2012.1.1 Sun

岡谷発7:00(中央本線)−立川着10:25
立川発10:30(青海線快速)−西国分寺着10:35
西国分寺発10:46(武蔵野線)−新座着11:01
北朝霞発12:45(武蔵野線)−越谷レイクタウン着13:09
越谷レイクタウン発15:45(武蔵野線)−南浦和着16:00
南浦和発16:01(京浜東北線)−品川着16:48
品川発16:56(京王本線エアポート快特)−羽田空港国内線ターミナル着17:13

東京国際空港20:00−ANA139便−那覇空港22:45
那覇空港発23:00(ゆいレール)−県庁前着23:12
2012年スタートの日、当初は那覇に辿り着くだけの一日だったのだが、越谷レイクタウン献血ルームで元日の献血の予約が取れたことで状況が急変。急遽、航空便の変更をかける。献血が午後2時ということで、アプローチの際に初詣を企図、武蔵野線沿線の新座にある平林寺に赴くことにした。2011年に読了した中村彰彦の「知恵伊豆に聞け」の主人公、松平伊豆守信綱の菩提寺なのである。境内に入るだけで500円が必要なのには驚いたが、おかげで雑踏とは無縁の閑かな初詣が楽しめた。二病息災を願ったあと、広々とした境内を散策して信綱の墓所へ。途中、島原の乱供養塔があったが、島原の乱鎮圧も松平信綱の功績の一つである。また明暦の大火に対する見事な処置は、民主党政権に見習ってほしいものがある。野火止用水開鑿のゆかりでこの地に平林寺が移され松平信綱の墓所となったようである。

ゆとりを持って越谷レイクタウンに向かったが、あまりの広さに辟易。人生初めての元日献血は無事終了といいたいところだが、献血の最中に震度3の地震が発生というこれまた人生初めてのハプニング。鳥島370kmの深さの震源でマグニチュード7.0というのだからかなりの規模の地震である。越谷の周辺にも震度4の都市が広く分布していた。幸い、交通機関に大きな乱れはなく、予定通りに沖縄入りを果たすことができた。

2012.1.2 Mon

(レンタカー)
那覇空港発17:50−ANA1779−宮古空港着18:45

週間予報では芳しくない状態が続いていたが、この日の予報は晴れ。曇天の多い年末年始の沖縄には珍しい青空が広がっている。レンタカーを借り受けて高速もフルに使い一気にアプローチしたのは日本100名城の今帰仁城である。青空の下で今帰仁城を拝むことができるのは2003年12月以来。それだけでもうれしくなってしまうところについに志慶真門郭の整備が完了して初めて志慶真門郭に立ち入ることまでできた。初めて見る志慶真門郭からの今帰仁城の眺めを堪能した。今回の旅に携行している春風亭昇太師匠の著書「城歩きのススメ」に城壁という表現があったが、日本の城には城壁という表現はそぐわないように感じている。しかし今帰仁城の蛇のようにくねった石垣はまさしく城壁と呼ぶにふさわしい。個人的にはミニ万里の長城と呼んでいる。

今帰仁城まで足を伸ばしたからには首里城と並ぶ沖縄本島随一の人気観光地、美ら海水族館にも寄っていきたくなるのが人情。2003年12月に初めて訪れて以来の再訪で当時のデジカメD100ではピンボケの写真しか撮れなかったジンベイザメの写真にも期待してしまう。干支に因むタツノオトシゴがお出迎え。沖縄らしい珊瑚礁の海に亜熱帯の生き物たち。アンボイナ貝をはじめとする毒を持つ生物も興味深かかった。サメ博士の部屋に18分の映像まで見届けてメインイベントの巨大水槽だ。ジンベイザメもマンタもしっかりと楽しめた。写真もまずまずの状態で撮影できたと思う。この美ら海水族館からは伊江島がとても良く見えるのだが、いつか伊江島のタッチューにも登ってみたいものである。

高速のSAで沖縄そばの昼食を摂って次に向かったのは残波岬灯台。参観灯台の一つで世界遺産の座喜味城と同じ読谷村にあるのだが、ここも美ら海水族館と同じく2003年12月以来の再訪だ。その時にはなかった銅像が目に入ったのですかさずチェック。ポーズから伊是名にあった金丸の銅像を連想していたが、琉球統一王国成立以前に初めて中国に朝貢したという泰期という人物の銅像だった。予め用意しておいた券で残波岬灯台も参観していく。出雲の日御碕灯台よりは低いが此処の階段も上り甲斐がある。ひとしきり、絶景を堪能した。

近くの座喜味城は2011年に訪れているので今回はパスして、同じく世界遺産の勝連城を目指す。世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」の登録物件の中で最も私が好きなグスクである。この城の石垣も城壁と呼ぶにふさわしい壮観な物だが、此処からの眺望は他に抜きんでて素晴らしいものだと思う。城主・阿麻和利のライバル護佐丸の中城城に中城湾を挟んで対峙し、東方に目を向けると平安座島に続く海中道路もバッチリ見える最高のビュースポットだ。

人気どころのスポットはこれぐらいにして次は「琉球の風」に登場する尚寧王が葬られている浦添ようどれ。浦添グスクようどれ館が目的だったが、生憎、年始休業中。せっかくなので国史跡の浦添城にも立ち寄っていった。初めて訪れたときは国史跡とはにわかに信じられなかったが、石垣の復元もされてだいぶ見応えは出てきている。今回はずっと奥の頂上部まで足を伸ばしてみた。

だいぶ時間にゆとりがなくなってきたが、2011年11月に国の史跡に指定されたばかりの島添大里城には何としても足を伸ばしておきたいと無理をしてみた。此処も一度訪れたことがあるのだが、崩壊気味の石垣に囲まれた郭の記憶など全く記憶がない。主郭部分の記憶は確かにあるから此処も整備が進められたのだろう。駐車場あたりの工事はまだ続けられているし、国史跡の表示も全く見当たらなかったからもう少し整備が進むことを期待しても良さそうである。

レンタカーの営業所隣の護国神社への初詣で渋滞が生じていたが、何とか宮古便の出発には間に合った。

2012.1.3 Tue

(レンタカー)

宮古での宿泊は非常に安く抑えたため、レンタカーの営業所まで長距離を歩かなくてはならない。薄暗い中、歩いているうちに日の出を迎えたが、天気予報に反して青空が大きく広がっている。想定外の幸運に感謝してレンタカーを借り受けると、まっすぐに東平安名崎を目指した。その途中、今回の旅の大きな目的の一つである国史跡・先島諸島火番盛の一つ、砂川(うるか)遠見、別名トゥンカイフツイスに立ち寄っていく。ここは事前の調査で見つけることがかなり難しいことを覚悟していたが、近隣の脇道、農道を一つ一つ当たってやっとの思いでここぞという場所に辿り着いた。此処から素直に辿り着けるかと思いきや、そうは問屋が卸さない。行きつ戻りつ半分迷いながらやっとの思いで遠見番所に辿り着くことができた。しかし、周りの樹木が伸びてしまっていて眺望は全く開けていなかった。

車に戻ってみるとジーンズとTシャツに大量のイノコヅチとセンダングサの実が付着していた。センダングサはてっきり長野県でもおなじみのアメリカセンダングサかと思っていたが、どうも白くて目立つ花の記憶がない。後日、調べてみるとタチアワユキセンダングサと言うそうで、一年中花が咲いている沖縄の雑草の王者なのだそうだ。勿論、外来植物である。宮古でも至る所でこの花を見かけ、この後の火番盛めぐりでもさんざん悩まされることになる。

トゥンカイフツイスにかなり時間がかかってしまったので優に9時は回っており、安心して平安名埼灯台に向かったところ、工事で灯台の中には入れないとのこと。せっかく券まで用意して駆けつけたというのに。それでも青空の下で平安名埼灯台と東平安名崎の絶景を拝める幸運には感謝したい。ゆっくりと遊歩道を一周して宮古の青い海を堪能した。

東平安名崎からは海岸沿いに北上していく。途中、高腰城を見つけようと粘ったが断念、先に進んで2つ目の火番盛、島尻遠見へ。学校が目印だったのですぐ見つかると思ったが、多少、探し回ってしまった。大神島が良く見えるが、既に雲が広がってきてしまい景観としては今ひとつなものに。次の狩俣遠見は集落の中にあり、駐車場所を探さなくてはならなかった。この遠見番所の目の前に大神島が見える。

宮古島島内の火番盛は以上3つでコンプリート。次は橋を渡って池間島へ。この池間遠見を始め、宮古島市の国史跡の先島諸島火番盛には、道路標示など全くなく、事前調査に於けるマップ上のポイントが頼り。池間島から南に突きだした岬の東側にあるとのことだったが、道は岬の西側にしかなく、ちょっとどきどきしてしまった。天然の岩盤を活かした遠見で頂上に続く石段や、池間大橋と重なる大神島の眺望など、結構お薦めの火番盛だ。珊瑚礁特有のコーラルブルーの海の色は曇天でも何とか見ることができるのが救いである。島を一周して池間島灯台まで足を伸ばしてみた。

池間島からは一気に旧平良市の市街地、宮古島の中心部へと向かう。2004年に初めて宮古島を訪れた際にもチェックした人頭税石、この石の高さに身長が達すると人頭税が課されるという伝承だが、実際には年齢で人頭税は課されており、何のための石かは諸説がある。近くの仲宗根豊見親の墓もチェック。宮古統一の英雄で八重山のオヤケアカハチ討伐も行った。首里王府の手先という悪いイメージがあったが、強大な首里王府の傘下に先島諸島を入れることで戦乱の世を終わらせたという側面も無視してはいけないのかも知れない。英雄にふさわしい石積みの立派な墓である。

昼食を摂ってから宮古島市最後の火番盛に向かう途中、久松五勇士顕彰碑にも立ち寄った。バルチック艦隊を沖合に発見したものの当時、宮古島には無線電信設備がなく、遠く170km離れた石垣島まで5人の屈強な若者がクリ舟を漕いでバルチック艦隊襲来を知らせた壮挙をたたえる顕彰碑とのこと。スペシャルドラマ「坂の上の雲」完結直後に良いスポットを訪れることができたものだ。

来間遠見は来間島の竜宮城展望台に隣接しているようなのですぐに見つかるだろうと安心していたが、周囲を歩き回っても全然わからない。展望台から見下ろして見つけ、藪漕ぎをして辿り着いた。タチアワユキセンダングサの実に悩まされたことは言うまでもない。きちんとした石畳の入口がちょっと外れたところにあった。

最後に宮古島の城として目にとまった大嶽(うぶだき)城に向かった。公園として整備されているが、遺構、郭などは今ひとつよくわからない。ここに拠る大嶽按司は与那覇原軍に滅ぼされる。少し早めであるが、ビール、つまみなどを調達しレンタカーを返却して宿に戻った。

2012.1.4 Wed

夜寝ていても風の音が気になるほどの強風。平良港まで6km以上歩かなくてはならないのでまだ暗い7時に出発。雨交じりの風にトレーナーはかなり濡れてしまった。8時過ぎに平良港に到着。想定通り、多良間行きのフェリーたらまゆうは欠航だった。レンタカーもないのでどこかに足を伸ばすと言っても限度がある。ターミナルで暫し休んだあと、近くの宮古神社に行ってみた。漲水石畳道を通ってアプローチ。更に近くにある博愛記念碑も。座礁したドイツ船を献身的に救い、ドイツ皇帝より感謝の念をこめて贈られた大理石の石碑だというがだいぶ放置されているようで少々もの悲しい。近くの学校が松山のロシア人墓地のように清掃活動に取り組んでみたらいかがだろう。

昼食にラーメンなどそれなりにターゲットを絞って向かったが、営業は5日からと言うことであえなく断念。ミスドでありきたりの昼食。そして、夕食も買い込んで宿に引き上げた。時間にゆとりがあって、この旅でとりためた写真の整理やら、旅記録のまとめやらがとても捗る。読書などにも勤しんでゆとりのある時間を過ごすことができた。

2012.1.5 Thu

(レンタカー)
(多良間海運フェリーたらまゆう)

この日はレンタカーで宮古島内を回る予定の日だが、レンタカーを借りて平良港に念のため確認に行くと多良間行きのフェリーが運行の予定だという。駐車場にレンタカーを留め置き、速攻で往復乗船券を購入、そしてすぐにフェリーたらまゆうに乗り込んだ。利用者は10人少々といった程度で船内には非常にゆとりがあった。定刻に平良港を出港。伊良部大橋建設工事の現場近くを通過していった。リーフ内は波が穏やかだが、外洋に出るとかなり揺れる。しかし、シートで休んでいれば全く問題はない。活字を読もうなどと色気を出すと船酔いするので眠ってしまうのが一番である。

2時間以上を要して多良間島の普天間港に到着。村の中心部まで歩いて行く覚悟もしないではなかったが、有償運送のマイクロバスが止まっていたのですぐに乗り込んだ。片道400円だからレンタサイクルよりお得である。だいたい港にはレンタサイクルなんて見当たらなかったし。

帰りの時刻を確認して役場前で下ろしてもらう。やっぱり真っ先に向かうのは八重山遠見。公園としてきれいに整備されており、隣には高い展望台まで作られている。石積みの遠見台からは、木が伸びてしまって海を見ることができないが、展望台からは八重山方向の海がとても良く見えた。晴天だったら素晴らしい海の色に加え、石垣島の島影も見えたことだろう。公園の麓の多良間村民俗学習館にも立ち寄ってみたが、鍵が閉まっていたのであっさりと諦めた。

島内をそぞろ歩き、塩川御嶽の参道のフクギ並木などを見て回る。島内で行き交う皆さんはカメラをぶら下げて村内を歩き回るいかにも観光客然とした私に「こんにちは。」の挨拶をかけてくれた。防犯効果も期待しているはずだが、何と感じの良い島なのだろう。

最後に宮古遠見に行ってみると、ここは八重山遠見とは対照的に全く整備の手が入らず草が繁茂していた。樹木の繁り方も半端でなく海を見ることなど全く期待できない。宮古島の至る所で見かけたタチアワユキセンダングサが此処多良間にも繁茂していたので思わず写真を撮ってしまった。

港へのマイクロバスの待ち合わせ時間までまだ時間があったので役場にて観光パンフレットを入手。そうこうしているうちにかなり強い雨が降ってきた。なんともついている。無事、普天間港に送り届けてもらい、多良間島を後にした。今回は生憎の天気だったが、いつか、夏の真っ青な空の下で多良間島に下り立ちたいと思っている。2009年1月に石垣島からの帰路、眼下に鮮やかな珊瑚礁を抱えた美しい多良間島が見えたことは今でも記憶に残っている。

駐車場のレンタカーに戻ったときには返却時刻まで2時間足らず。そんな中でも是非とも行きたかったのが2日前に見つけられなかった高腰城。ゆとりのあった前日にしっかりと場所を調べておいたので直行した。城址碑や説明板は立派だが、遺構はよくわからない。しかしよく見てみると琉球石灰岩が一列に並んでいた。石垣の残骸といった佇まいである。この城を居城とした高腰按司も与那覇原軍に滅ぼされている。島民を殺戮し宮古島を席巻した与那覇原軍を滅ぼした者の子孫にして与那覇原軍の残党を統べたのが仲宗根豊見親なのである。

2012.1.6 Fri

宮古空港11:10−ANA1722便−那覇空港11:55
那覇空港15:45−ANA130便−東京国際空港17:50
羽田空港国内線ターミナル18:02(京急空港線エアポート急行)−品川着18:25
品川発18:30(山手線内回り)−上野着18:49
4連泊でお世話になった宿を後にし空港へ。空港で時間を過ごしているうちに雨が強く降り出した。今回の旅は、さほど天気に恵まれたわけではないが、雨具のない私が難渋するような雨にあうこともなくその点では非常についていた。昼食も、お土産の調達も、ゆっくりと時間をかけて済ますことができた。羽田便は初めてのポケモンジェット。機内で絵葉書まで戴いてしまった。定刻よりかなり早めに羽田空港に無事到着。

2012.1.7 Sat

上野御徒町発7:20(都営大江戸線)−春日着7:24
本郷三丁目発8:49(都営大江戸線)−両国着8:57
両国発10:46(総武線)−御茶ノ水着10:52
御茶ノ水発10:54(中央線中央特快)−高尾着11:50
高尾発11:52(中央本線)−甲府着13:26
甲府発14:44(中央本線)−岡谷着16:24


江戸東京博物館開館の9:30まで何もしないのももったいないと言うことで、礫川公園の春日局像と麟祥院の墓をチェック。「江」では富田靖子が演じていたが、自分としては「葵〜徳川三代」の樹木希林がぴったりだったと思う。

江戸東京博物館の特別展平清盛は厳島神社の国宝が目白押し。期待を大きく上回る内容だった。源為朝所用の甲冑なんて最高だった。大河ドラマにも為朝出てくるよね。凄く楽しみである。厳島神社の国宝公開は不定期なので非常にラッキー。ちなみに平重盛奉納の国宝の鎧は盛岡で拝見したことがある。2011年2月に訪れた鉄舟寺の宝物館で見ることができなかった国宝・久能寺経の現物を拝むことができたのも望外の喜びであった。

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