|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2008.1.25 Fri (高速バス) 2007年5月以来、久しぶりの超割利用。航空機の旅を一ヶ月に2回というのは勿論初めてだ。2月、3月には航空機利用の予定はないため、今回はあずさの回数券ではなく、高速バスを利用。金曜の勤務を終え、ギリギリ間に合うといった感じ。岡谷駅から乗り込んだのは私一人だったが、徐々に席は埋まっていった。残雪の影響もあってか、国道20号はかなりの渋滞。ただでさえ時間がかかる高速バス、新宿までの所要は優に4時間を超えていた。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2008.1.26 Sat 新宿発4:42 品川発5:26 東京国際空港6:55−ANA619便−鹿児島空港8:50 (レンタカー) 暗い中の出立、朝食は羽田空港にてマイセンのヒレカツサンド。サントリーによる買収のニュースを聞き、思わず、手を出してしまった。定刻通りの順調なフライトだったが、鹿児島空港着陸の間際に強烈な頭痛、眼痛に苛まれる。 レンタカーを借り受け、営業所のすぐ隣の西郷公園へ。人物像では日本一の大きさを謳う西郷隆盛像をチェックして、カーナビを人吉城にセット、高速を使って一気に人吉に向かった。まずは、スタンプをゲットするため、市役所近くの人吉城歴史館へ。100名城のスタンプをお願いするとスタンプラリーを開始して初めて、記帳を求められた。此所の前に訪れた城とこの後訪れる城も書く趣向になっている。私の場合、前が岡山城、後は鹿児島城の予定だ。私より前の記録を見るとやはり熊本城とからめるパターンが多そう。私は本丸御殿の公開まで、ひたすら熊本城は封印し続ける。歴史館の展示は城主やジオラマなど定番ものが主体だが、相良氏は700年の長きにわたる城主だし、ジオラマは液晶画面と連動していてちょっとハイテク。そして此所の売りは何と言っても今でも水が湧き続ける井戸を持つ地下室遺構の見学ができることだ。祭祀に使われたらしいが詳らかなことはわからないらしい。 歴史館を出て木造で復元された多聞櫓の中も覗いていく。2004年に訪れたときは台風18号の被害を受けた後で長塀の漆喰が無惨にはげていたが、すっかり修復されていた。ここからようやく本丸を目指すが、その前に林鹿寺にある勝海舟揮毫の西南戦争・戦死之碑をチェック。人吉城も西南戦争の故地であるのだ。歴史の舞台となった城は100名城選定においてかなりのアドバンテージがあったと思われる。しかし人吉城は三の丸、二の丸に続く石垣も見事で、この石垣の存在だけでも100名城に選ばれる価値はある。 人吉には西郷隆盛の位牌もあったりするが今回は割愛、代信寺にもある西南戦争の戦死之碑のみをチェックするのみにとどめた。何しろ、この日はなかなか移動距離が長くて時間にゆとりがないのだ。次に目指すのは熊本との県境に位置する鹿児島県出水市。大河ドラマ「篤姫」の紀行で紹介されたと言うこともあるが、出水麓という重要伝統的建造物群保存地区に指定されている武家町は以前から狙っていたのだ。篤姫の紀行に後押しされた格好である。 紀行に出てきた御仮屋門は出水小学校の校門になっている。ここからスタートし山ア休憩所まで足を伸ばして武家屋敷の通りを一巡り。冴えない曇天であるが、こういう渋い町並みは曇天の方が相応しいし写真もとりやすい。公開武家屋敷の竹添家には勿論立ち寄っていく。無料で公開されていてとても良心的。 Joyfulにて昼食をとってから、少し離れているが紀行に出てきた野間之関跡にも足を伸ばす。この関を越えて篤姫が江戸に赴き、二度と故郷の地を踏むことがなかったということで出水は薩摩に於ける篤姫最後の滞留地と云うことになるようだ。そしてこれまた紀行に出てきた木牟礼城。塚のような小丘の上に城址碑が建っているだけなのであるが、守護島津氏の家臣が常駐し、島津氏三州支配の基礎となる城なのだそうだ。 薩摩の北端・出水市から一転、今度は薩摩の南端・指宿市を目指す。篤姫の実家、今和泉家別邸は絶対に外せない所だが、とりあえず、いぶすき篤姫館には足を伸ばしておきたい。120kmもの道のりを殆ど一般道で南下するのだから少し無謀な移動といえた。小松帯刀ゆかりの日置市など後ろ髪をひかれつつパス。15:30、いぶすき篤姫館のあるふれあいプラザなのはな館に到着した。 いくら何でもたくさんの車がありすぎだと思ったらいぶすき菜の花マーチが開催されていた。そういえば沖縄でポスターを見た覚えがある。このマーチのおかげでいぶすき篤姫館の入館料は100円引きの300円に。しかし、期待していた内容は300円でも高いと感じる程度のものだった。遠路駆けつけた甲斐がない。 気を取り直して薩摩今和泉へ。ここは篤姫ゆかりの地の中でもトップクラスの中心地。篤姫ゆかりの地めぐり専用に用意された駐車場に車を駐め、まずは今和泉島津家墓地へと向かう。初代忠郷をはじめ、篤姫の父・島津忠剛、兄・忠冬の墓が隣り合わせで並んでいた(忠剛の墓は写真の右)。散策ルートに従って今度は海岸沿いへ。今和泉島津家別館跡は石垣のみが残っている。屋敷跡となる今和泉小学校には井戸と手水鉢が残ると言うが、井戸だけを拝ませてもらった。海岸の四阿脇にレプリカの手水鉢があった。 まだ、十分に明るいのでもう少し欲張っても良かったのだが、雨が落ちてきたので鹿児島市内へと向かう。1時間以上も予定より早くレンタカーを返却し、駅ビルにて夕食。お気に入りとなった芋焼酎のお湯割りはしっかり頂いてしまった。割引券を使ったらサウナでの一泊は何と1200円に。 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2008.1.27 Sun (鹿児島市電) (空港直通バス) 鹿児島空港14:15−ANA626便−東京国際空港15:50 羽田空港発16:03 品川発16:26 (高速バス) 駅前のJoyfulにて朝食。まだ、薄暗い内に市電で鹿児島駅へと向かう。駅からは徒歩で石橋記念公園へ。大河ドラマ「篤姫」のロケで多用される石橋の西田橋を取りあえずチェックしておいた。この祇園之洲周辺で今までノーチェックだった物件が、東郷平八郎の銅像。ちょっとした山の上に立っているのでなかなか足を伸ばせずにいたのだ。2008年の大河ドラマには関係ないが、時間にゆとりのある今回、足を伸ばしておくことにした。徳利に似た台座の上に立つ銅像は記念艦三笠の前の銅像に比べるとちょっとしょぼく感じてしまう。少し下がった所には墓もあった。この小高い丘陵は東福寺城という城跡で島津氏が初めて鹿児島に進出した際の根拠地だったという。
次は完全に篤姫ゆかりの地、今和泉島津家本邸跡である。薩摩今和泉の別邸同様、石垣が残るのみ。南洲墓地はパスし、更に歩を進めて弾痕の残る私学校跡の石垣の前を進むと鶴丸城へとたどり着く。100名城では鹿児島城となっているが、鶴丸城の方が自分はしっくりと来る。黎明館の開館まではまだ時間があるので近くの銅像を漁ることとした。手始めは軍服姿の西郷隆盛像。2007年5月にもチェックしているが、定番と言うことで。そして大河ドラマ「篤姫」で大きな扱いを受けている小松帯刀像。これまた2007年5月にチェック済みなので今回は上半身アップの写真にしてみた。照国神社は島津斉彬を祭神としているだけあって拝殿の横手に銅像がある。お由羅の子、久光はかなり奥まった所。久光の子、斉彬のあとを継いだ最後の薩摩藩主、忠義の銅像は一番通りに近い。ここまでチェックして、ようやく9時近くなったので、黎明館へと向かった。100名城のスタンプを無事、ゲット。学研の付録のスタンプ帳の最終ページがこれで埋まった。 歴史資料センター黎明館は、鹿児島の先史から中世、戦国、幕末維新期と歴史を網羅しており非常に見応えがある。前日訪れた出水麓のジオラマや山城の志布志城そして鶴丸城などかなり大規模なものが作られており、ビジュアル面も充実している。何度見ても大久保利通の使っていた水色の洗面器とポマードは印象的だ。人物展示では当然の如く天璋院篤姫が加わっていたが、扱いは思ったほど大きくはない。彼女は幕府方の人間という捉えられ方をされているのかも知れない。企画展の「島津家一門家の雅と由緒」も篤姫の今和泉家でなく重富家なのでさらりと見て回るにとどめた。 今回は交通費を倹約してドルフィンポートへも歩いて向かってしまう。篤姫館の入館料はいぶすきより当然高く500円。大河ドラマで使われた小物などは定番でいぶすきにもあったが、大奥再現エントランスを始め、セットの再現などもあってなかなかゴージャス。2007年の江戸東京博物館の特別展「江戸城」を彷彿とさせるようなハイビジョンシアターも楽しめた。ここで上映された「美をまとう 衣装でつづる大奥歳時記」を見ていれば、「大徳川展」はもっと細かい所まで楽しめただろう。 篤姫ゆかりの地として仙厳園にはかなり魅力を感じたが、市街地からかなり離れているので泣く泣く断念。お気に入りの鹿児島ラーメンを早お昼として食べるため、天文館へと向かった。これも徒歩。二度目に食べたときには初回の鮮烈さを感じなかったのだが、今回は期待通りの味を楽しめた。鹿児島中央駅に戻るにあたってようやく、市電を利用。最後に私が最も気に入っているお土産、かるかんを調達してからバスで空港へと向かった。 実は帰りの飛行機の時間を確かめていなかったのだが、出発の2時間も前に空港に到着。こんなにゆとりがあるのならば、楽々仙厳園には行けたと思う。ちょっと悔いは残ったが、写真の整理などをし、読書(津本陽の巨眼の男)に勤しんで搭乗時間を待った。順調なフライトで心配された高速バスの時間にも楽々間に合った。夕食としてパンを調達するゆとりが持てて助かった。 満席の2台の高速バス、3時間半の走行後、終点の岡谷駅に降り立ったのは私一人。岡谷からの高速バスの利用は本当に少ない。録画しておいた篤姫を見るとこの日の放送の紀行に仙厳園が登場。まんまと臍をかむ結果となってしまった。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||
|
|