかよくわからなかったが、とりあえず越前岬まで車を進めて越前岬水仙ランドに入っていった。水仙の花期はとっくに過ぎていたが、清掃協力金300円を払ってどんどん道を上っていく。越前岬灯台から更に上、眺望の丘まで登りつめてしまった。海は少し霞がかかっているようで絶景とまではいかない。ハーブ館で心地よい香りに包まれた後、越前町自然文学資料館にも立ち寄った。水上勉にはかなり興味があるのでそのうち著書を手に取ってみようと思う。
水仙ランドの後は少しずつ海岸の奇勝をチェックしつつ車を進めていく。越前岬の呼鳥門は越前海岸随一の有名スポットなのだと思うが、夕刻では逆光となってしまい、写真撮影は難しい。弁慶の洗濯板では本当に弁慶が洗濯をしたのだという。鉾島は東尋坊と同様の柱状節理が見物。
道路は至ってスムーズなのでこのまま海岸を北上していけば楽に東尋坊に行けてしまいそう。17時をまわってしまったが、東尋坊に到着。夕日を狙っている観光客が多くまだ賑わっていた。いつも早朝に訪れていて払っていなかった駐車料金を支払って岩場へ。ほとんどの人が踏み込まない岩の上にも冒険して歩を進めてみた。自己責任ということで無粋な柵や立ち入り禁止の立て札などがないところは東尋坊の良いところ。
すっかり夕刻となっているが、あと一箇所、丸岡藩砲台跡にも駆けつけた。ここも国の史跡。案内表示が丁寧に示されているので迷うことなくたどり着くことができた。幕府の命で1852年、黒船来航の前年に築かれた砲台はほぼ完全な形で現在にまで伝わっているという。とっても良い雰囲気のスポット。日本の城に掲載されているスポットでもあるのでお城ファンにはお薦めしておきたい。近くの遊歩道沿いにはウラシマソウの群落もあった。生まれて初めて実物を見たので思わず撮影。
夕食はまともなものをとも思ったが、スーパーの軽食コーナーでお好み焼きを買ってすませてしまう。予期せぬ出費が続いているのでどうしても倹約に奔ってしまうのだ。宿もたった1000円のサウナ。ハードな山城攻略でだるさの残る足を労って早めに就寝する。
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2007.5.4 Fri
前日、早めに休んだので4時過ぎには目が覚めてしまう。ゆっくり朝風呂に入って6時過ぎに朝マック。ゆっくり朝食を摂ってから、丸岡城へと赴いた。勿論、早朝では天守閣内にはいることはできないが、人がいないので写真が撮りやすいし、何より順光なのがよい。日中は逆光になることが多くなかなか写真が撮りにくい城なのだ。重要文化財の天守は福井地震で倒壊したのち、古材80%以上を以って再建された現存天守で、犬山城より古い現存最古の天守である。柴田勝家の養子、柴田勝豊の築城。
丸岡からは県境を越えて石川県加賀市へ。ここには大聖寺城跡があるのでちょこっと立ち寄っていくことにする。一応、公園として整備されていて二の丸にはアスレチックの遊具なんぞがあったりするのだが、管理・維持の手が全く入っている気配がない。雑草が生い茂っていて訪れる人もあまりいないようだ。廃城後はお止め山として長らく入山が禁止され、貴重な動植物が多く見られるというが、長居は無用だ。
加賀ICからETC通勤割引で高速利用。そして尼御前SAで給油。リッター124円は破格だ。小松ICで下りて、今まで全く訪れることのできなかった安宅の関へと向かう。2005年大河ドラマ「義経」ゆかりの地だ。2005年、2006年と2年連続で福井県を訪れることができず、「義経」終了からずいぶんと時間が経ってしまった。まずは、安宅住吉神社にて、説明を聞きお守りも購入。義経一行の故事に因んで難関突破の御利益があるという。特別、難関にチャレンジする予定はないが、お守りのコレクションもしているのではずせない。安宅の関碑や勧進帳の場面の銅像を一通りチェックして、勧進帳ものがたり館にも立ち寄っていく。歌舞伎「勧進帳」シアターで勧進帳のダイジェストビデオを楽しみ歌舞伎の衣装やほら貝などのアイテムも拝見することができた。
小松高校の敷地内に天守台がある小松城もかつて訪れたことがあるが寄っていく。前田利常の隠居城として修築されたあとは、一国一城令の例外として明治まで存続する城だが、天守台前に東日本では珍しいシロバナタンポポを見つけることができたのはラッキーだった。
次に目指すはセットで国史跡に指定されている鳥越城と二曲(ふとげ)城。ロードマップに載っていない二曲城の情報を得るため、まずは鳥越一向一揆歴史館へ。まずは映像シアターでお勉強。富樫政親の相続時の内紛など、初耳の内容も多くとてもためになった。本願寺の戦略に賛同することはできないけれども、「百姓の持ちたる国」が現出した事実は保守的な島国においてはものすごく貴重で価値あることのように感じ続けている。鳥越城と二曲城の立体模型地図で場所を確認していざ、二曲城へ。多少の困苦は覚悟していたが、前日の杣山城のしんどさを経験した後なので楽なもの。あっさり頂上にたどり着いた。大日川の対岸には鳥越城が遠望できる。この両城は加賀一向一揆の拠点で柴田勝家による攻略まで戦いの日々の舞台であったのだ。
鳥越城は二曲城より規模は大きいが車で山上まで行くことができるので更に楽。中世山城にふさわしい城門や板塀の復興がなされている。快適な公園のように整備されているので訪れる人も後を絶たない。鳥越城からは勿論、二曲城を望むことができる。林の中にある三の丸をはじめ、各曲輪をくまなくまわって鳥越城を堪能した。
ゴールデンウイークの金沢はかなりの混雑だろうと予想していたが、昼食をとりたかったので素直に国道8号に出てしまう。それなりに車が多い。意を決して回転寿司店に入ってみるものの、待ち時間70分にあえなく退散。前日に続いて粗食の1日となりそうだ。国道8号は渋滞にまではなっていないものの車がずっと続いている状態。倶利伽羅峠に向かう道に入ってやっと流れが良くなった。
倶利伽羅峠の古戦場は6年前の人間ドックの折りに訪れている。あの時は心身共に疲労困憊していて心電図と胃カメラと血糖値、3つも引っかかってしまっていた。あのようなことはもう二度と御免だ。とりあえず、倶利伽羅不動尊へと行ってみる。不動明王はきっちり拝ませてもらったが、おいしそうな桜餅に目がとまり思わず購入。これを昼食としてしまう。栄養バランスなど何も考えていない。
大河ドラマ「義経」では壮大な火牛の計のシーンを期待していたのだが、完全に肩すかしを食らってしまった。源平慰霊碑、古戦場碑、本陣碑などが点在しているが、ここで一番目立っているのはやっぱり火牛の像。そしてずっと下っていったところに木曽義仲の愛妾、巴御前、葵御前の墓である巴塚と葵塚がある。「義経」では小池栄子が巴御前をやっていたが、倶利伽羅峠で戦死したという葵御前は出てこなかったのではないかと思う。
もう既に帰路についているという趣で国道359号を東へ向かうと砺波市。チューリップで有名なこの市ではちょうど「となみチューリップフェア」が開催されている。すんなり駐車場に入れるようだったら寄っていこうかとも思ったが、大分、会場からは遠いようなのであっさり断念。それよりも富山県で最も行きたいと思っていたスポットに直行することを選んだ。行き先は立山町の落差日本一を誇る称名の滝。
チューリップフェアの駐車場を過ぎれば後はスムーズそのもの。15:40称名の滝の駐車場に到着。このあたりは高さ500mの悪城の壁と呼ばれる断崖がずっと続いている。そして車の中から既にハンノキの滝は見えていた。季節限定で春から6月下旬にかけて現われる落差500mの影の日本一。駐車場からは1.3kmの道のり。緩やかな上り坂だが山城攻略で鍛えられている私にとっては平地を行くようなもの。他の人々をどんどん追い抜いて橋にたどり着く。滝の轟音も霧状の飛沫もともに楽しめる。曇っていた空が晴れてきて日が差すと美しい虹まで現われた。とりあえず滝見台まで登ってみる。虹は橋の上からがよいようだ。落差日本一の滝が織りなす巨大なV字は圧巻の一言。この感動はどう言葉に表して良いのかわからない。とりあえず私の中では袋田の滝に代えて称名の滝を三大名瀑に入れたいという想いで一杯だ。帰りがけ、売店で絵葉書とTシャツを購入。
称名の滝ですっかり満たされてしまったのでこざかしい城めぐりなどは一切せず、立山ICから北陸道に乗って帰路につく。有磯海SAで給油してさらにETC通勤割引だ。糸魚川からは国道148号、147号。長い下道を経て豊科ICから岡谷ICまで長野道。無事の帰着となって3ヶ月ぶりのドライブは満足のいく内容で終えることができた。 |
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ドライブ・甲武2007へ
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