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| 2007.4.7 Sat 上諏訪発6:18 長野発8:11 新井発9:40 新潟発15:45 新津発16:07 ◇磐越西線完全乗車
最後に2日分残った2007年春の青春18きっぷ。献血と乗鉄を目的として新潟をターゲットとした。妙高、くびきのと乗り継げば新潟到着時刻は土日きっぷで上越新幹線利用の時とさほど変わらない。長野県から新潟へは青春18きっぷで行くに限るのだ。長野行きの普通列車で篠ノ井線を北上。姨捨からの日本三大車窓は生憎、霧の川中島となっていた。 長野駅で妙高1号に乗り換える。かつて信越線の特急あさまに使われていた懐かしの車両だ。愛称がついているものの純然たる各駅停車の列車である。黒姫駅あたりからは北信五岳の斑尾山、黒姫山、更に進むと妙高山の美しい姿が車窓から楽しめる。妙高山が後方に去るとスイッチバック駅の二本木。なかなか楽しみが多い路線であるが、2014年頃、北陸新幹線が開通するとJRから経営分離されることは必定。青春18きっぷで利用できるのもあと7年ほどなのだ。それまでに十分楽しんでおきたいものである。 直江津駅での乗り換え時間の間に駅弁を調達。サザエに抵抗があったのだが衝動で浜やきめしを購入。快速くびきのの座席を確保して11時頃昼食に。決して私が好きではないサザエ、ホタルイカ、タコ、エビと言った海の幸がてんこ盛りなのだが、素晴らしく味がよい。醤油を使わず出汁で炊きあげたというご飯もおいしく950円という値段は駅弁としては非常にコストパフォーマンスが高いと思う。車窓からは青く美しい日本海が望める至福の時。小学校6年の時の臨海学校は笠島下車だった。柏崎を過ぎると信越本線は内陸部に入ってしまいあまり車窓を楽しむわけには行かなくなってしまう。それでも特急の車両を利用している快速列車は快適で定刻に新潟駅に到着。 新潟市には「ばんだいゆとりろ」と「東堀」の二つの献血ルームが存在するが、日本海側最大と噂されるできたばかりのゆとりろが閉鎖されることはないだろうと駅から遠い東堀献血ルームへと足を伸ばした。日本最長の河川・信濃川にかかる萬代橋を渡って暫く行くとお目当ての献血ルームがすぐに見つかった。古株の東堀献血ルームだが、明るくきれいでベッドの数も多い。ここが閉鎖される心配はしなくて良さそうだ。昼食から戻った医師の問診を経てすぐに採血。今年2度目の血小板成分で採血機はトリマ。採血に時間がかかるのでこの機械はあまり好きではない。1998年3月から110ヶ月連続献血の記録達成。 1週間前の天気予報が嘘のような晴天が広がっている中、重文の萬代橋をチェックして向かうはレインボータワー。全日本タワー協議会に加盟はしていないものの100mの高さを誇る観光タワーに登らない手はない。採算がなかなかとれず廃業に追い込まれることの多い回転昇降式のタワーだが、新潟市が政令指定都市になった記念の割引料金で予想以上に賑わっていた。眺望も期待以上のもの。眼下に信濃川と萬代橋。遠くに朱鷺メッセそして日本海。反対側には弥彦山も望むことができた。レインボータワーからの眺望を十分に楽しんでから新潟駅へ。駅ビルで夕食用にコシヒカリのおにぎりを購入。そして純米大吟醸の久保田萬寿をお土産に。すべてSuicaでの支払いだ。だいぶ残高が減ってしまったのですかさずチャージもしておく。信越本線で新津駅へと戻り、磐越西線に乗り換え。ここから会津若松までは初めて乗車する区間だ。米所新潟の田園風景に暫く接したあとは阿賀野川沿いの谷間に入っていく。水力発電のダムが連なる電源地帯。福島県にはいると徐々に暮色が深まっていく。喜多方に到着した時は既に真っ暗。既に車内でおにぎりを平らげていたものの小腹が空いていたので喜多方でラーメンを食べていくという手もあったのだが、素直に会津若松まで乗り通した。大学時代に郡山から会津若松までは乗車済みなのでこれで磐越西線完乗を達成。駅から歩いて健康ランドに投宿。 |
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| 2007.4.8 Sun 会津若松発6:00 ◇只見線完全乗車 小出発12:02 越後川口発13:01 戸狩野沢温泉発15:09 北飯山発16:44 ◇飯山線完全乗車 長野発18:04 この日はmixiの「お城めぐりしよう!」コミュニティの第七回全国一斉お城の日となっている。せっかく会津若松に泊をとったのだから鶴ヶ城へ行きたいところなのだが、今回は只見線の完乗を優先。セブンイレブンで朝食を調達して只見線の始発列車に乗り込んだ。全線を通して走る列車は日に3往復のみ。片道の所要が4時間超というなかなか完乗のハードルが高い路線であるが、青春18きっぷの期間ということで2両編成のほぼ全てのボックスが只見線完乗を目指す鉄道マニアで埋まっているという盛況ぶりだった。しばらくは会津盆地ののどかな田園風景が広がる。遠くの山には雪も見えていた。 只見川に沿って走るようになるとすぐに谷間に分け入っていくようになる。そして磐越西線と同様、ダムとダム湖が連なる一大電源地帯を現出しているのだ。本数の少ない只見線では列車交換は殆どないだろうとたかをくくっていたが、会津若松−会津川口間はそれなりに列車の本数があるので、会津坂下、会津宮下、会津川口で列車交換があった。勿論、期待通りのタブレット交換が行われている。ただ、久留里線に比べると駅員がダッシュで走り去るなど今ひとつ、演出効果には欠けるようだ。ちなみに会津坂下は「あいづばんげ」と読む。高校生の時に「あいづさかした」と読んでクラスメートに間違いを指摘された記憶がある。会津川口の前ではかなりの降雨があったが、すぐに雨は上がり、青空も覗いてきた。いくつもの橋脚で只見川を縫って走るので、車窓は見飽きることがない。只見が近づくと残雪が多くなりちょっとした冬景色に。新潟県に抜けてもしばらくは雪景色が続いたが、小出付近では全く雪は残っていなかった。列車交換の待ち時間にはプラットホームに降りたって写真を撮ることもできるし、車窓もかなり楽しめたため、4時間を超える列車の旅にもさほど退屈することはなかった。 小出駅ではかなりの待ち時間があるので、るるぶでお薦めのラーメン店へと向かって早お昼を摂ることにした。商店街にはほとんど歩行者がなく車だけが走っていて不安がよぎる。駐車場のない店は案の定、閉まっていてもう一軒も見つからずじまい。やむなく駅からはかなり遠いが、昼時には行列もできるという店を目指すことにした。歩くこと30分、お目当ての店は難なく見つかる。11時を回ったばかりで開店間際だというのにかなりの席が埋まっている。なるほど人気の店のようだ。思わずメンマラーメンにしてしまったが、具は海苔とメンマとネギのみ。失敗したかと思ったが、メンマのほのかな甘みとスープの味が非常に合っていてとてもおいしかった。個人的にはもう少し麺が固めの方が好み。そしてサイズは大・中・小の中を選んだのだが、私には少々、量が多かった。 小出駅から越後川口まで上越線に乗車。次は飯山線の完乗を目指す。長い待ち時間を読書で過ごして飯山線に乗車。飯山線は日本一長い信濃川に沿って走っている。十日町までは人家も多く取り立てて風光を愛でる車窓ではない。十日町を過ぎて一度、信濃川を渡ると後はひたすら川の左岸を走り続けるのだ。只見線に比べると車窓からの風景は単調な感じ。そして信濃川は長野県にはいると千曲川と呼ばれるようになる。 戸狩野沢温泉駅で乗り換えて飯山へ。島崎藤村に雪国の小京都と言われた仏壇の町だ。ここでやっと城攻めができる。まずは駅の近くの真宗寺へ。島崎藤村の破戒に出てくる蓮華寺のモデルとなった寺だ。境内に破戒の碑が建っている。飯山大火の折りに伽藍の殆どを焼失してしまったが、経堂だけは焼け残り往時の名残をとどめている。線路を渡るとすぐに見えるのが西敬寺。親鸞上人ゆかりの寺とのことだが、つまびらかなことはわからない。その西敬寺を回り込んで坂を登っていくと正受庵がある。萱葺の本堂は殆ど民家の佇まい。名僧正受老人修行の庵とのことだ。正受老人は松代城主・真田信之の庶子だという。そして明治の廃仏毀釈で廃寺となってしまった所を山岡鉄舟らの尽力で復興されたのだそうだ。 寺の町飯山にはまだまだ数多くの寺があるのでこのあたりで寺巡りを切り上げる。仏壇通りは雪国に特有の雁木の修景がなされている。仏壇通りを抜けて線路を渡りようやくお目当ての飯山城に到着。 飯山城は上杉謙信の信濃進出、川中島出陣の拠点となる重要な城。大河ドラマ「風林火山」ゆかりの城と言って良い。丘に登りかけるとすぐに目に飛び込んでくる城門はいかにもとってつけた感じで城跡になじんでおらず趣きに欠ける。そのまま、進むと石垣が現われ二ノ丸から本丸に入り込んでみた。城跡につきものの神社があるのはご愛敬。本丸、二ノ丸からは眼下に千曲川の流れを望むことができる。せっかくの全国一斉お城の日であるがとりあえず今回は1城のみの攻略で終了。長居をすると帰着時間が遅くなってしまうのでこの辺で帰路につくこととする。飯山城最寄りの北飯山駅から再び飯山線へ。飯山駅付近からは何度か乗車したことのある区間なので見慣れた風景だ。これで飯山線の完乗も達成。豊野駅で信越本線に合流し、巨大なラウンドトリップのループを閉じることができた。 長野駅の待ち合わせ時間にマクドナルドにて夕食。三大車窓の姨捨駅付近はすっかり闇の中。上諏訪帰着は20時を回っており、大河ドラマ「風林火山」は録画したものを視聴した。 |
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